『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:中世(20120320版=初版)

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 中世〔ちゅうせい〕は、日本史の時代区分の呼称。

目次

概要

 中世とは時代区分上の呼称を指す。古代(『れきナビ』における古代の定義はこちら)と(同じく近世はこちら)の中間の時代。一般には、平安時代末から南北朝・室町・戦国時代を通しての呼称である。12世紀後半の激動期を含め、鎌倉時代・南北朝時代・室町時代・戦国時代の約400年間の期間を指すと考えられる。また、前期・後期(南北朝以後)に2分割して用いることもある。

中世の時代的特色

 政治的には、武士勢力の伸張と武家政権(鎌倉幕府・室町幕府)の成立とそれによる支配という特色を持つ。
経済・土地制度上では、荘園公領制の成立からその解体までの時代であり、荘園・公領に区分された農村や町に居住する農民・町人から現地の領主(地頭)を媒介にして年貢・公事〔くじ〕銭などを収取する体制を基本とし、近世以降の兵農分離・石高制が施行される体制とは区別される。中国から輸入された宋〔そう〕・明〔みん〕銭が広く流通した。
 宗教面では、浄土信仰(浄土宗・浄土真宗・時宗)、禅宗(臨済宗曹洞宗〔そうとうしゅう〕)、法華信仰(日蓮宗〔にちれんしゅう〕)といったいわゆる鎌倉新仏教が成立し、従来の宗派に入りまじって活動するようになった。

中世の八潮市域

 平安時代末期から鎌倉時代にかけての域の内八條付近は、伊勢神宮の所領(御厨〔みくりや〕)である大河戸御厨八條郷に属し、鎌倉幕府が編さんした歴史書『吾妻鏡』には、武蔵七党のひとつ野与党渋江光衡(八條五郎光平)が地頭に任ぜられていたことが記されている(記事はこちら〈PDF〉)。この史料等で確認される八條郷は、利根川(中川)と綾瀬川に挟まれた近世の八條領に含まれると推定される。さらにこの地には、室町末から戦国時代の岩付〔いわつき〕太田氏の勢力圏(岩付領)にあった市を明記したものといわれる「市場之祭文」に「八十市」(八條市)が記されており、この地域が中川の舟運によって流通が発展したと考えられている。
 至徳4年(1387年)に香取神宮の大宮司兼大禰宜〔おおねぎ〕の大中臣長房が嫡子幸房に与えた財産目録には、「つるかそね」(鶴ケ曽根)・「大さかへ」(大瀬)のでの関銭徴収権などの記載が見られる。これは中川筋に関所が設けられ、それらのいくつかが香取社の支配にあったことを示し、さらに物資輸送でにぎわいを見せる中川筋の様子をうかがい知ることができる。
 また、戦乱の世情不安などから人々が神仏に加護を求めた時代にあって、市域には中世に創建されたとする寺院があり、優れた仏教美術板碑などの信仰を示す石造物が残されている。

参考文献・ホームページ

  • 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[1]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)
  • 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2009年)3ページ
  • 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』全15巻・17冊(吉川弘文館、1979年~1997年)

(功刀俊宏)

関連項目

  1. 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「Taku.JPG」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。
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