『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:近世(20161217版)

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八條領の近世村落図
下郷のうち立野堀村青柳村を除く20か村が八潮市域。
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八條領周辺街道
寛永10年(1633年)武蔵国絵図写(「寛永国絵図」)
※「こしかや」(越谷)から「なんどふ」(南百)・「八てう」(八條)を経て下総国小金(現千葉県松戸市)へ出るが描かれている。
※注意(脚注参照)[1]
安政5年(1858年)調「葛西用水々路の古図」
※注意(脚注参照)[1]

 近世〔きんせい〕は、日本史の時代区分の呼称。近世の八潮市域は、武蔵国埼玉郡(初期は騎西郡)八條領に属した。

目次

近世の定義

 『れきナビ』における近世の定義は、『八潮市史』を踏襲している。

  • 近世の始期:徳川家康が関東に入国した天正18年(1590年)8月
  • 近世の終期:江戸幕府が崩壊した慶応4年(9月8日に明治と改元。1868年)

 ちなみに、『八潮市史』における江戸時代の定義は、以下の通り。

  • 江戸時代の始期:徳川家康が征夷大将軍〔せいいたいしょうぐん〕に就任した慶長8年(1603年)
  • 江戸時代の終期:15代将軍徳川慶喜〔よしのぶ〕が大政奉還した慶応3年(1867年)

八潮の近世史概説―『八潮市の文化財ガイド』より―

新田開発と近世村落の成立<江戸時代>

 江戸時代、八潮市域は20の村(現在の大字に相当)に分かれていたが、その多くは1600年前後に成立したと言い伝えられている。
 江戸時代に入り、幕府の新田開発政策のもと、八潮市周辺でも綾瀬川の直道化や人工堤防の構築、八條用水葛西用水の開削がなされ、豊かな耕作地が生まれていった。
 近世の村は、幕府の支配単位の末端に位置づけられ、年貢納入や諸役(伝馬役など)を負担した。

水運と交通、産業の発達<江戸時代>

 この時代の物資輸送の中心は、安全かつ大量に物を運ぶことができるを使った水運であり、綾瀬川や中川の川岸には、荷物の積み下ろしをする「河岸」が設けられ、荷物を積んだ川船が行き交い、にぎわいを見せていた。
 水運は、市域の村々に新たな産業の振興をもたらした。現在も地場産業として行われている染色業は、江戸時代中頃から江戸町人の間に広まった湯上り後の浴衣の柄染めで、水運と密接に結びついて発展した。市域の染色業は、消費地の江戸と木綿生地の集積地岩槻〔いわつき〕との間に位置することや、稲作が主であるため農閑期の余剰労働力があること、作業に必要な水が豊富なことなどから、農家の副業として盛んになった。
 市域を南北に縦貫する道は、「下妻街道」「千住往来」と呼ばれてきた。この道は、江戸と下妻間を結ぶことから下妻街道と呼ばれ、日光道中の脇往還として、また物資の輸送路として人々に利用され、市内の大原八條地区では人馬の継立も行われていた。
 当時の八條村のにぎわいについて、文政6年(1823年)頃ここを訪れた江戸の僧津田大浄〔だいじょう〕は、「片鄙〔へんぴ〕の一都会というべく、最〔いと〕賑〔にぎ〕やかなりけり」(「遊歴雑記」)と、酒楼・銭湯・髪結所などが軒を連ねる様を記している。

天保6年(1835年)8月「八条領村鑑」にみる八潮市域20か村の領主・石高・高請地反別・家数・人別一覧表

村名 領主 石高(村高) 高請地反別 家数 人別 備考
八條村 代官山本大膳(幕領) 1,429.852石 171町3反7畝〔せ〕29歩〔ぶ〕 166軒 856人 他に西勝院朱印地15石・大経寺朱印地7石 
鶴ケ曽根村 代官山本大膳 835.036石 96町8反4畝23歩 75軒 372人
小作田村 代官山本大膳 322.786石 40町5反2畝27歩 41軒 223人
松之木村 代官山本大膳 175.929石 21町5反20歩 21軒 130人
伊草村 代官山本大膳 258.74石 30町3反1歩 30軒 209人
二町目村 代官山本大膳 320.854石 46町6反4畝28歩半 61軒 297人
寺院深川霊雲院(朱印地) 184.171石 26町4反9畝25歩半 19軒 129人
505.025石 73町1反4畝24歩 80軒 426人
木曽根村 代官山本大膳 693.005石 98町4反3畝22歩 85軒    485人
川崎村 代官山本大膳 458.899石 68町5反8畝13歩 52軒 258人
伊勢野村 旗本森川下総守〔しもうさのかみ〕 188.768石 31町6畝25歩 34軒 185人
代官山本大膳 - - - - 無高の御用御立野5畝15歩
188.768石 31町6畝25歩 34軒 185人
大瀬村 旗本森川下総守 530.4644石 79町1畝27歩 76軒 395人
古新田 旗本森川下総守 302.748石 40町4反9畝10歩 45軒 227人
垳村 旗本森川下総守 204.4377石 27町8畝 22軒 83人
代官山本大膳 0.48石 8畝 - - 本所上水古堀跡新田
204.9177石 27町1反6畝 22軒 83人
上馬場村 代官山本大膳 212.964石 25町7反1畝18歩 26軒 130人 作右衛門新田を含む
中馬場村 代官山本大膳 15.804石 2町9反5畝18歩 2軒 18人
旗本森川下総守 8.535石 1町8反9畝24歩 - -
旗本森川主水〔もんど〕 90.214石 19町5反2畝18歩 22軒 121人
旗本幸田末次郎 150石 20町3反7畝19歩 23軒 119人
264.553石 44町7反5畝19歩 47軒 258人
大原村 旗本森川下総守 255.738石 40町7反2畝7歩 46軒 260人
旗本森川主水 40.588石 6町6反8畝8歩 8軒 56人
代官山本大膳 3.103石 5反6歩 - - 上水跡新田
299.429石 47町9反21歩 54軒 316人
大曽根村 旗本森川下総守 592.025石 87町2反26歩 82軒 454人
代官山本大膳 10.942石 2町8反5畝9歩 5軒 34人 新田(平次右衛門組権兵衛組上水跡)
602.967石 90町6畝5歩 87軒 488人
浮塚村 旗本森川主水 269.198石 38町5反4畝19歩 42軒 232人
代官山本大膳 0.414石 1反4畝24歩 - - 元御立野跡新田
269.612石 38町6反9畝13歩 42軒 232人
西袋村 代官山本大膳 240.951石 53町9反8畝6歩 55軒 336人 新田平次右衛門組を含む
柳之宮村 代官山本大膳 104.369石 17町7畝15歩 17軒 112人
後谷村 代官山本大膳 277.201石 42町2反1畝2歩 24軒 162人
8,178.2161石 1,138町8反7畝20歩 1,079軒 5,883人 他に西勝院・大経寺朱印地22石
平均 408.9108石 56町9反4畝余 54軒 294人

参考文献・ホームページ

関連項目

☆このページの平成24年(2012年)10月13日版はこちら
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