中世

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中世の荘園分布図(埼玉県域の一部)
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※注意(脚注参照)[1]
※荘郷の範囲等については、諸説存在する荘郷もあり、年代による変遷もあり得る。
※図に記載がない風早荘についてはこちら
大瀬古新田付近の河道は、中世当時ではなく、近代改修後。
中世後期八潮市域周辺の荘郷・市・道・河関
小作田長安寺の二十一仏種子板碑

 中世〔ちゅうせい〕は、日本史の時代区分の呼称。

目次

中世とは

 古代近世の中間の時代。一般には、平安時代末から鎌倉・南北朝・室町・戦国時代を通しての約400年間(12世紀後半~16世紀後半)の呼称である。また、前期・後期(南北朝以後)と2分割して用いることがある。

中世の時代的特色

 【政治】武士勢力の伸張と武家政権(鎌倉幕府・室町幕府)の成立とそれによる支配という特色を持つ。
 【経済・土地制度】荘園公領制の成立からその解体までの時代。荘園・公領に区分された農村や町に居住する農民・町人から、現地の領主(地頭)を媒介にして年貢・公事銭〔くじせん〕などを収取する体制を基本とし、近世以降の兵農分離・石高制が施行される体制とは区別される。中国から輸入された宋〔そう〕・明〔みん〕銭が広く流通した。
 【宗教】浄土信仰(浄土宗・浄土真宗・時宗)、禅宗(臨済宗・曹洞宗〔そうとうしゅう〕)、法華信仰(日蓮宗〔にちれんしゅう〕)といったいわゆる鎌倉新仏教が成立し、従来の宗派に入りまじって活動するようになった。

中世の八潮市域

大河戸御厨内八條郷と地頭八條光平<中世前期>

 八潮市域は、古代の郡制より武蔵国埼玉郡に属し、その南端に位置した。埼玉郡域は、平安時代末期になると、八条院領太田荘と埼西郡(「騎西」「埼西」「寄西」などとも書く)に2分して把握されたとみられる。さらに郡域の南部には、足立郡へまたがる大河戸御厨(御厨とは伊勢神宮の所領)が成立した。
 現大字八條付近は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、大河戸御厨内八條郷に属した。鎌倉幕府が編さんした歴史書『吾妻鏡』には、武蔵七党の一つ野与党渋江光衡(八條五郎光平)が八條郷の地頭であったことが記されている(記事はこちら〈PDF〉)。

河関・市・街道<中世後期>

 至徳4年(1387年)に香取神宮大宮司兼大禰宜〔おおねぎ〕大中臣長房が嫡子に与えた財産目録(翻刻は『八潮市史 史料編 古代・中世』史料477、写真は『川に抱かれて』27ページ)には、利根川(現中川)等の河関における関銭徴収権などの記載があり、八潮市域の関としては、「つるかそね」(鶴ケ曽根下河辺のうちと記載)・「大さかへ」(大堺大瀬と推定されている。風早荘のうちと記載)の両関が挙げられている。これら関所の事例は、市域における河関の設置、香取神宮による関所支配、さらに物資輸送でにぎわいを見せる利根川の様子を示している。
 八條郷には市も成立した。「市場之祭文」(室町末から戦国時代の岩付〔いわつき〕太田氏の勢力圏〈岩付領〉にあった市を明記したものといわれる)には、「八十市」(八條市)が記されている。
 こうした人の往来や流通の発展の背景には、市域を縦断した鎌倉街道の脇街道・小金道〔こがねみち〕(八條・利根川の渡し・彦名〔ひこな〕・流山〔ながれやま〕・小金を結ぶ道)・矢古宇道〔やこうみち〕(八條・青柳・矢古宇と連絡する道)などの古道の分岐点に位置する陸上交通の要衝であったこと、利根川等を利用した舟運など交通網の整備等多くの要因が考えられる。

寺院の創建と板碑

 戦乱による世情不安などから人々がに加護を求めた時代にあって、市域には中世に創建されたとする寺院があり、優れた仏教美術板碑などの石造物も残されている。

参考文献・ホームページ

  • 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[2]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)
  • 小野文雄監修『日本歴史地名大系第11巻 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)104~107、879、965、1031、1050、1061ページ
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)394ページ
  • 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2009年)3ページ
  • 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』全15巻・17冊(吉川弘文館、1979年~1997年)
  • 埼玉県編集発行『中川水系総合調査報告書2 中川水系3 人文』(1993年)113~117ページ
  • 埼玉県立歴史資料館編『歴史の道調査報告書 第1集 鎌倉街道上道』(埼玉県教育委員会、1983年)
  • 八潮市史編さん委員会編『川に抱かれて―八潮の歴史アルバム―』(八潮市立資料館、1994年)27ページ
  • 『新編埼玉県史 通史編2 中世』(埼玉県、1990年)945~960ページ
  • 『八潮市史 史料編 古代中世』(八潮市役所、1988年)史料477
  • 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)424~426ページ
  • 『八潮市史 民俗編』(八潮市役所、1985年)405~408ページ

(功刀俊宏)

追記

(事務局)

関連項目

 ☆このページの令和2年(2020年)2月20日版はこちら

  1. 埼玉県刊行物の図版を転載している画像について:利用規約の「著作権」の項(こちら)の「ただし、プリントアウトに限り(中略)許可不要とします」は、適用されません(事務局)。
  2. 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「Taku.JPG」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。
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