慶長8年・10年中馬場村年貢割付状(伊奈忠次)

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 慶長8年・10年中馬場村年貢割付状(伊奈忠次)〔けいちょうはちねんじゅうねんなかばんばむらねんぐわりつけじょう(いなただつぐ)〕は、八潮市立資料館収蔵(寄託/所蔵)の古文書。

※慶長8年=1603年、慶長10年=1605年。
★慶長8年中馬場村年貢割付状は、資料館収蔵古文書(原本)の中では最も古いもの。
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目次

年貢と年貢割付状の概要

  • 年貢は、領主が年ごとに徴収した貢租のこと。近世には、通常は検地帳に登録された田畑や屋敷地に賦課された税をさす。年貢の中心は米であったが、銭などが徴収されることもあった。年貢は村単位に賦課された(村請制〔むらうけせい〕)。
  • 年貢割付状は、領主が年貢額を村に通達した文書(納税通知書)。記載されている年貢額は村全体の納入額であり、村民への割当ては村の自治に委ねられた。
※「名寄帳」も参照

慶長8年中馬場村年貢割付状

  • 資料館寄託 石井明家2
  • 年月日:「卯〔う〕十月十二日」(端裏書「慶長八卯 中馬場」)→慶長8年10月12日
  • 表題:「卯年可納御年貢わり付之事〔うのとしおさむべきおねんぐわりつけのこと〕」
  • 差出人:「伊備前(花押)(黒印)」→伊奈備前守〔びぜんのかみ〕忠次
  • 宛所:「中はんは名主・百性中」→中馬場村名主・百姓
  • 画像:
全体(裏は省略)
※翻刻は、『八潮市史 史料編 近世1』(史料2「中馬場村年貢割付状」)などにも掲載されている。
  • 解説:徳川家康が江戸幕府を開いた年に出された年貢割付状。年貢は、田畑・屋敷に賦課されており、田は米で66石4升、畑・屋敷は銭で4貫12文〔もん〕(1貫=1,000文)。納期は11月20日。年貢額の算定方法は、地目・等級別に1反あたりの年貢額を決め、それを課税面積に掛けている(反取〔たんどり〕法)。課税面積は、水損引などの免税地が控除された面積である。田畑・屋敷の面積は、計29町4反〔たん〕9畝〔せ〕21歩〔ぶ〕。石高(村高)は記載されていない。差出人の伊奈備前守忠次は江戸幕府の代官頭。幕領であった八潮市域(八條領)を支配していた。
  • 田の面積・免税面積・課税面積・年貢額(米)一覧表
    面積 免税面積 課税面積 1反あたり年貢額 年貢額(記載値) 同(計算値)
上田 1町7反5畝24歩   1町7反5畝24歩 6斗 10石5斗〔と〕2升8合 10石5斗4升8合
中田 4町6畝11歩   4町6畝11歩 5斗 20石3斗2升 20石3斗2升1合…
下田 8町6畝18歩 井溝引2反5畝(約3パーセント) 7町8反1畝18歩 4斗5升 35石1斗7升2合 同左
田計 13町8反8畝23歩 井溝引2反5畝(約2パーセント) 13町6反3畝23歩 66石4升 66石2升(記載値計)
66石4升1合……(計算値計)
※「井溝引」については後述。
  • 畑・屋敷の面積・免税面積・課税面積・年貢額(銭)一覧表
    面積 免税面積 課税面積 1反あたり年貢額 年貢額(記載値) 同(計算値)
上畑 1町1畝6歩 1町1畝6歩 70文 708文 708.4文
中畑 1町7反3畝18歩 1町7反3畝18歩 50文 867文 868文
下畑 12町1反19歩 水損引6町5反(約54パーセント) 5町6反19歩 30文 1貫682文 1貫681.9文
畑計 14町8反5畝13歩 水損引6町5反(約44パーセント) 8町3反5畝13歩 3貫257文(記載値計)
3貫258.3文(計算値計)
屋敷 7反5畝15歩   7反5畝15歩 100文 755文 同左
畑・屋敷計 15町6反28歩 水損引6町5反(約42パーセント) 9町1反28歩 4貫12文 同左(記載値計)
4貫13.3文(計算値計)
  • 地目・等級別の面積内訳
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※田畑の比率は48対52。
※田畑の等級は、下田・下畑が多い。

慶長10年中馬場村年貢割付状

  • 資料館所蔵 石井明家3
  • 年月日:「巳〔み〕拾月廿〔にじゅう〕一日」(端裏書「慶長十年巳」)→慶長10年10月21日
  • 表題:「巳年可納割付之事〔みのとしおさむべきわりつけのこと〕」
  • 差出人:「伊備前(花押)(黒印)」→伊奈備前守忠次
※印章は、花押と重なっていて判然としないが、右向きの唐獅子〔からじし〕印(『伊奈忠次文書集成』の印判G型)。
  • 宛所:「中馬場名主・百性中」→中馬場村名主・百姓
  • 写真:『八潮市史 史料編 近世1』口絵
  • 翻刻:同書史料4「中馬場村年貢割付状」など
  • 解説:田の年貢は米で4石3斗6升、畑・屋敷の年貢は銭で1貫160文。慶長8年と比較すると、田は9割以上、畑・屋敷は約7割減少している(屋敷は同額)。これは水害による減税で、田畑は水損引として課税面積から控除された面積が多く、課税面積1反あたりの年貢額も減額されている。納期、石高記載、田畑・屋敷面積は8年同。
  • 田の水損引面積・課税面積・年貢額(米)一覧表
  水損引面積 課税面積 1反あたり年貢額 年貢額(記載値) 同(計算値)
上田 1町5反5畝24歩(約88パーセント) 2反 2斗3升 4斗6升 同左
中田 3町5反6畝11歩(約88パーセント) 5反 1斗8升 9斗 同左
下田 5町5反6畝18歩(約69パーセント) 2町5反 1斗2升 3石 同左
10町6反8畝23歩(約77パーセント) 3町2反 4石3斗6升 同左
  • 畑・屋敷の水損引面積・課税面積・年貢額(銭)一覧表
  水損引面積 課税面積 1反あたり年貢額 年貢額(記載値) 同(計算値)
上畑 7反1畝6歩(約73パーセント) 3反 25文 75文 同左
中畑 1町3反3畝18歩(約77パーセント) 4反 20文 80文 同左
下畑 9町6反19歩(約79パーセント) 2町5反 10文 250文 同左
畑計 11町6反5畝13歩(約78パーセント) 3町2反    405文      
屋敷 7反5畝15歩 100文 755文 同左
畑・屋敷計 11町6反5畝13歩(約75パーセント) 3町9反5畝15歩 1貫160文 同左 
※屋敷以外の課税面積は、いずれも反未満の端数がない数字となっており、田計と畑計の面積は一致。
  • 田畑・屋敷の課税面積・水損引面積内訳
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※全体の約4分の3が水損引。

免税地の「いミそ(井溝)」「セき(堰)水いかり」「もへ(萌)田」

「いミそ(井溝)」
 慶長8年の年貢割付状によると、下田のうち2反5畝が「いミそニ引」として免税地となっている。「いミそ」=「井溝」(水路)で、元は田であった土地が水路の敷地となったことを意味すると考えられる。水路が造成された年は、同年とは限らず、それ以前の可能性もある。
 この「井溝」については、次のような見解も示されているが、詳細は不明である。

「セき(堰)水いかり」
 慶長8年の年貢割付状(畑)に「セき水いかりニ引」、慶長10年の年貢割付状(畑)に「セきいかりニ引」などの記載がある。これらは洪水(水損)による免税地を意味すると考えられる。「セき」=「堰」と考えられ、「井溝」との関連も指摘されている。

「もへ(萌)〔もえ〕田」
 慶長10年の年貢割付状(田)に「もへ田」による免税地の記載がある。「もへ田」=「萌田」で、「いかにも水中に浸〔つ〕かっている間に芽が出てしまって収穫が得られない状態をよく表現している語」(『関東郡代伊奈氏の研究2』283ページ)とされる。

慶長8年~元和5年中馬場村の年貢額と田畑・屋敷面積

 慶長8年~元和5年(1619年)の中馬場村年貢割付状(伊奈忠次・忠治〔ただはる〕)によると、年貢額と田畑・屋敷面積の推移は次のグラフの通り。

参考

慶長5年・8年上馬場村年貢割付状

  • 写真・翻刻は、『関東郡代伊奈氏文書展』32ページなどに掲載。
  • 慶長5年上馬場村年貢割付状は、伊奈忠次の家臣が出したもので、忠次関係の年貢割付状としては現存最古のものとされる。
  • 慶長8年上馬場村年貢割付状の年月日・差出人・様式は、同年の中馬場村と同じ。「いミそニ引」と「セき水いかりニ引」の記載がある。

面積と米の単位

  • 面積の単位
    • 1町〔ちょう〕=10反〔たん〕(段) =約99.17アール(9,917平方メートル)→ほぼ1ヘクタール
    • 1反=10畝〔せ〕
    • 1畝=30歩〔ぶ〕(坪〔つぼ〕)→ほぼ1アール
    • 1歩(坪)=6尺〔しゃく〕(1間〔けん〕、約1.818メートル)平方=約3.306平方メートル
  • 米の単位(容積)
    • 1石〔こく〕=10斗〔と〕
    • 1斗=10升〔しょう〕
    • 1升=10合〔ごう〕=約1.8リットル
    • 1合=10勺〔しゃく〕
    • 1勺=10才〔さい〕

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館の刊行物など

  • 資料館収蔵文書
    • 寄託/所蔵 石井明家2~7

その他

  • 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[1]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)「反取」「年貢」「年貢割付状」「村請制」
  • 和泉清司「伊奈忠次と年貢割付状」(『三郷市史研究 葦のみち』第23号、2012年)
  • 和泉清司編『伊奈忠次文書集成』(文献出版、1981年)文書142・415・416・492、359~360ページ
  • 伊奈町教育委員会編『伊奈町史 別編 伊奈氏一族の活躍』(埼玉県伊奈町、2008年)12、105~106ページ
  • 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究』(2004年)33~34、39~40、42~43、49~50、59、84~85、100ページ
  • 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究2』(2009年)161~163、173、197、217、240、242、254~256、280~283、318~320、376~377ページ
  • 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編3 近世1』(1988年)435ページ
  • 埼玉県立文書館編集発行『平成2年度特別展解説 関東郡代伊奈氏文書展』(1990年)8~9、32、67ページ
  • 杉山博・萩原龍夫編『新編 武州古文書 下』(角川書店、1978年)368~370ページ

関連項目

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☆このページの令和2年(2020年)8月8日版(初版)はこちら
  1. 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「Taku.JPG」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。
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