町制施行

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町制施行後の八潮町役場
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祝八潮町町制施行記念横断幕
初代八潮村長・初代八潮町長 恩田理三郎

 八潮町の町制施行〔ちょうせいしこう〕は、昭和39年(1964年)10月1日(東海道新幹線開業日と同日)。八潮村成立から8年余で町に昇格した。

目次

近世の20か村から八潮村成立までの沿革

八潮市#中世の荘郷以降八潮市の成立までの沿革」より抜粋
  • 近世、市域は、20の村に分かれており、武蔵国埼玉郡(初期は騎西郡)八條領(下郷22か村)に属した(詳細はこちら)。
※近世村の村名表記・石高変遷表はこちら(PDF)
※明治前期の村事務所・戸長役場組合変遷表はこちら(PDF)
※近世以降については、「八潮市沿革図(近世以降)」(PDF)参照

(事務局)

町制施行の手続き

 昭和38年(1963年)12月、八潮村の定例議会に一般住民からの要請として町制施行が提案されたことを受け、昭和23年(1948年)3月23日発令の埼玉県条例第14号「町としての要件に関する条例」(昭和28年<1953年>10月20日改正)にもとづき町制施行のための調査が進められた。調査結果をもとに埼玉県地方課の内意を得たのち、昭和39年(1964年)6月12日に八潮村議会議員・区長・農業委員その他各種団体長が参集し、経過報告並びに今後の方針などについて協議が実施された。そして、同月24日の定例議会において「昭和三十九年十月一日から八潮村を八潮町とすることを埼玉県知事に申請する」ことが満場一致で可決された。その後、埼玉県議会の承認および自治省との協議を経て、7月31日埼玉県告示第554号により町制施行が決定され、昭和39年(1964年)10月1日に八潮町が誕生した。

町制施行の要件と八潮村の都市化・工業化の進展

 「町としての要件に関する条例」の規定では、人口5,000人以上が町制施行の一つの要件となっており、昭和31年(1956年)の八潮村合併当時の人口1万2,703人は、既に上記の要件を満たしていた。また、高度経済成長が本格化するのに伴い、東京都からの転入人口が急増し、昭和30年代後半には東京のベッドタウン化が進展したことにより、八潮村の人口は増加の一途をたどっていた。
 他方、商工業などの都市的業態に従事する者とその同一世帯員が全人口の5割以上を占めていることが、町制施行の今一つの要件であった。上記の割合についてみれば(以下の数値はパーセント)、昭和31年度41.1、昭和35年度49.3、昭和36年度55.1、昭和37年度57.7、昭和38年度58.0、昭和39年度59.6、と年々増加の傾向にあり、昭和36年度には上記の要件を満たしている。
 こうした昭和30年代半ば以降の急速な都市化・工業化の進展により、町へと昇格する要件が満たされ、町制が施行された。町制施行時の昭和39年(1964年)の人口は1万7,376人であった。なお、昭和39年(1964年)9月30日の『埼玉新聞』では、八潮村の町制施行を報じるのと関連して、八潮村のベットタウン化、工場誘致による税収の増加、インフラの整備、それに八潮村の近代化を推進した中心人物として八潮村村長の恩田理三郎の手腕についてもふれている。

参考文献・ホームページ

(金澤真嗣)

追記

昭和31年(1956年)9月 八潮村成立時における業態生業の割合

※都市的業態は約22パーセント。
※出典は『八潮市史 史料編 現代1』史料221。

(事務局)

関連項目

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