近代の八潮

提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
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 近代の八潮〔きんだいのやしお〕の概要は以下の通り。

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目次

時代区分の近代と年表

 時代区分の「近代」の始期と終期については、『れきナビ』(本サイト)では次の通りとする。

  • 近代の始期=明治元年(慶応4年、1868年)
  • 近代の終期=昭和20年(1945年)8月15日(終戦)
※『八潮市史 通史編2』を踏襲。

年表(近代の日本と八潮)
 こちら

埼玉県の誕生と三村の成立

 市域20か村は、慶応4年(1868年)7月に武蔵知県事〔むさしちけんじ〕の管轄となり、明治2年(1869年)からは小菅県〔こすげけん〕に属した。明治4年(1871年)11月14日、埼玉県が誕生し、以来市域は埼玉県に属している。
 明治17年(1884年)、連合戸長役場制が実施され、市域に三つの連合が成立した。

 明治22年(1889年)、市制・町村制施行(明治の大合併)により三村が成立した。

★詳細は下記参照

地方改良運動と潮止村の模範村選奨

 日露戦争後、内務省は町村の財政基盤の強化などを目指して地方改良運動を推進した。明治44年(1911年)、潮止村が模範村として内務省から選奨された。
★詳細は下記参照

明治43年(1910年)の大水害と中川の改修

 明治43年(1910年)の関東大水害では、市域(三村)も大きな被害を受けている。
 大正15年(昭和元年、1926年)2月、潮止村大瀬付近で曲流していた中川を直線化する新水路が完成した。

★詳細は(参考文献)『記憶をつなぐ カスリーン台風と八潮』参照

煉瓦工場と染色業

 市域は煉瓦の原材料である荒木田土〔あらきだつち〕に恵まれており、東京近郊で水運の便が良いこともあって、大正時代になると煉瓦工場が進出した。
 近世以来の地場産業である染色業は、大正時代を境に、長板中型よりも効率的な注染〔ちゅうせん〕が中心となった。

★詳細は下記参照

戦争(出征者と空襲)

 明治以降の戦争では、市域からも多数が出征している。昭和6年(1931年)の満州事変以降については、592人の出征と326人の戦没が判明する。昭和17年(1942年)4月、初めての日本本土空襲があり、煉瓦工場があった潮止村古新田にも爆弾が投下された。その後の空襲では、市域でも死傷者が発生している。なお、都会から市域に疎開してきた人もいた。

★詳細は下記参照

小学校

 市域では明治6年(1873年)以降相次いで小学校が開校している。明治19年(1886年)、小学校が統合されて3校となった。その後一時5校となったが、明治末から終戦までは3校(三村各1校)であった(終戦時は「国民学校」)。

★詳細は「学校(小中高校)」「学校年表(小中高校)」参照

参考文献・ホームページ

※本文の典拠として特に重要なもの、および参照先として示した文献に限定した。

八潮市立資料館刊行物

その他

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)1159ページ

関連項目

☆このページの令和2年(2020年)6月26日版(初版)はこちら
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