『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:河関(20120606版=初版)
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河関〔かわぜき〕は河川に設置された関所を指し、ここでは中世に設置された河関について述べる。中世の関所は警察や軍事上の理由で設置された関は少なく、経済的な理由によって設置されることが多かった。経済的な理由による関所では通過に際し、関銭として通過料が徴収された。
関所を設置する主体は、その領域を支配する荘園領主や地域の領主層であり、関銭徴収の当初の目的は、河海関係の施設費(港と河岸)、警固費、河川面の利用料などがあげられる。しかし、荘園制衰退に伴い、農作物や商品などの代替財源として競って設置されるようになった。特に増加を見たのは、南北朝期の動乱を経た室町時代中期であり、淀川では長禄元年(1457)ごろ、最高で400ヶ所を数えたとされる。関所により物資の流通が阻まれ、関税が商品に転嫁するため物価の高騰を招いた。近世以降に円滑な商品流通の促進を図るため、経済的な理由による関所の多くは廃止された。このように関所は交通や流通の阻害要因となったが、その一方で河川に設けられた河関は水路面利用ばかりではなく、渡河地や門等の中世の舟運基地としての発達も見られた。
八潮市域、周辺にあった旧利根川の河関としては、つるかそねのせき(八潮市鶴ヶ曽根)・大堺関(八潮市大瀬と推定される)・戸﨑関(三郷市戸ヶ崎)・彦名河関(三郷市上彦名)・猿俣関(葛飾区水元猿町)・行徳関(市川市行徳)・長島関(江戸川区長島)・御厩領関(春日部市花積)などの各河関があげられる。
参考文献・ホームページ
- 遠藤忠「古利根川の中世水路関」(八潮市史編さん委員会編『八潮市史研究 第4号』、八潮市史編さん室、1982年)
- 遠藤忠「第2編 中世の八潮・第4章旧利根川流域の農民と舟運・第4節 旧利根川の水運」(八潮市史編さん委員会編『八潮市史 通史編1』 八潮市役所 1989年)438~441ページ
- 久保田昌希「第2編 中世の三郷・第2章 南北朝・室町時代の三郷市域周辺・第2節 市の発達と関」(三郷市史編さん委員会編『三郷市史第6巻通史編Ⅰ』、三郷市、1995年)269~280ページ
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』全15巻・17冊(吉川弘文館、1979年~1997年)
(功刀俊宏)