『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:野与党(20120605版=初版)
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野与党〔のよとう〕は平安時代末期から鎌倉・室町時代にかけて武蔵国に存在した武士団に勢力を持った武士団武蔵七党の一つ。「のいよ」とも呼ばれる。この党は武蔵国埼玉郡(埼玉県東部)に勢力を持つ血縁によって結ばれた武士団である。武蔵守平良文の末裔と称するが史料的には不明である。平忠常の曾孫、基永が野与荘荘司となって家名としたという。
その家名の由来となった荘園(野与荘)のあった野与の地については不明だが、埼玉郡白岡町内に「野与道」(のよみち)と呼ばれる古道があったということからそこを本拠と考える説もある。その一族には渋江・八条・箕勾・柏崎・金重・須久毛・白岡・鬼窪・南鬼窪等の庶子家がいて、その勢力範囲は旧利根川と綾瀬川に囲まれた元荒川沿いの低平地で埼玉郡に勢力を張った。各氏は久伊豆神を共通の氏神として信仰したため、領域はその信仰圏と共通する。
八潮市域との関わりでは、大河土御厨内八條郷に土着した渋江一族がおり、渋江光衡(光平ともいう)は和田合戦の勲功により同郷地頭職を安堵〔あんど〕されている。また光衡は八条五郎と名乗ったとされる。
参考文献・ホームページ
- 小要美恵子「第2編 中世の八潮・第1章鎌倉期の八潮・第1節 鎌倉幕府の成立と武総武士」(八潮市史編さん委員会編『八潮市史 通史編1』、八潮市役所、1989年)242~243ページ
- 小要美恵子「第2編 中世の八潮・第1章鎌倉期の八潮・第2節 八潮周辺の荘園」(八潮市史編さん委員会編『八潮市史 通史編1』、八潮市役所、1989年)250ページ
- 原島礼二「第6章 荘園と武士団・第3節 平忠常の乱と武士団の成長・2 板東八平氏と武蔵七党」(埼玉県編集発行『埼玉県史 通史編1原始・古代』、1987年)664~673ページ
- 「第3章 古代の岩槻・第6節 武士団の成立」(『岩槻市史 通史編』、岩槻市役所、1985年)194~201ページ
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』全15巻・17冊(吉川弘文館、1979年~1997年)
(功刀俊宏)