『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:『れきナビ』講座:八潮の資料で学ぶ 元号(年号)(20190611版)
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元号(年号)に関連する八潮の資料―板碑・古文書・公文書・貨幣・その他資料(指定文化財含む)―を紹介・解説します。
【おことわりとご案内】
このページは未完です。共通する内容で、7月6日(土)・13日(土)・20日(土)午後1時30分~3時30分(全3回)、資料館講座「八潮の資料で学ぶ 元号」を開催します(申込受付は6月14日開始。資料館のホームページ〈八潮市ホームページ内〉の「資料館講座」はこちら)。このページの完成版は、7月の講座終了後に公開する予定です。
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目次 |
日本の元号の年代順一覧(西暦対照や読み方記載)
古代・中世の元号
(参考)『万葉集』(新元号「令和」の出典)に登場する八潮周辺の地名
- 【資料】 『万葉集』 『八潮市史 史料編 古代・中世』史料24・33・34 ※資料館常設展示室に東京国立博物館蔵本のパネル展示。
(解説は後日掲載)
中国の元号が刻まれている古銭
- 【資料】 景徳元宝・元豊通宝・宣和通宝(八條遺跡出土品) ※『大地に刻まれた足跡』11ページに写真、『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第407集』52、67ページ、図版23に図・写真掲載。
(解説は後日掲載)
「八條」という地名の初出は何年?
建暦3年(建保元年、1213年)です。詳細は「八條郷」をご覧ください。
八潮の板碑に刻まれている最古の元号は?
弘安7年(1284年)です。詳細は下記をご覧ください。
- 「板碑」
- 八潮市ホームページの「弘安7年銘板石塔婆」解説(PDF)
- 『八潮市の文化財ガイド』29ページ
異なる元号が並立していた南北朝時代の板碑に刻まれている元号は? 室町幕府と対立した古河公方が改元後も「享徳」の元号を使用し続けていた時期は?
(解説は後日掲載)
私年号(非公式元号)が記載されている八潮市指定文化財は?
「福徳3年日正筆私年号曼荼羅〔ふくとくさんねんにっしょうひつしねんごうまんだら〕」です。福徳3年は、延徳3年(1491年)に相当します。詳細は下記をご覧ください。
- 八潮市ホームページの「福徳3年日正筆私年号曼荼羅」解説(PDF)
- 『八潮市の文化財ガイド』13ページ
近世の元号
「元号」ではなく「年号」?
(解説は後日掲載)
禁中並公家諸法度と元和改元(中国の元号から採用)
(解説は後日掲載)
改元の知らせが伝わるまでに何日かかった? 改元の日付は正確に伝わった? 改元の理由は伝えられたか?
- 【資料1】 慶長20年(元和元年、1615年)9月13日 上馬場村検地帳(市指定文化財「慶長年間の検地水帳」) 資料館寄託 上馬場濱野昭家文書321 ※翻刻はこちら(PDF)。検地帳全文の翻刻は『八潮市史 史料編 近世1』史料10。
- 【資料2】 元治2年(慶応元年、1865年) 大瀬村御用留(「覚 三月十八日年号改り慶應(応)と改元」) 資料館寄託 大瀬高橋義一家文書881 ※御用留全文の翻刻は『八潮市史調査報告書11 八潮の諸家文書目録1 』史料16。
- 【資料3】 文化15年(1818年) 「御用向旧記留帳」 『八潮市史 史料編 近世2』史料43
- 【資料4】 「文政14年」(天保2年、1832年)2月 金子借用証文 資料館寄託 大瀬高橋義一家文書1698
(解説は後日掲載)
安政改元と異国船渡来(災異)
- 【資料】 嘉永7年(安政元、1854年) アメリカ船渡来につき寺社奉行触書 八條清勝院文書938 ※『村人たちの「御一新」』4ページに写真掲載。翻刻は『八潮市史 史料編 近世1』史料184。
(解説は後日掲載)
「万延」と書いたか、「萬延」と書いたか?
- 【資料1】 万延2年(1861年) 亀吉死去につき入用帳 資料館寄託 大瀬高橋義一家文書1301
- 【資料2】 万延2年(1861年) 亀吉死去につき香典帳 資料館寄託 大瀬高橋義一家文書1305
(解説は後日掲載)
近世の貨幣と元号
- 【資料1】 寛永通宝(八條遺跡出土品) ※『大地に刻まれた足跡』11ページに写真、『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第407集』52、67ページ、図版23に図・写真掲載。
- 【資料2】 天保13年(1842年) 古金銀を保字金銀に引替請書 資料館寄託 上馬場濱野昭家文書90 ※翻刻は『八潮市史 史料編 近世1』史料89。
(解説は後日掲載)
近代・現代の元号
明治改元
(解説は後日掲載)
新貨幣「円」の誕生と元号
- 【資料1】 明治4年(1871年) 新貨条例 資料館所蔵 大曽根村文書357
- 【資料2】 明治5年(1872年) 明治通宝見本(写) 資料館寄託 上馬場濱野昭家文書1899(「埼玉県御用帳」)より ※『「蔵書」の世界』10ページに写真掲載。
(解説は後日掲載)
大正改元
- 【資料1】 明治45年(1912年)7月30日午後7時 明治天皇崩御につき謹慎の件通達 資料館所蔵 公文書5595 「庶務部 報告往復 県郡報告事項往復書」 291
- 【資料2】 大正元年(1912年)7月30日(31日を訂正) 大正改元周知の件通達 資料館所蔵 公文書5595 同上 292 ※翻刻はこちら(PDF)
- 【資料3】 明治45年(大正元年、1912年)度 潮止尋常高等小学校校務日誌 資料館所蔵 潮止小学校文書100
(解説は後日掲載)
『新編武蔵風土記(稿)』に登場する浮塚村の「大正寺」とは?
- 【資料】 『新編武蔵風土記』巻204 国立公文書館所蔵 請求番号173-0210(国立公文書館デジタルアーカイブ) ※『大日本地誌大系』は第10巻161ページ。
(解説は後日掲載)
昭和改元
- 【資料1】 昭和2年(1927年)1月3日 『潮止月報』第63号 資料館所蔵 公文書6363 ※第63号の全文は『八潮市史 史料編別巻』163~165ページ。
- 【資料2】 大正15年(昭和元年、1926年)度 潮止尋常高等小学校日誌 資料館所蔵 潮止小学校文書94
- 【資料3】 「大正16年」(昭和2年、1927年)1月1日発行 『八條教壇』第6号 八條清勝院文書4871(第1~6号) 資料館所蔵複製本CH1754
資料1は、潮止村で刊行されていた広報紙の『潮止月報』(毎月3日発行)です。最上段の黒枠で囲まれている部分には、大正天皇崩御に関連する記事が掲載されています。大正天皇が崩御されたのは、大正15年(1926年)12月25日午前1時25分です。直ちに皇太子裕仁(ひろひと)親王(昭和天皇)が皇位を継承されました。改元については、次の通り記載されています。
改元
大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス
大正15年(1926年)12月25日から「昭和元年」となりましたが、年末だったために「昭和元年」は僅か1週間という短い期間でした。
(資料2・3の解説は後日掲載)
会計年度の名称は「大正15年度」? 「昭和元年度」? 「大正15年・昭和元年度」?
- 【資料】 昭和2年(1927年)1月14日 改元につき会計年度の名称に関する件通知 資料館所蔵 公文書3134 「議事部」 28 「改元ニ付予算・決算其ノ他会計年度ノ名称ニ関スル件」
(解説は後日掲載)
昭和15年(1940年)は皇紀何年?
- 【資料】 昭和15年(1940年)3月3日 『潮止月報』第171号 『八潮市史 史料編別巻』390~391ページ
(解説は後日掲載)
平成改元
- 【資料】 文化9年(1812年) 『改正音訓 五経 書経 上』 資料館所蔵 八條岡田新一郎家文書266
昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分に昭和天皇が崩御され、直ちに皇太子明仁親王が即位されました。同日に新しい元号は「平成」と発表され、翌1月8日午前0時から「平成元年」となりました。平成の出典は、『史記』(漢籍、歴史書)の「内平外成(内平かに外成る)」と、『書経』(漢籍、儒教の経典)の「地平天成(地平かに天成る)」です。
資料は、『書経』に訓点を施した木版本で、赤枠で囲って示した箇所が「地平天成」です。ちなみに、読み方は「地平キ天成リ」とあります。
(参考)資料館が収蔵している新聞
大正以降の改元に関する資料としては、新聞も重要です。資料館が収蔵している新聞の概要はこちら
参考文献・ホームページ
- 蘆田伊人編集校訂・根本誠二補訂『大日本地誌大系16 新編武蔵風土記稿 第10巻』(雄山閣、1996年)161ページ
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)13、29ページ
- 所功編著『日本年号史大事典 普及版』(雄山閣、2017年)
- 所功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』(文藝春秋、2018年)
- 八潮市教育委員会編集発行『八潮の金石資料』(1976年)「中世編」
- 八潮市立資料館編集発行『第37回企画展 「蔵書」の世界―広がる書物と在村文化―』(2017年)
- 八潮市立資料館編集発行『大地に刻まれた足跡~八條遺跡 千年のときをこえて~』(2014年)
- 八潮市立資料館編集発行『第40回企画展 明治150年記念展示1 村人たちの御一新―幕末・維新の八潮地域―』(2018年)
- 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第407集 八條遺跡 中川右岸改修事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告』(埼玉県埋蔵文化財調査事業団、2013年)51~52、67ページ、図版23
- 『八潮市史 史料編 近世1』(八潮市役所、1984年)史料10・89・184
- 『八潮市史 史料編 近世2』(八潮市役所、1987年)史料43
- 『八潮市史 史料編 古代・中世』(八潮市役所、1988年)史料24・33・34
- 『八潮市史 史料編別巻 潮止月報・八潮だより』(八潮市役所、1979年)163~165、390~391ページ
- 『八潮市史調査報告書11 八潮の諸家文書目録1 』(八潮市役所、1985年)史料16
- 国立公文書館ホームページ
- 八潮市ホームページ
- ☆このページの平成31年(2019年)3月28日版(初版)はこちら
- ↑ 濱野昭家の「濱」は、正しくは異体字の「」(Unicode:U+6FF5)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では正字体の「濱」(常用漢字は「浜」)で表記しています。