『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:八潮村の成立(三村合併)(20151219版)
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
八潮村の成立(三村合併)〔やしおむらのせいりつ(さんそんがっぺい)〕は、昭和31年(1956年)9月28日、埼玉県南埼玉郡八條村・潮止村・八幡村の三村が合併して「八潮村」(現八潮市)が成立したこと(八條村のうち大字立野堀は、北足立郡草加町に編入)。
- ※「やしお」という地名等についてはこちら
目次 |
参考図
明治20年(1887年)2月版権所有届「埼玉県管内全図」(八潮周辺)
※朱書は、明治22年(1889年)4月の市制・町村制施行に伴う合併新町村。大正13年(1924年)「八條・八幡・潮止三ヶ村連合猟区略図」
※北が上になるように回転した画像。昭和29年(1954年)7月12日八汐村設置「申請書」(県知事宛)添付「合併村略図」
北が上になるように回転した画像。
- ※その他の図の画像については、「地図・絵図・航空写真にみる八潮周辺の変遷」等参照
近世の20か村から三村の成立までの沿革
- ※「八潮市#中世の荘郷以降八潮市の成立までの沿革」より抜粋
- ※近世以降については、「「八潮市沿革図(近世以降)」(PDF)」参照
解説
- ※「近代・現代」より抜粋
戦後、地方自治を大きな柱とした新憲法が公布され、政府は、適正な自治体経営に必要な町村規模を計画して、昭和28年(1953年)に町村合併促進法を公布した。八條・潮止・八幡の三村合併協議は、なかなか合意に至らなかったが、八條村大字立野堀地区(現草加市稲荷)を分離し、新村名は三村の頭文字をとって「八潮」とすることで合意し、昭和31年(1956年)9月28日に八潮村が誕生した。
(詳細な解説は準備中)
「八潮村設置申請書」(県知事宛)添付「理由書」(抄)
一、理由書
由来八幡村潮止村及び八條村は、概ね習俗慣例を同じくし、嘗〔かつ〕て徳川幕政時代は八條領と称し、同一領の治下にあり、爾来〔じらい〕その住民は常に交り、且生業及び縁戚関係等による人情味豊かな連絡往来があり、東に中川西に綾瀬川の流れに副〔そ〕い、実に因縁浅からぬ地域的存在であつた。
(後略)
昭和31年(1956年)9月「新村建設計画」にみる人口・戸数・面積等一覧表
現在人口 (人) |
現在戸数 (戸) |
面積 (平方キロメートル) |
都市的業態 (人) |
農業 (人) |
中学校 (校) | |
---|---|---|---|---|---|---|
新村 | 12,703 | 2,008 | 18.31 | 2,780 | 8,013 | 3 |
八條村※ | 3,533 | 539 | 5.62 | 363 | 2,843 | 1 |
潮止村 | 4,561 | 699 | 7.08 | 710 | 3,148 | 1 |
八幡村 | 4,609 | 770 | 5.61 | 1,707 | 2,022 | 1 |
注
- 昭和31年(1956年)9月19日提出・原案可決の八條村議会議案第31号「新村建設計画の策定について」(『八潮市史 史料編 現代1』史料221)による。
- 八條村は、大字立野堀を除く。
『潮止月報』「八潮村発足特集号」
参考文献・ホームページ
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2009年)4ページ
- 八潮市立資料館編集発行『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(2009年) ※PDFはこちら
- 『八潮市史 史料編 現代1』(八潮市役所、1985年)史料221・222
- 『八潮市史 史料編別巻 潮止月報・八潮だより』(八潮市役所、1979年)666~669ページ
- 昭和31年(1956)9月28日総理府告示第461号「町村の廃置分合」(『官報』第8928号)
関連項目
- 八潮市略年表
- 町制施行
- 八潮町・草加市境界変更(昭和42年)
- 大字の境界変更と小字の廃止(昭和44年)
- 市制施行
- 八潮市・草加市境界変更(昭和54年)
- 『広報やしお』第285号「垳川境界問題が解決」(PDF)
- 産業別就業者数
☆このページの平成24年(2012年)3月20日版(初版)はこちら