八條領
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
八條領〔はちじょうりょう〕は、近世の八潮市域が属していた地域名(領名)。武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡の南端に位置する35か村(現八潮市20か村・現草加市3か村・現越谷市12か村)によって構成されていた。
- ※17世紀半ばには山谷村〔さんやむら〕(のち東方村に合併)を含めて36か村。
- ※地名・姓氏名の「八條」の総説はこちら
- ※画像について、拡大表示したい場合や出典を確認したい場合は、画像をクリックしてください。
(左)慶長20年(元和元年、1615年) 上馬場村検地帳(八潮市指定文化財「慶長年間の検地水帳」)
- ※「武州騎西郡〔きさいぐん〕八条之内上馬場村」と記載。
目次 |
地図・絵図(小澤家絵図以外)
明治4年(1871) 廃藩置県直後の諸県図(現埼玉県域)
※近世の八條領の地域は、小菅県〔こすげけん〕・忍県〔おしけん〕。
※注意(脚注参照)[2]
- ※国絵図に描かれた八條領周辺については、「地図・絵図・航空写真にみる八潮周辺の変遷#近世」参照
- ※小菅県管内(一部は他藩県)の村々を領別に区分して描いている(一部の村々には戸籍区の数字も記入)明治4年(1871年)6月の絵図は、『草加市史 通史編 下巻』口絵参照
表
八條領35か村の一覧表
凡例
- 番号=『新編武蔵風土記稿』記載順(22までは上記「八條領36か村の図」の下郷、23以降は上郷)。
- 現在=現在の市名(大字・町名は略)。
- 領主=天保6年(1835年)「八条領村鑑〔はちじょうりょうむらかがみ〕」。「幕」は幕領(▲は小規模な新田などが幕領)、「旗」は旗本領、「忍」は忍藩領、「寺」は寺領。
- 八條用水=寛延3年(1750年)当時の八條用水路組合。
- 葛西用水普請=文政元年(1818年)の葛西用水普請議定書。
- 鷹場組合=寛政12年(1800年)頃の八條領鷹場組合。「八條村」は八條村触次〔ふれつぎ〕惣右衛門触下村々、「大瀬村」は大瀬村触次平蔵触下村々、「西方村」は西方村触次平内触下村々。
- 改革組合村=文政12年(1829年)の八條村(八條領)寄場組合〔よせばくみあい〕の小組合。「八條村」は八條村他2か村からなる小組合(以下同)。
- 助郷=享保11年(1726年)以降の日光道中定助郷。
番号 | 村名 | よみ | 現在 | 領主 | 八條用水 | 葛西用水普請 | 鷹場組合 | 改革組合村 | 助郷 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 八條村 | はちじょう | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 八條村 | |
2 | 鶴ケ曽根村 | つるがそね | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 八條村 | |
3 | 二町目村 | にちょうめ | 八潮 | 幕寺 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 八條村 | |
4 | 木曽根村 | きぞね | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 大瀬村 | 大瀬村 | |
5 | 川崎村 | かわさき | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 大瀬村 | 大瀬村 | |
6 | 伊勢野村 | いせの | 八潮 | 旗幕▲ | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大瀬村 | |
7 | 大瀬村 | おおぜ | 八潮 | 旗 | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大瀬村 | 千住宿 |
8 | 古新田 | こしんでん | 八潮 | 旗 | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大瀬村 | 千住宿 |
9 | 垳村 | がけ | 八潮 | 旗幕▲ | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大瀬村 | 千住宿 |
10 | 浮塚村 | うきづか | 八潮 | 旗幕▲ | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大曽根村 | 千住宿 |
11 | 大原村 | だいばら | 八潮 | 旗幕▲ | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大曽根村 | |
12※ | 大曽根村 | おおそね | 八潮 | 旗幕▲ | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大曽根村 | 草加宿 |
13 | 上馬場村 | かみばんば | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 大瀬村 | 大曽根村 | 草加宿 |
14 | 中馬場村 | なかばんば | 八潮 | 旗幕 | 下郷組 | 下郷 | 大瀬村 | 大曽根村 | 草加宿 |
15 | 西袋村 | にしぶくろ | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
16 | 柳之宮村 | やなぎのみや | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
17 | 後谷村 | うしろや | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
18 | 小作田村 | こさくだ | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 大瀬村 | 大曽根村 | 草加宿 |
19 | 松之木村 | まつのき | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
20 | 立野堀村 | たてのほり | 草加 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
21 | 伊草村 | いぐさ | 八潮 | 幕 | 下郷組 | 中郷 | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
22 | 青柳村 | あおやぎ | 草加 | 旗幕 | 下郷組 | 中郷※ | 八條村 | 後谷村 | 草加宿 |
23 | 麦塚村 | むぎづか | 越谷 | 忍幕▲ | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 柿木村 | |
24 | 伊原村 | いはら | 越谷 | 幕 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 柿木村 | |
25 | 蒲生村 | がもう | 越谷 | 幕 | ※ | 上郷 | 西方村※ | 登戸村※ | 草加宿 |
26 | 登戸村 | のぼりと | 越谷 | 幕※ | 上郷組※ | 上郷 | 西方村※ | 登戸村※ | 越ヶ谷宿 |
27 | 瓦曽根村 | かわらそね | 越谷 | 幕※ | ※ | 上郷 | 西方村※ | 登戸村※ | ※ |
28 | 西方村 | にしかた | 越谷 | 幕※旗寺 | 上郷組※ | 上郷 | 西方村 | 南百村 | ※ |
29 | 東方村 | ひがしかた | 越谷 | 忍幕▲ | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 南百村 | |
30 | 見田方村 | みたかた | 越谷 | 忍 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 南百村 | |
31 | 柿木村 | かきのき | 草加 | 忍 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 柿木村 | |
32 | 千疋村 | せんびき | 越谷 | 忍 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 柿木村 | |
33 | 別府村 | べっぷ | 越谷 | 忍 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 柿木村 | |
34 | 四条村 | しじょう | 越谷 | 忍 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 柿木村 | |
35 | 南百村 | なんど | 越谷 | 忍 | 上郷組 | 上郷 | 西方村 | 南百村 |
注
- 番号:『新編武蔵風土記稿』は、大曽根村の次に「大曽根新田」(平次右衛門組)立項。ただし、同書の埼玉郡の「総説」には、「八條領 合村三十五」と記載。
- 領主:登戸村・瓦曽根村・西方村の幕領代官は伊奈半左衛門。その他の幕領代官は山本大膳。
- 八條用水:蒲生村・登戸村(一部)・瓦曽根村・西方村(一部)は、四ヶ村用水組合に所属。
- 葛西用水普請:青柳村は、文化7年(1810年)の葛西用水普請の際には、「引分り」を願い出た「上郷」村々に加わっている。
- 中郷:上郷(上流・北)・下郷(下流・南)に対する「中郷」ではなく、「川通」に対する「中郷」の場合もある。
- 鷹場組合:蒲生村・登戸村・瓦曽根村は、紀伊家の御借場〔おかりば〕。
- 改革組合村:蒲生村・登戸村・瓦曽根村は、文政10年(1827年)時点の八條村寄場組合(32か村)には含まれない。
- 助郷:瓦曽根村・西方村は、享保11年(1726年)に越ヶ谷宿助郷免除。
鷹場組合 | 改革組合村 | 葛西用水普請 | 備考 |
---|---|---|---|
八條村(10か村) | 八條村(3か村) 後谷村(7か村) |
中郷(10か村) | 「八条領中組」(天保7年〈1836年〉の史料〈『八潮市史 史料編 近世1』史料114〉) |
大瀬村(12か村) | 大瀬村(6か村) 大曽根村(6か村) |
中郷(4か村) 下郷(8か村) |
|
西方村(13か村) | 柿木村(6か村) 南百村(4か村) 登戸村(3か村) |
上郷(13か村) | 文政3年(1820年)頃、触次は麦塚村吉兵衛に交代 |
葛西用水普請 | 領主 |
---|---|
中郷(14か村) | 幕(12か村) 幕寺(1か村) 旗幕(1か村)→主に幕領(青柳村以外) |
下郷(8か村) | 旗(2か村) 旗幕(6か村)→主に旗本領 |
上郷(13か村) | 忍(6か村) 忍幕(2か村)→8か村は主に忍藩領(忍藩の飛地の「柿木領」) 幕(4か村) 幕旗寺(1か村)→5か村は主に幕領 |
天保6年(1835年)8月「八条領村鑑」にみる八條領35か村の領主・石高・家数・人口の一覧表
区分 | 村名(村高) | 村数 |
---|---|---|
1,750石以上 | 蒲生村(1,829石余) | 1 |
1,500~1,750石 | 柿木村(1,633石余)・西方村(1,590石余) | 2 |
1,250~1,500石 | 八條村(1,429石余)・青柳村(1,291石余) | 2 |
1,000~1,250石 | 東方村(1,029石余) | 1 |
750~1,000石 | 鶴ケ曽根村(835石余) | 1 |
500~750石 | 木曽根村(693石余)・見田方村(683石余)・立野堀村(642石余)・大曽根村(602石余)・瓦曽根村(593石余)・ 伊原村(590石余)・大瀬村(530石余)・麦塚村(507石余)・二町目村(505石余) |
9 |
250~500石 | 川崎村(458石余)・千疋村(453石余)・四条村(369石余)・小作田村(322石余)・古新田(302石余)・大原村(299石余)・ 登戸村(289石余)・後谷村(277石余)・浮塚村(269石余)・中馬場村(264石余)・伊草村(258石余) |
11 |
250石未満 | 西袋村(240石余)・南百村(228石余)・上馬場村(212石余)・垳村(204石余)・伊勢野村(188石余)・ 松之木村(175石余)・柳之宮村(104石余)・別府村(44石余) |
8 |
注
- 寺院の小規模な朱印地の石高は含まれない。
- 35か村の平均は570石余。
八條領検地の一覧表
八條領35か村の明治以降変遷関係諸表
藩県の変遷 | 下郷22か村 | 上郷13か村 |
---|---|---|
武蔵知県事管轄→小菅県→埼玉県 | 全22か村 | 伊原村・西方村・蒲生村・登戸村・瓦曽根村・麦塚村(旧幕領の新田)・東方村(同) |
忍藩→忍県→埼玉県 | 麦塚村・柿木村・東方村・見田方村・南百村・千疋村・別府村・四条村 |
区 | 下郷22か村 | 上郷13か村 | 区務所 |
---|---|---|---|
埼玉県第1区 | 全22か村 | 麦塚村・伊原村・柿木村・東方村・見田方村・南百村・千疋村・別府村・四条村 | 草加宿(足立郡) |
埼玉県第2区 | 西方村・蒲生村・登戸村・瓦曽根村 | 越ヶ谷宿(埼玉郡) |
学区 (南埼玉郡) |
下郷22か村 | 上郷13か村 | その他 |
---|---|---|---|
第1学区 | 上馬場村・中馬場村・西袋村・柳之宮村・小作田村・大曽根村・大原村・浮塚村・ 垳村・大瀬村・古新田・南川崎村※・伊勢野村・木曽根村・二町目村 |
||
第2学区 | 八條村・鶴ケ曽根村 | ||
第3学区 | 立野堀村・南後谷村※・松之木村・伊草村※ | ||
第4学区 | 南青柳村※ | 伊原村・麦塚村 | |
第5学区 | 柿木村・千疋村・別府村・四条村 | ||
第6学区 | 東方村・見田方村・南百村 | ||
第8学区 | 西方村 | 1村 | |
第9学区 | 蒲生村・登戸村 | ||
第12学区 | 瓦曽根村 | 2宿村 |
注
- 川崎村・後谷村・青柳村は、明治12年(1879年)3月に「南○○村」と改称。
- 伊草村は、明治6年(1873年)2月頃には青柳村・伊原村・麦塚村と同組合の75番青柳学校。
連合戸長役場 合併新村 |
下郷22か村 | 上郷13か村 |
---|---|---|
松之木村連合 八條村 |
八條村・鶴ケ曽根村・小作田村・松之木村・伊草村・立野堀村 | |
伊勢野村連合 潮止村 |
二町目村・木曽根村・南川崎村・伊勢野村・大瀬村・古新田・垳村 | |
上馬場村連合 八幡村 |
上馬場村・中馬場村・大原村・大曽根村・浮塚村・西袋村・柳之宮村・南後谷村 | |
麦塚村連合 川柳村 |
南青柳村 | 麦塚村・伊原村・柿木村 |
見田方村連合 大相模村 |
西方村・東方村・見田方村・南百村・千疋村・別府村・四条村 | |
登戸村連合 蒲生村 |
蒲生村・登戸村・瓦曽根村 |
小澤家絵図
八潮市登録文化財「小澤家絵図」には、八條領を描いた絵図が多数存在する。
- ※西袋村小澤豊功〔おざわとよかつ〕の蔵書「綾瀬館文庫」についてはこちら
八條領絵図の一部
- 延宝8年(1680年) 西方村と八條村添堀築留所論裁許絵図(写) 水―1
- ※八條領全域の村名(領主別色分け)・川・用水(「本庄御上水」も)・道などが描かれている。
- ※村名(領主別色分け)・川・用水・堤・道・渡船場などが描かれている。
- 天保5年(1834年)頃 「八条用水筋鶴曽根村地内より西袋村綾瀬川迄〔まで〕新悪水路を限り八条領下郷村々麁絵図面〔そえずめん〕」 八―1(『八潮の古道』5ページなどに写真掲載)
- ※八條領の鷹場が御三卿〔ごさんきょう〕清水家の御借場となった(再度)折に作成された絵図と推定される。鶴ケ曽根村・小作田村・柳之宮村以南の村々記載。
- ※八條領35か村の村絵図は、『八潮市史 史料編 近世2』第3章第3節3に写真掲載。
参考文献・ホームページ
八潮市立資料館刊行物・収蔵文書
- 展示パンフレットなど
- 『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(2009年)
- 『八潮市立資料館第27回企画展展示解説パンフレット 八潮の古道―下妻街道と地域の歴史―』(2012年)
- 『開館25周年記念事業 第32回企画展 「村の開発と人々のくらし」~小澤家絵図を読み解く~ 展示案内パンフレット』(2014年)
- 『開館25周年記念事業 第33回企画展 八潮の御鷹場 いま甦る、将軍家・皇室の狩猟場―』(2015年)
- 『第41回企画展 明治150年記念展示2 近代日本の成立と八潮』(2019年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編1』(1989年)第3・4編
- 『八潮市史 通史編2』(1989年)第5編第1~4章
- 『八潮市史 史料編 近世1』(1984年)史料81・95・114・182
- 『八潮市史 史料編 近世2』(1987年)史料10・38、第3章第3節3
- 平井誠二「川崎村『御改革諸記録』」(『八潮市史研究』第6号、1987年)
- その他の資料館刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)33ページ
- 資料館収蔵文書
- 複製資料所蔵(画像データ) 小澤家絵図
その他
- 蘆田伊人編集校訂・根本誠二補訂『大日本地誌大系16 新編武蔵風土記稿 第10巻』(雄山閣、1996年)90、154~175ページ
- 小野文雄監修『日本歴史地名大系 第11巻 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)
- 工藤航平「近世後期の葛西用水八条領組合の組織的変遷と地域意識」(『文書館紀要』第19号、埼玉県立文書館、2006年)
- 越谷市教育委員会社会教育課編『越谷市史 続史料編 第2集』(越谷市教育委員会、1982年)36~43ページ
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 資料編19 近代・現代1 政治・行政1』(1988年)附録「埼玉県治一覧概表」
- 埼玉県教育委員会編『埼玉県史料叢書5 埼玉県史料五』(埼玉県、2001年)所収「管轄沿革考」
- 埼玉県教育委員会編『埼玉県史料叢書18 埼玉県布達集二』(埼玉県、2016年)史料478
- 埼玉県地方課編著『埼玉県市町村合併史 下巻』(埼玉県自治研究会、1962年)403~410、417~424、1013~1018ページ
- 草加市史編さん委員会編『草加市史 通史編 下巻』(草加市、2001年)口絵
- 高橋操「絵図から消えた村と道」(『八潮市郷土研究会紀要 跡標』15輯、2008年)
- 本間清利「文政改革組合村―武州越ヶ谷地域を中心として―」(『埼玉研究』第25号、1974年)
- 『広報やしお』第486号
- 『越谷市史 第5巻 史料3』(越谷市役所、1974年)史料124
- 『越谷市史 続史料編 第1集』(越谷市史編さん室、1981年)294~301ページ
- 『埼玉県市町村誌 第2巻』(埼玉県教育委員会、1972年)154~156ページ
- 『埼玉県市町村誌 第17巻』(埼玉県教育委員会、1979年)123~126、239~240ページ
関連項目
- ☆このページの令和2年(2020年)4月14日版はこちら