『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:村明細帳(20240222版)
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
村明細帳〔むらめいさいちょう〕は、近世の村勢要覧。
- ※資料番号の「濱野昭家[1]」は八潮市立資料館寄託 上馬場濱野昭家文書 、「小澤平吉家」は西袋小澤平吉家文書。CHは複製本。
- ※=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク
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目次 |
村明細帳と村鑑大概帳
「村明細帳」は、近世、領主が各村に命じて村の概況を報告させた帳簿。「村鑑〔むらかがみ〕」「村差出帳〔むらさしだしちょう〕」などとも呼ばれる。記載項目は、村高・反別 (面積)・人口・水路・農作物・寺社などで、領主が指定した。村の負担に関わることについては、誇張されていたり控え目に記されていたりする場合があるとされる。
「村鑑大概帳〔むらかがみたいがいちょう〕」は、享保6年(1721年)以降毎年、代官が作成して幕府に提出した帳簿。記載項目は、各村の村高・反別・水旱損〔すいかんそん〕の有無・人口・男女の稼ぎ・年貢米の津出し場など。
上馬場村の村明細帳(濱野昭家文書)
濱野昭家文書には上馬場村の村明細帳が複数存在する。『八潮市史 史料編』に翻刻が掲載されている享保10年(1725年)を中心に記述する。
享保10年(1725年)
- 資料番号:濱野昭家2
- 画像:
生業・助郷などに関する箇所
- 翻刻(上記画像):こちら(PDF)
- ※全翻刻→『八潮市史 史料編 近世1』史料27「上馬場村村鑑帳」
- 年代:享保10年(1725年)7月
- 表題:「武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡八条領上馬場村村鑑帳」(表紙)
- 差出:名主弥左衛門(濱野)・加兵衛、年寄七郎兵衛・甚左衛門
- ※上馬場村の名主については、「上馬場濱野昭家文書#濱野昭家」など参照
- 解説:享保10年(1725年)当時の上馬場村の概況を知ることができる史料である。伊奈半左衛門忠逵〔ただみち〕代官所が提出させたものであり、村鑑大概帳作成のためと考えられる。表紙の「享保六年」の「六」→「十」などのように記載が訂正されている箇所があり、享保6年(1721年)の控えに加筆したものではないかと推定される。記載内容を適宜整理して示すと下記の通り。
- 検地・村高・反別
- 検地:貞享元年(1684年)。
- 村高:211石余。
- 反別:25町5反余。内訳は田12町余・畑13町5反余。
- 生業
- 男女とも農業に従事。風雨の節や朝夕は、男は縄・俵・むしろを編むなどし、女は衣類の裁縫・洗濯、木綿の紡績・機織などをする。
- 前栽物〔せんざいもの〕(野菜)の丸漬瓜〔まるづけうり〕(シロウリ)を千住河原町(現足立区)へ出荷。江戸から干鰯〔ほしか〕や下肥を購入。
- 水旱損
- 概して旱損場(用水不足で日照りの被害を受けやすい場所)。
- 年によっては水損もある。
- 用悪水堀
- その他
その他
- 享保6年(1721年)
- 元文2年(1737年)
- 宝暦3年(1753年)/宝暦6年(1756年) ※表紙記載
- 天保2年(1831年)
- 出典:濱野昭家2767 「村明細帳」等綴〔つづり〕
- 備考:水損が多く、旱損もあると記載。用水は、「八条領大用水堀」と「葛西領大用水堀」から取水。紙漉〔かみすき〕業に課された冥加金〔みょうがきん〕(営業税)の記載がある。
天保6年(1835年)「八条領村鑑」
「八条領村鑑」参照
天保9年(1838年)八條領内幕領18か村差出明細帳
- 資料番号:小澤平吉家6 (CH1265)
- ※西袋村小澤豊功〔おざわとよかつ〕の蔵書「綾瀬館文庫」については、「綾瀬館文庫」参照
- 翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料88「各村差出明細帳」
- 年代:天保9年(1838年)3月
- 表題:「天保九御巡見ニ付村々より差出明細帳扣〔ひかえ〕」(表紙)
- 解説:幕領の村々に派遣された巡見使に提出された村明細帳(表紙には「村差出書上帳」と記載)の控え。八條領のうち幕領(山本大膳代官所)であった蒲生村(現越谷市)・伊原村(同)・青柳村(現草加市)・立野堀村(同)・伊草村・松之木村・小作田村・上馬場村・中馬場村・大曽根村新田・西袋村・柳之宮村・後谷村・八條村・鶴ケ曽根村・二丁目村・木曽根村・川崎村の18か村分。一部が幕領の村は、幕領分のみの明細帳である。
- ※天保9年(1838年)の巡見使は、11代将軍徳川家斉〔いえなり〕から12代将軍家慶〔いえよし〕への代替わりに際し派遣された。
- ※八條領のうち瓦曽根村(現越谷市)・西方村(同)・登戸村(同)も幕領(山本大膳代官所ではない)。
記載例1 上馬場村
主な記載内容は次の通り。
- 村高:本田211石余・上水跡新田1石余(計212石余)。
- 反別:本田25町5反余・上水跡新田1反余(計25町7反余)。
- 広さ:東西8町(約872メートル)・南北3町(327メートル)。
- 家数:28軒。
- 人数:155人。内訳は男81人・女74人・僧3人。
- 馬:3匹。
- 用水箱樋:1か所。
- 土橋:7か所。
- 鎮守:天神社・稲荷社。
- 寺院:觀音寺。
- 農業の間男女の業:縄・むしろ。
記載例2 中馬場村(幕領分のみ)
主な記載内容は次の通り。
- 村高:本田6石余・本所上水跡新田3石余・新田6石余(計15石余)。
- 反別:本田の田5反余・同畑7反余・本所上水跡新田5反余・新田1町1反余(計2町9反余)。
- 広さ:東西10町(約1.09キロメートル)ほど・南北4町(約436メートル)ほど(「内御料所(幕領)地飛々有之候〔これありそうろう〕」)。
- 家数:2軒。
- 人数:15人。内訳は男9人・女6人。
- 伏越樋:1か所。
- 土橋:1か所。
- 鎮守:諏訪社〔すわしゃ〕。
- 農業の間男女の業:縄・むしろ。
村明細帳に添付された村絵図
各村が提出した明細帳には、村絵図が添付されていた。八潮市登録文化財「小澤家絵図」に、18か村の絵図の控えがある(『八潮市史 史料編 近世2』史料82~99に写真掲載)。村境・田畑・屋敷・寺社・河川・用悪水路・堤防・道・橋などが描かれている彩色の絵図である。
一部が幕領であった中馬場村の場合は、村全体の絵図ではなく、幕領が点在した八條用水西側のみの図である。屋敷などの情報は、幕領中馬場村に該当する箇所に限定して記載されている。
その他の村明細帳(八潮市域)
「八潮市域の近世村落概況」には、村明細帳が紹介されている。『八潮市史』に翻刻が掲載されている村明細帳もある。
参考文献・ウェブサイト
八潮市立資料館の刊行物など
- 展示パンフレットなど
- 『第11回(生涯学習)企画展 解説図録 寺子屋―地域の情報センター―』(1995年)
- 『第28回企画展 治水―河川改修と用水開削―』(2012年)
- 『第29回企画展 資料にみるムラのくらし』(2013年)
- 『開館25周年記念事業 第32回企画展 「村の開発と人々のくらし」~小澤家絵図を読み解く~ 展示案内パンフレット』(2014年)
- 『第35回企画展 肥やしとトイレ~暮らしを支えたバックグラウンド~』(2016年)
- 『第39回企画展 埼玉県東部地区の交通~八潮の交通編~』(2017年)
- 『第49回企画展 水のカタチ―統べる・活かす・うるおう―』(2023年)
- 『絵図に見る八潮の歴史展』(2007年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編1』(1989年)557、570~571、615、618~619、723ページ、第3編第2章第2・3節、794~795、813~814ページ、第4編第3章第1~3・5節、1011、1031~1032、1040~1042ページ
- 『八潮市史 自然編』(1986年)597~598ページ
- 『八潮市史 史料編 近世1』(1984年)
- 解説13~14ページ
- 史料27 享保10年(1725年) 「上馬場村村鑑帳」
- 史料78 明和5年(1768年) 「川崎村村鑑」
- 史料88 天保9年(1838年) 「各村差出明細帳」
- 年表827、831、842ページ
- 『八潮市史 史料編 近世2』(1987年)
- 史料1 寛政2年(1790年) 「西袋村明細書上帳」
- 史料33 「綾瀬館文庫目録」
- 史料82 「八條村絵図」 ~ 史料99 「蒲生村絵図」
- 解説822~823、844ページ
- 萩原龍夫「八潮市域の近世村落概況」(『八潮市史研究』創刊号、1978年)
- 『八潮のふるさと新書1 小澤豊功』(八潮市、2001年)11、14、49~50、81~84、98~99、139ページ
- その他の資料館刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)33ページ
- 資料館収蔵文書
その他
- 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[2]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)「小物成」「除地」「冥加金」「村鑑大概帳」「村明細帳」
- 工藤航平『近世蔵書文化論―地域〈知〉の形成と社会』(勉誠出版、2017年)41ページ
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 第13巻』 (吉川弘文館、1992年)「村鑑大概帳」「村明細帳」
- 児玉幸多編『古文書調査ハンドブック』(吉川弘文館、1983年)97~99ページ
- 『越谷市史 続史料編(1)』(越谷市役所市史編さん室、1981年)192ページ
関連項目
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