『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:八十市(20120320版=初版)
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八十市(八條市)〔はちじょういち〕は、現在の八潮市大字八條付近にあったと考えられる中世の市場。
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解説
「武州文書」所収の「市場之祭文」から、「武州き西こふり八十」(武州騎西郡八條)と確認される。
この「市場之祭文」とは、市を開くにあたって神前で読み上げられた祭文であり、末尾には武蔵東部から下総〔しもうさ〕西部の地に所在した33か所の市場が挙げられており、八十市もそのひとつである。
「市場之祭文」は、原本が延文6年(1361年)9月9日付とされるが、実際には戦国時代の岩付〔いわつき〕太田氏の勢力圏(岩付領)にあった市を明記したものといわれている。
八十市は、この地域が中川の舟運、小金道〔こがねみち〕(八條・彦名〔ひこな〕・流山〔ながれやま〕・小金を結ぶ道)や矢古宇道〔やこうみち〕(八條・青柳・矢古宇と連絡する道)などの古道の分岐点に位置する交通の要衝の地であったことにより、流通が発展したと考えられる。
参考文献・ホームページ
- 井上恵一「第5章 中世武蔵の社会と生活・第3節 諸産業の発達・3 商業」(埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編2』 1988年)907~912ページ
- 遠藤忠「第2編 中世の八潮・第4章旧利根川流域の農民と舟運・第3節 流域の小商品活動」(八潮市史編さん委員会編『八潮市史 通史編1』 八潮市役所 1989年)431~435ページ
(功刀俊宏)