市場之祭文

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「市場之祭文」にみる市場分布図
中世後期八潮市域周辺の荘郷・市・道・河関

 「市場之祭文〔いちばのさいもん〕」は、八潮市域に存在した八十市が登場する中世史料。

解説

 「武州文書」所収。翻刻は『八潮市史 史料編 古代中世』史料452。
 「市場之祭文」は、中世祭祀〔さいし〕に使用された祈願文の一種であり、市を開くにあたって神前で読み上げられた祭文。祭文形式による祝詞が記されており、中世において市を開くにあたり、その無事と繁盛を祈るために作成され、恒例の市祭の際に山伏などの修験〔しゅげん〕者によって願文として読み上げられたものである。天竺〔てんじく〕(インド)・唐土(中国)をはじめ日本各地にたてられた市やその功徳が述べられている。
 作成された時期については、本文の記載に従うと、延文6年(1361年)9月9日に作成されたものを、応永22年(1415年)7月20日に転写した南北朝期となる。しかし、明らかに室町末期に発展した市場名もあることから、室町末から戦国時代の岩付〔いわつき〕太田氏の勢力圏(岩付領)にあった市を明記したものと言われている。その一方で、これらの市が氷川神社〔ひかわじんじゃ〕と牛頭天王社〔ごずてんのうしゃ〕のあった村々であること、この祭文に足立郡氷川大明神のことが記されている記述があることから、大宮(現さいたま市)氷川神社に関係する修験者の活動範囲を示すとの見解も出されている。いずれにしても、「市場之祭文」から見られる広範な市の分布は、中世後期以来の商品流通の発展を反映しているものと思われる。
 末尾には、市祭が行われた武蔵国東部から下総国西部の地に所在した33か所の市場が挙げられている。それらの市場は、主に埼玉県中南部に集中しており、市域では「八十市」すなわち八條市が記載され、この地域が中世に一集落を形成していたことが知られる。周辺の市場名としては、伊久宇〔いこう〕(現足立区伊興)・花和田(現三郷市花和田)・彦名〔ひこな〕(現三郷市上彦名)・吉河(現吉川市吉川)などが挙げられている。

参考文献・ホームページ

  • 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』全15巻・17冊(吉川弘文館、1979年~1997年)
  • 杉山正司「中世末武蔵東部の市における諸問題―岩付を中心として―」(『埼玉県立博物館紀要』7、1981年)
  • 『新編埼玉県史 通史編2 中世』(埼玉県、1988年)907~912ページ
  • 『八潮市史 史料編 古代中世』(八潮市役所、1988年)史料452(424~427ページ)
  • 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)431~435ページ

(功刀俊宏)

 ☆このページの平成24年(2012年)8月10日版(初版)はこちら

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