『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:原始・古代(20190525版)

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縄文時代前期の奥東京湾図
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※注意(脚注参照)[1]
縄文時代後・晩期の奥東京湾と貝塚図
※注意(脚注参照)[1]

 原始・古代〔げんしこだい〕は、日本史の時代区分の呼称。

目次

原始・古代の定義

 『れきナビ』における原始・古代の定義は、『八潮市史』を踏襲している。

  • 原始:古代以前
  • 古代の始期:大和朝廷による関東制圧の及んだ4世紀
  • 古代の終期:12世紀末の院政期(治承・寿永の内乱以前)

八潮の原始・古代史概説―『八潮市の文化財ガイド』より―

水辺での生活の始まり<原始・古代>
 八潮市域は、今から6,000年前頃には奥東京湾と呼ばれる遠浅の海であったが、関東平野の隆起や河川が運んできた土砂の堆積などで、2,000年前頃までには陸地となり、河川沿いには自然堤防と呼ばれる微高地が形成されていった。市域に人々が住み始めた時期については明らかではないが、現在確認されている遺跡(八條殿社古墳氷川神社遺跡の五領式土器散布地)などから、遅くとも古墳時代(約1,500年前)頃には人々が生活を営んでいたものと推定される。
 中川綾瀬川が流れ込み、湿地の広がる市域では、川の流路沿いに発達した自然堤防上に人々が住み、湿地を開墾して生活を行っていたものと考えられる。市内柳之宮から出土した竪杵〔たてぎね〕は平安時代のもので、その頃の庶民の暮らしを物語っている。

参考文献・ホームページ

追記

関連項目

 ☆このページの平成24年(2012年)9月13日版はこちら

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