下河辺荘

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概要

 下河辺荘〔しもこうべのしょう〕は、江戸川西岸から古利根川東岸の地域に広がる荘園。その荘域は、八潮市域周辺にあり、幸手市・三郷市を含む埼玉県(埼玉県ホームページへリンク)北葛飾郡のほぼ全域と越谷市春日部市・旧岩槻市(現さいたま市岩槻区)などを含む南埼玉郡の一部、千葉県旧関宿町(現野田市)・野田市の一部、さらに茨城県旧総和町(現古河市)・五霞町及び古河市の一部などにまたがる極めて広大なものと推定される。
 下河辺の初見は、久安2年(1146年)8月10日の平常胤〔たいらのつねたね〕寄進状写に相馬御厨[みくりや]に接する「西限下河辺境(堺)」と見える。さらに「吾妻鏡」文治2年(1186年)3月12日条の「関東知行国内年貢未済荘園注文」に「八条院領下河辺荘」の記述がある。八条院は鳥羽上皇の第三皇女である八条院暲子内親王であり、その成立は平安末期に八条院に寄進されて成立した女院領と考えられる。
 同荘は河辺(下方とも古利根川の上流東岸部)、野方(同荘の北端部)、新方という三つの地域に分かれており、このうち新方は新たに開発された現在の岩槻(さいたま市岩槻区)・春日部・越谷市域と考えられている。さらに荘域内には赤岩郷(松伏町吉川市)、春日部郷(春日部市)、高柳郷(加須市高柳)、金井本郷(春日部市西金野井)をはじめとする多くの郷などの地名が確認されている。

秀郷流下河辺氏

 この下河辺荘の開発領主であり八条院へ寄進したと考えられる人物が、下河辺荘を名字地とする下河辺行義である。下河辺氏は藤原秀郷の流れをくみ、太田氏・小山氏と同族であった。行義は源頼政の郎党であり、その子である行平は、頼政の挙兵を頼朝に告げ〔「吾妻鏡」治承4年(1180年)5月10日条〕、治承・寿永内乱発生の当初から源頼朝方に参加した。そのため恩賞として「下河辺荘司(地頭)」を安堵[あんど]されている。
 その後も行平は平氏追討や奥州合戦で武勲をあげた。文治元年8月には播磨守護職を与えられ、建久6年(1195年)11月には、頼朝から源氏の門族に准じるという待遇が与えられる(「吾妻鏡」)等の動向が確認される。

下河辺氏から金沢氏、称名寺へ

 このように下河辺氏は現地を平安末期から支配していた。しかし、時期と事情は不明ながらも鎌倉中期頃には没落、もしくは北条氏の御内人なったとされる。衰退した下河辺氏に代わって北条氏の一族である金沢氏が同荘一帯に支配を及ぼすようになる。文永12年(1275年)には金沢実時による所領の譲状には下河辺荘の一部が譲与の対象としてあげられている。
 さらに実時が相模国六浦荘金沢(横浜市金沢区)に建立した称名寺には、金沢氏から下河辺荘内の諸郷が寄進されるようになった。称名寺への寄進は永仁4年(1294年)の「下河辺荘村々実検目録」において河辺の部分の寄進が確認され、さらに正慶元年(1332年)に金沢貞将によって河辺に含まれる赤岩郷が称名寺へ寄進されている。

南北朝期以降の下河辺荘

 その後、金沢氏は鎌倉幕府滅亡と共に滅び、金沢氏が所持した下河辺荘内の得分(利権)は没収されて足利氏のものとなり、至徳3年(1386年)には、室町幕府から鎌倉公方へ与えられたと言う。一方で下河辺荘内の赤岩郷は南北朝期以降も称名寺領として存続し、永享11年(1439年)3月の結解状[けちげじょう]では、赤岩郷が17ヶ村で成り立っていたことを知ることができる。ただし、称名寺領として確認されるのは、享徳元年(1452年)が最後であり、鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏との対立によって引き起こされた享徳の乱により支配が途絶えたものと推定される。
 その一方で同荘内の彦名関は鎌倉の鶴岡八幡宮領であり、応永26年(1419年)には鎌倉公方足利持氏が同関所への違乱を停止させている。また、古河公方家臣である梁田氏も同荘内に勢力を有し、文明8年(1476年)には下河辺荘内の桜井郷(幸手市の辺り)を支配していた。
 尚、下河辺荘は中世の荘園として消滅して以降、近世においても地名として残り、「新編武蔵風土記稿」によれば58ヶ村がこれに含まれたことが確認される。その地域は現在の春日部市・幸手市・旧栗橋町(現久喜市)・吉川市・松伏町・三郷市に相当する。

参考文献・ホームページ

  • 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)447~448ページ
  • 『新編埼玉県史 通史編2』(埼玉県、1988年)768~771ページ
  • 『千葉県の歴史 通史編 中世』(千葉県、2007)188~189ページ
  • 『日本歴史地名大系 第11巻 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)1060~1061ページ
  • 『三郷市史 第6巻 通史編Ⅰ』(三郷市、1995年)206~210・235~242・255~258・280・289~295ページ
  • 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)244~248ページ

(功刀俊宏)

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