河関
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
河関〔かわぜき〕は、河川に設置された関所。ここでは、中世の河関について述べる。
中世の関所・河関
中世の関所は、警察や軍事上の理由で設置されたものは少なく、経済的な理由によって設置されることが多かった。経済的な理由による関所では、通過に際し関銭(通過料)が徴収された。
関所を設置した主体は、その領域を支配する荘園領主や地域の領主層であった。関銭徴収の当初の目的は、河海関係の施設費(港と河岸)・警固費・河川面の利用料などが挙げられる。しかし、荘園制衰退に伴い、農作物や商品などの代替財源として、関所が競って設置されるようになった。特に増加を見たのは、南北朝期の動乱を経た室町時代中期であり、淀川〔よどがわ〕では長禄元年(1457年)頃、最高で400か所を数えたとされる。関所により物資の流通が阻まれ、関銭が商品に転嫁されるため、物価の高騰を招いた。近世以降、円滑な商品流通の促進を図るため、経済的な理由による関所の多くは廃止された。
このように関所は、交通や流通の阻害要因となった。その一方で、河川に設置された河関は、水路面利用ばかりではなく、渡河地や門等の舟運基地としての発達も見られた。
八潮市域周辺の河関
八潮市域周辺にあった古利根川(中川)等の河関としては、鶴ケ曽根関(現八潮市鶴ケ曽根)・大堺関(現八潮市大瀬と推定される)・戸崎〔とがさき〕関(現三郷市戸ケ崎)・彦名〔ひこな〕関(現三郷市上彦名)・猿俣〔さるがまた〕関(現東京都葛飾区)・行徳関(現千葉県市川市)・長島関(現東京都江戸川区)・御厩領〔みまやりょう〕関(現春日部市花積)などが挙げられる。
参考文献・ホームページ
- 遠藤忠「古利根川の中世水路関」(『八潮市史研究』第4号、1982年)
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』全15巻・17冊(吉川弘文館、1979年~1997年)
- 三郷市史編さん委員会編『三郷市史 第6巻 通史編1』(三郷市、1995年)269~280ページ
- 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)438~441ページ
(功刀俊宏)
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