風早荘

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 風早荘〔かざはやのしょう〕は、中世の下総国葛飾郡〔かつしかぐん〕にあった香取神宮領の荘園

解説

 風早荘の荘域は、千葉県松戸市北部から流山市西部付近に推定される地域。さらに戸崎〔とがさき〕(関)(現三郷市戸ケ崎)・大堺(関)(現八潮市大瀬)といった三郷市域や八潮市域の周辺部も含むとも考えられる。
 鎌倉期の史料には「風早郷」として確認され、南北朝期以降の史料に「風早荘」として確認される。
 戸崎と大堺の両河関は、香取社灯油料所として南北朝期の史料に見られる。これは、香取社の祭祀〔さいし〕に伴う灯油料を徴収するためのものであり、臨時的な徴収ではなく、恒常的なものである。
 そのうち大堺については、至徳4年(1387)の「大中臣長房譲状」(「大禰宜〔おおねぎ〕家文書」)によると、「かさはやの志〔し〕やうのうちとかさきならひニ大さかへ」と記されている「大さかへ」が、大堺に相当するものと考えることができる。つまり大堺は風早荘に属していたと長房はとらえている。
 大堺関(大瀬)は、古利根川(中川)の西側(右岸)、戸崎関の対岸に位置していた。近世には武蔵国埼玉郡に属し、彦名〔ひこな〕(現三郷市上彦名)の対岸にある八條(大瀬の上流)は、大河戸御厨内(武蔵国足立郡・騎西郡)にあった。中世以来、古利根川の西側は、武蔵国であったと考えられる。風早荘の荘域が武蔵国内にまで及んでいなかったとするならば、大堺を風早荘とするのは間違いであって、戸崎が風早荘に属していたのに引きずられて、長房は大堺も風早荘と認識したとも考えられる。

参考文献・ホームページ

  • 遠藤忠「古利根川の中世水路関」(『八潮市史研究』第4号、1982年)
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(角川書店、1984年)240ページ
  • 千葉県史料研究財団編『千葉県の歴史 通史編 中世』(千葉県、2007年)674~677ページ
  • 三郷市史編さん委員会編『三郷市史 第6巻 通史編1』(三郷市、1995年)225~226ページ
  • 八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)442~446ページ

(功刀俊宏)

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