騎西荘
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騎西荘〔きさいのしょう〕は、近世に編さんされた『新編武蔵風土記稿』で確認される荘名(地名)。
解説
騎西荘は、『新編武蔵風土記稿』によれば騎西町(現埼玉県加須市〔かぞし〕)より起こった荘名とし、「私市荘」とも書くとするが、中世の史料では騎西荘を確認することはできない。そのため中世の荘園そのものを指さず、中世末期頃から用いられた地名と考えられる。この地名には、八潮市域の大曽根村を含めて埼玉県下で44か村が属した。これは現在のさいたま市岩槻区〔いわつきく〕・白岡市・蓮田市〔はすだし〕・越谷市・八潮市の一部に相当する。
一方で「騎西」の地名は、寄西・奇西・崎西・埼西とも書く。その由来は皇后領の私市部〔きさいちべ〕にあり、武蔵七党の一つとされる私市党が当地を中心に勢力を張ったことによるという。中世には私市城(現加須市〈旧騎西町〉根小屋)があり、この城は根小屋城・山根城とも言われた。『新編武蔵風土記稿』では、武家地を根小屋と呼び、市の地を騎西町と呼称したという。
参考文献・ホームページ
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)304ページ
- 小野文雄監修『日本歴史地名大系 第11巻 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)104、878~882ページ
(功刀俊宏)
関連項目
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