『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:慶長8年・10年中馬場村年貢割付状(伊奈忠次)(20200808版=初版)
慶長8年・10年中馬場村年貢割付状(伊奈忠次)〔けいちょうはちねんじゅうねんなかばんばむらねんぐわりつけじょう(いなただつぐ)〕(慶長8年=1603年)は、八潮市立資料館収蔵(寄託)の古文書。伊奈備前守〔びぜんのかみ〕忠次は、 近世初期の八潮市域(八條領)を支配した代官頭。
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目次 |
年貢および年貢割付状とは
- 年貢は、領主が年ごとに収奪した貢租のこと。近世には、通常は検地帳に登録された田畑や屋敷地などに賦課された税をさす。年貢の中心は米であったが、銭などが徴収されることもあった。
- 年貢割付状は、領主が村単位に決定した年貢額を通達した文書。村では、これに基づいて各村民に納入額を割り当てた(「名寄帳」も参照)。
慶長8年(1603年)中馬場村年貢割付状
★資料館常設展示の古文書(実物)の中では最も古いもの。
- 文書番号:中馬場石井明家文書2
- 表題:「卯年可納御年貢わり付之事〔うのとしおさむべきおねんぐわりつけのこと〕」
- 年月日:「卯十月十二日」(裏に「慶長八卯」と記載)→慶長8年(1603年)10月12日
- 差出人:「伊 備前(花押)(黒印)」→伊奈備前守忠次
- 宛所:「中はんは名主・百姓中」→中馬場名主・百姓
- 画像
- 翻刻・読み下し文・現代語訳:こちら(PDF)
- ※翻刻・読み下し文は注付。
- ※翻刻は『八潮市史 史料編 近世1』史料2にも収録。
- 解説
徳川家康が征夷大将軍に就任して江戸幕府を開いた年に出された年貢割付状。田の年貢は米で66石4升、畑と屋敷の年貢は銭で4貫12文〔もん〕(1貫=1,000文)、納期は11月20日。年貢額の算定方法は、地目・等級別に1反あたりの年貢額を決め、それを課税面積に掛ける反取〔たんどり〕法が採用されている。課税面積は、水損地などの免税面積が差し引かれた面積である。田畑屋敷の面積は計29町4反〔たん〕9畝〔せ〕21歩〔ぶ〕、田畑の比率は48対52。なお、石高(村高)は記載されていない。
- 田の面積・免税面積・課税面積・年貢額一覧表
面積 | 免税面積 | 課税面積 | 年貢額(米) | 同1反あたり | |
---|---|---|---|---|---|
上田 | 1町7反5畝24歩 | 1町7反5畝24歩 | 10石5斗〔と〕2升8合 | 6斗 | |
中田 | 4町6畝11歩 | 4町6畝11歩 | 20石3斗2升 | 5斗 | |
下田 | 8町6畝18歩 | 井溝引2反5畝(約3パーセント) | 7町8反1畝18歩 | 35石1斗7升2合 | 4斗5升 |
計 | 13町8反8畝23歩 | 井溝引2反5畝(約2パーセント) | 13町6反3畝23歩 | 66石4升 |
- ※「井溝引」については後述。
- 畑屋敷の面積・免税面積・課税面積・年貢額一覧表
面積 | 免税面積 | 課税面積 | 年貢額(銭) | 同1反あたり | |
---|---|---|---|---|---|
上畑 | 1町1畝6歩 | 1町1畝6歩 | 708文 | 70文 | |
中畑 | 1町7反3畝18歩 | 1町7反3畝18歩 | 867文 | 50文 | |
下畑 | 12町1反19歩 | 水損引6町5反(約54パーセント) | 5町6反19歩 | 1貫682文 | 30文 |
畑計 | 14町8反5畝13歩 | 水損引6町5反(約44パーセント) | 8町3反5畝13歩 | 3貫257文 | |
屋敷 | 7反5畝15歩 | 7反5畝15歩 | 755文 | 100文 | |
畑屋敷計 | 15町6反28歩 | 水損引6町5反(約42パーセント) | 9町1反28歩 | 4貫12文 |
慶長10年(1605年)中馬場村年貢割付状
- 文書番号:石井家文書3
- 表題:「巳年可納割付之事〔みのとしおさむべきわりつけのこと〕」
- 日付:「巳拾月廿〔にじゅう〕一日」(裏に「慶長十年巳」と記載)→慶長10年(1605年)10月21日
- 差出人:「伊 備前(花押)(黒印)」→伊奈備前守忠次
- 宛所:「中馬場名主・百姓中」
- 写真:『八潮市史 史料編 近世1』口絵
- 翻刻:同書史料4など
- 解説
田の年貢は米で4石3斗6升、畑と屋敷の年貢は銭で1貫160文、納期は上記と同じ11月20日。上記の年貢額と比較すると、米は9割以上、畑は7割近く減少している。これは水害(同年8月関東洪水)による減税で、多くの面積が水損引(免税地)となり、1反あたりの年貢額も減額されている。田畑屋敷の面積は上記と変わらず、石高が記載されていない点も上記同。
- 田の水損引面積・課税面積・年貢額一覧表
水損引面積 | 課税面積 | 年貢額(米) | 同1反あたり | |
---|---|---|---|---|
上田 | 1町5反5畝24歩(約88パーセント) | 2反 | 4斗6升 | 2斗3升 |
中田 | 3町5反6畝11歩(約88パーセント) | 5反 | 9斗 | 1斗8升 |
下田 | 5町5反6畝18歩(約69パーセント) | 2町5反 | 3石 | 1斗2升 |
計 | 10町6反8畝23歩(約77パーセント) | 3町2反 | 4石3斗6升 |
- 畑屋敷の水損引面積・課税面積・年貢額一覧表
水損引面積 | 課税面積 | 年貢額(銭) | 同1反あたり | |
---|---|---|---|---|
上畑 | 7反1畝6歩(約73パーセント) | 3反 | 75文 | 25文 |
中畑 | 1町3反3畝18歩(約77パーセント) | 4反 | 80文 | 20文 |
下畑 | 9町6反19歩(約79パーセント) | 2町5反 | 250文 | 10文 |
畑計 | 11町6反5畝13歩(約78パーセント) | 3町2反 | 405文 | |
屋敷 | 7反5畝15歩 | 755文 | 75文 | |
畑屋敷計 | 11町6反5畝13歩(約75パーセント) | 3町9反5畝15歩 | 1貫160文 |
- ※屋敷以外の課税面積については、いずれも反未満の端数がない。水損引面積の数字が調整されているとみられる。
「いミそ(井溝)」「セき(堰)水いかり」「もへ(萌)田」
「いミそ(井溝)」
慶長8年(1603年)の年貢割付状によると、下田のうち2反5畝が「いミそニ引」として免税地となっている。「いミそ」=「井溝」(用水路)で、元は田であった土地が用水路の敷地となったことを意味すると考えられる。用水路が造成された年は、慶長8年(1603年)とは限らず、それ以前の可能性もある。
「井溝」については、以下の説があるが、詳細は不明である。
- ※『生活の中の用水』の「八潮の水利史年表」によると、慶長8年(1603年)に「灌漑〔かんがい〕水路の開削状況が記録」(年貢割付状)、慶長18年(1613年)に「瓦曽根溜井〔かわらそねためい〕新設、葛西井堀を開削」とある(八條用水の水源は瓦曽根溜井)。
「セき(堰)水いかり」
慶長8年(1603年)の年貢割付状に「セき水いかりニ引」、慶長10年(1605年)の年貢割付状に「セきいかりニ引」などの記載がある。これらは洪水(水損)による免税地を意味すると考えられる。「セき」=「堰」と考えられ、「井溝」との関連も想定される。
「もへ(萌)〔もえ〕田」
慶長10年(1605年)の年貢割付状に「もへ田」の記載がある。「もへ田」=「萌田」で、「いかにも水中に浸〔つ〕かっている間に芽が出てしまって収穫が得られない状態をよく表現している語」(『関東郡代伊奈氏の研究2』283ページ)とされる。
参考
慶長5年(1600年)・8年(1603年)上馬場村年貢割付状
- 写真・翻刻は、『関東郡代伊奈氏文書展』32ページなどに掲載。
- 慶長5年(1600年)上馬場村年貢割付状は、伊奈忠次の家臣が出したもので、忠次関係の年貢割付状としては現存最古のものとされる。
- 慶長8年(1603年)上馬場村年貢割付状の年月日・差出人・様式は、同年の中馬場村と同じ。「いミそニ引」と「セき水いかりニ引」の記載がある。
面積と米の単位
- 面積の単位
- 1町=10反(段) =約99.17アール(9,917平方メートル)→ほぼ1ヘクタール
- 1反=10畝
- 1畝=30歩(坪)→ほぼ1アール
- 1歩(坪)=6尺(1間)平方=約3.306平方メートル
- 米の単位(容積)
- 1石=10斗
- 1斗=10升
- 1升=10合=約1.8リットル
参考文献・ホームページ
八潮市立資料館刊行物・収蔵文書
- 展示パンフレットなど
- 『第19回企画展 生活の中の用水~合同葛西用水展~』(2001年)
- 『八潮市立資料館第30回企画展 展示解説パンフレット 八潮の災害史―先人に学ぶ江戸時代から現代まで―』(2013年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編1』(1989年)547、557~560、704、706ページ、第3編第1章第7節、781~784、1011ページ
- 『八潮市史 自然編』(1986年)63、639ページ
- 『八潮市史 民俗編』(1985年)124~125、1113ページ
- 『八潮市史 史料編 近世1』(八潮市役所、1984年)解説12~13ページ、史料1・2・4
- 『八潮市史 史料編 近世2』(八潮市役所、1987年)史料44、解説834、838~839ページ
- 資料館収蔵文書
- 寄託 中馬場石井明家文書2・3
その他
- 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[1]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)「反取」「年貢」「年貢割付状」
- 和泉清司編『伊奈忠次文書集成』(文献出版、1981年)142・415・416・492
- 伊奈町教育委員会編『伊奈町史 別編 伊奈氏一族の活躍』(埼玉県伊奈町、2008年)12、105~106ページ
- 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究』(2004年)33~34、39~40、42~43、49~50、59、84~85、100ページ
- 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究2』(2009年)161~163、173、197、217、240、242、254~256、280~283、318~320、376~377ページ
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編3 近世1』(1988年)435ページ
- 埼玉県立文書館編集発行『平成2年度特別展解説 関東郡代伊奈氏文書展』(1990年)8~9、32、67ページ
- 杉山博・萩原龍夫編『新編 武州古文書 下』(角川書店、1978年)368~370ページ
関連項目
- ↑ 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。