現代の八潮
現代の八潮〔げんだいのやしお〕の概要は以下の通り。
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目次 |
時代区分の現代と年表
時代区分の「現代」は、昭和20年(1945年)8月15日の終戦後の時代である。
昭和22年(1947年)撮影空中写真にみる八潮(三村)とカスリーン台風
占領期の昭和22年(1947年)に撮影された空中写真を見ると、八條村・潮止村・八幡村の三村からなる市域は、水田が広がる農村地帯であった。
同年のカスリーン台風による大水害では、中川流域の八條村・潮止村を中心に大きな被害を受けている。
文政12年(1829年)~ 人口の推移
※昭和22年(1947年)の人口は1万1,852人。
★カスリーン台風の詳細は(参考文献)『記憶をつなぐ カスリーン台風と八潮』参照
八潮村の誕生
昭和28年(1953年)、町村合併促進法が公布された。三村の合併協議はなかなか合意に至らなかったが、草加との合併を希望する住民の多い八條村大字立野堀を分離し、新村名は三村の頭文字から「八潮」とすることでまとまり、昭和31年(1956年)9月28日に八潮村が誕生した。
八潮村長 恩田理三郎
★詳細は下記参照
- 「八潮村の成立(三村合併)」
- (参考文献)『八潮が生まれた日』
市制施行
誕生までに様々な経緯をたどった八潮であったが、都心から20キロメートル圏内という立地もあり、その後の高度経済成長による工場の進出や急激な人口増加により発展を続け、昭和39年(1964年)に町制施行、昭和47年(1972年)には市制を施行した。
★詳細は下記参照
- 「八潮誕生後の歩み―農村から工業・住宅都市へ―」
- 「八潮村の時代の歩み」
- 「町制施行」
- 「八潮町の時代の歩み」
- 「市制施行」
市制施行後の発展
市制施行後、首都高速道路の開通や区画整理事業による都市基盤の整備、平成17年(2005年)のつくばエクスプレスの開業などにより、まちの様相は大きく変化している。
★詳細は下記参照
- 「八潮市の時代の歩み1」
- 「同2」
- 「同3」
学校
市域に3校あった国民学校は、昭和22年(1947年)に新制小学校に移行した。小学校は、人口増加に伴い昭和44年(1969年)以降続々と新設され、昭和54年(1979年)には10校となった。
昭和22年(1947年)の新制中学校発足に伴ない、市域にも中学校が3校誕生した。中学校は、八潮誕生後1校に統合された時期もあったが、その後増設されて昭和55年には5校となった。
高校は、昭和48年(1973年)に県立八潮高校、昭和59年(1984年)に同八潮南高校が開校した。
★詳細は「学校(小中高校)」「学校年表(小中高校)」参照
参考文献・ホームページ
- ※本文の典拠として特に重要なもの、および参照先として示した文献に限定した。
八潮市立資料館刊行物
- 展示パンフレットなど
- 『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(2009年)
- 『第38回企画展 記憶をつなぐ カスリーン台風と八潮』(2017年)
- その他の資料館刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)4ページ
その他
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)1159~1160ページ