『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:『れきナビ』講座:八潮の資料で学ぶ 元号(年号)(20210504版)

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 元号(年号)に関連する八潮の資料―板碑古文書公文書・その他―を紹介・解説します(一部資料は画像掲載)。

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目次

改訂済

日本の元号(年号)の年代順一覧

 こちら(西暦対照や読み方も記載)

近世の元号

「禁中並公家諸法度」の改元規定

【関連資料】

  • 慶長20年(元和元年、1615年)7月 禁中並公家諸法度〔きんちゅうならびにくげしょはっと〕 資料館寄託 上馬場濱野昭家文書[1]2230(法度等写)
※翻刻(抜粋)はこちら

 江戸幕府は、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした直後に、天皇と公家を規制する「禁中並公家諸法度」を定めました。第8条では、改元について次の通り規定しています。

(書き下し文)改元は、漢朝年号の内、吉例を以〔もっ〕て相定むべし、但し重ねて習礼相熟するに於〔おい〕ては本朝先規の作法たるべき事
(意訳)改元は、中国の元号の中から吉例にかなうものを新元号に選定すること。ただし、改元の儀礼に習熟できたら、古くからの作法に従って改元すること。

 法度制定と同月の慶長20年(1615年)7月13日には、「元和」と改元されています。中国の唐の時代の元号に「元和」(元年=806年)があり、これが新元号に選ばれたのです。次の「寛永」改元(1624年)以降は、中国の元号がそのまま新元号に採用されることはなく、古くからの作法に従って改元されています。もっとも、改元には幕府が干渉しています。

「安政」改元と異国船渡来

 幕末の嘉永7年11月27日(1855年1月15日)、「安政」と改元されました。改元理由の「災異」として、火事・地震に加えて、異国船の渡来も挙げられている点が注目されます。

【関連資料】

  • 嘉永7年(安政元年、1854年)正月 アメリカ船渡来につき寺社奉行触書 八條清勝院文書938 資料館所蔵複製本CH1561
※『村人たちの御一新』(第40回企画展)4ページに写真掲載。翻刻は『八潮市史 史料編 近世1』史料184。 

 ペリーの再来航に関連する文書です。

近代・現代の元号

「明治」改元と貨幣

 慶応4年(1868年)9月8日(新暦10月23日)、「明治」と改元されました。明治天皇の代始改元です。改元と同時に、天皇1代に1元号とする「一世一元の制」が定められました。

※『村人たちの御一新』9ページに、改元布告(国立公文書館所蔵『太政官日誌〔だじょうかんにっし〕』)の写真掲載。

【関連資料】

  • (1)明治4年(1871年) 新貨条例 資料館所蔵 大曽根村文書357
※内容は、国立国会図書館デジタルコレクションの「新貨条例:官版」と同じです。

 明治政府が制定した貨幣法です。新貨幣の呼称を「円」「銭」「厘」とし、金貨などに製造年(「明治何年」)を刻印することも定められました。

  • (2)明治5年(1872年) 埼玉県御用帳 資料館寄託 上馬場濱野昭家文書1899 
※『「蔵書」の世界』(第37回企画展)10ページに写真掲載。

 埼玉県からの文書などを書き留めたものです。新紙幣「明治通宝」の10円・5円・2円の見本も写し取られています。

「大正」改元

 明治42年(1909年)の「登極令〔とうきょくれい〕」第2条には、「天皇践祚〔せんそ〕(即位)ノ後ハ直〔ただち〕ニ元号ヲ改ム(後略)」と規定されています。明治45年(1912年)7月30日午前0時43分(実際は前日午後10時43分)、明治天皇が崩御され、直ちに皇太子嘉仁〔よしひと〕親王(大正天皇)が践祚されました。同日(30日)、新元号は「大正」と決定し、同日から「大正元年」となりました。

【関連資料】

  • (1)明治45年(1912年)7月30日午後7時 天皇陛下崩御につき謹慎の件通達 資料館所蔵 公文書5595「庶務部 報告往復 県郡報告事項往復書」 291(複製本CH387)

 潮止村長田中四一郎から区長宛の通達です。

  • (2)大正元年(1912年)7月30日 大正改元周知の件通達 資料館所蔵 公文書5595「庶務部 報告往復 県郡報告事項往復書」 292(複製本CH387)
※翻刻はこちら(PDF)

 同じく村長から区長宛です。「本日ヨリ元号ヲ大正ト改メラレ」とあります。なお、文書の日付は、「三十一日」が「三十日」に訂正されています。

  • (3)明治45年度(大正元年度、1912年度) 潮止尋常高等小学校校務日誌 資料館所蔵 潮止小学校文書100

 7月30日の記事を見ると、「本日ヨリ改元、大正」などとあります。

※『大日本地誌大系』は第10巻161ページ。

 江戸幕府が編さんした地誌です。浮塚村の項を見ると、「大正寺」という寺院があります。ただし、「八条領村鑑〔はちじょうりょうむらかがみ〕」(『八潮市史 史料編 近世2』史料38)や「寺明細帳」(『八潮市史 史料編 近代3』122ページ)には「大聖寺」とあり、同寺は明治41年(1908年)に長仙寺と合併して「大仙寺〔だいせんじ〕」となっています。

「昭和」改元

 大正15年(1926年)12月25日午前1時25分、大正天皇が崩御され、直ちに皇太子裕仁〔ひろひと〕親王(昭和天皇)が践祚されました。同日、新元号は「昭和」と決定し、同日から「昭和元年」となりました(昭和元年は1週間)。

【関連資料】

※第63号の全文は、『八潮市史 史料編別巻』163~165ページ。

 潮止村で刊行されていた広報紙です(毎月3日発行)。第63号1面最上段の黒枠で囲まれている部分には、大正天皇崩御に関連する記事が掲載されています。「改元」の箇所には、「大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為〔な〕ス」とあります。

  • (2)大正15年度(昭和元年度、1926年度) 潮止尋常高等小学校日誌 資料館所蔵 潮止小学校文書94

 12月26日の記事によると、埼玉県の知事官房から潮止村の巡査に電話で改元の知らせがあり、巡査から同校に伝達されたことがわかります。

  • (3)「大正16年」(昭和2年、1927年)1月1日発行 八條教壇 第6号 八條清勝院文書4871(第1~6号) 資料館所蔵複製本CH1754

 八條村仏教会発行の刊行物です。第6号の奥付を見ると、大正15年(1926年)12月20日(改元直前)印刷、「大正16年」1月1日発行と記載されています。

  • (4)昭和2年(1927年)1月14日 改元につき会計年度の名称に関する件通知 資料館所蔵 公文書3134「議事部」 28「改元ニ付予算・決算其ノ他会計年度ノ名称ニ関スル件」(複製本CH920)

 埼玉県から市町村への通知です。大正15年度(1926年度)の会計年度の名称について、改元に伴い「大正15年・昭和元年度」(原文は「大正十五年」と「昭和元年」を2行書き)として処理するよう指示しています。

(参考)皇紀

 皇紀(神武天皇紀元)は、神武天皇即位の年(西暦では紀元前660年)を起点とする紀年法です。

【関連資料】

  • 昭和15年(1940年)3月3日 潮止月報 第171号 『八潮市史 史料編別巻』390~391ページ

 紀元(皇紀)2600年を迎えたことに関する記事が掲載されています。

「平成」改元

 昭和54年(1979年)に成立した「元号法」の第2項には、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と規定されています。昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御され、直ちに皇太子明仁〔あきひと〕親王が即位されました。同日、新元号は「平成」と発表され、翌日の1月8日午前0時から「平成元年」となりました。

【関連資料】

  • 文化9年(1812年) 改正音訓 五経 書経 上 資料館所蔵 八條岡田新一郎家文書266

 『書経』(儒教の経典)に訓点を施した木版本です。赤枠で囲って示した箇所の「地平天成(地平かに天成る)」が、「平成」の出典です。

※「平成」のもう一つの出典は、『史記』(中国の歴史書)の「内平外成(内平らかに外成る)」。

(参考)新聞

 近代・現代の元号に関する資料としては、新聞も重要です。資料館が収蔵している新聞の概要はこちら

改訂未了

古代・中世の元号

(参考)『万葉集』(新元号「令和」の出典)に登場する八潮周辺の地名

 (解説は後日掲載)

中国の元号が刻まれている古銭

  • 【資料】 景徳元宝・元豊通宝・宣和通宝(八條遺跡出土品) ※『大地に刻まれた足跡』11ページに写真、『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第407集』52、67ページ、図版23に図・写真掲載。  

 (解説は後日掲載)

「八條」という地名の初出は何年?

 建暦3年(建保元年、1213年)です。詳細は「八條郷」をご覧ください。

八潮の板碑に刻まれている最古の元号は?

 弘安7年(1284年)です。詳細は下記をご覧ください。

異なる元号が並立していた南北朝時代の板碑に刻まれている元号は? 室町幕府と対立した古河公方が改元後も「享徳」の元号を使用し続けていた時期は?

 (解説は後日掲載)

私年号(非公式元号)が記載されている八潮市指定文化財は?

 「福徳3年日正筆私年号曼荼羅〔ふくとくさんねんにっしょうひつしねんごうまんだら〕」です。福徳3年は、延徳3年(1491年)に相当します。詳細は下記をご覧ください。

近世の元号

改元の知らせが伝わるまでに何日かかった? 改元の日付は正確に伝わった? 改元の理由は伝えられたか?

 (解説は後日掲載)

「万延」と書いたか、「萬延」と書いたか?

  • 【資料1】 万延2年(1861年) 亀吉死去につき入用帳 資料館寄託 大瀬高橋義一家文書1301
  • 【資料2】 万延2年(1861年) 亀吉死去につき香典帳 資料館寄託 大瀬高橋義一家文書1305

 (解説は後日掲載)

近世の貨幣と元号

  • 【資料1】 寛永通宝(八條遺跡出土品) ※『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第407集』52、67ページ、図版23に図・写真掲載。
  • 【資料2】 天保13年(1842年) 古金銀を保字金銀に引替請書 資料館寄託 上馬場濱野昭家文書90 ※翻刻は『八潮市史 史料編 近世1』史料89。

 (解説は後日掲載)

参考文献・ホームページ

☆このページの令和元年(2019年)8月8日版はこちら
  1. 濱野昭家の「濱」は、正しくは異体字の「Hama.jpg」(Unicode:U+6FF5)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では正字体の「濱」(常用漢字は「浜」)で表記しています。
  2. 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「Taku.JPG」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。
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