『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:『れきナビ』講座:八潮の資料で学ぶ 埼玉県の誕生(20201109版=初版)
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埼玉県が誕生したのは、明治4年(1871年)11月14日です。
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目次 |
資料1 明治5年(1872年) 改置府県概表
八潮市立資料館寄託 上馬場濱野昭家[1]文書2213 『改置府県概表』 ※明治4年(1871年)12月新刊・明治5年(1872年)正月20日改
明治4年(1871年)7月の廃藩置県直後に305あった府県は、10~11月に順次統合されて75府県となりました。本資料は、大蔵省が編さんした冊子で、統合後の府県の一覧表が掲載されています。埼玉県に関係する箇所を紹介します。
日本全図
冊子の付図で、府県が色分けされて描かれています。当時の「埼玉県」の範囲は現在の埼玉県の東側で、西側は入間県〔いるまけん〕でした。なお、埼玉県の県名は、「嵜玉」と書かれています。
府県一覧表の埼玉県と入間県
- 県庁所在地:埼玉郡岩槻(現さいたま市)
- 石高:48万石余
- 国郡:武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡・葛飾郡〔かつしかぐん〕(一部)・足立郡(一部)
- 旧県名:忍県〔おしけん〕・岩槻県・浦和県
- 県官:県令野村盛秀〔もりひで〕・権参事〔ごんさんじ〕白根多助
埼玉県の県名は、県庁所在地に定められた岩槻が埼玉郡に位置したことによります。ただし、実際に県庁が置かれたのは、足立郡の浦和〔現さいたま市〕です。なお、埼玉の「埼」の字は、異体字(土偏に「竒」)で書かれています。旧県名は記載されている3県が全てではなく、八潮市域(埼玉郡の南端に位置)は旧小菅県〔こすげけん〕でした。初代県令(知事)の野村は薩摩〔さつま〕藩出身、補佐役の白根は長州藩出身で、白根はのちに第2代県令に就任しています。
参考
- 廃藩置県直後の現埼玉県域の図
『新編埼玉県史図録』より転載 ※注意(脚注参照) [2]
- ※小菅県は、現在の東京都・埼玉県・千葉県にまたがり、葛飾郡小菅村(現葛飾区) に県庁が置かれました。
- 行田市埼玉〔さきたま〕は、埼玉県名発祥の地とされます。
- 明治4年(1871年)9月の府県統合案によると、埼玉県に相当する新県の県名は、「岩槻県」となっていました。ところが、新県発足直前の11月8日付の文書で、「岩槻県」を「埼玉県」に改称することが上申されています。ちなみに、同文書の「埼」の字は、異体字で書かれています(国立公文書館所蔵 公00468100 「公文録・明治四年・第十六巻・辛未・大蔵省伺府県廃置」 件名番号001 「諸県廃置御布告伺」、005 「東京府外十県被置関八州並伊豆国諸府県被廃御布告伺」)。
- ※「国立公文書館デジタルアーカイブ」の該当資料(簿冊情報)へのリンクはこちら
- 『改置府県概表』は、国立国会図書館の蔵書にもあります(インターネット公開へのリンクはこちら)。ちなみに、リンク先資料の入間県の部分を見ると、「熊谷県」と加筆されています。熊谷県は、明治6年(1873年)6月に成立しました。
- 埼玉県がほぼ現在の県域となったのは、明治9年(1876年)8月です。
資料2 明治12年(1879年) 埼玉県の辞令(中馬場村他4か村戸長)
資料館所蔵 中馬場石井明家文書22
「埼玉県」の公印が押されている辞令で、石井金次郎を南埼玉郡中馬場村・上馬場村・大曽根村・大原村・浮塚村の5か村戸長(村長)に任命するものです。本資料の「埼」の字も異体字です。
参考
- 埼玉郡が南北に分割されたのは、明治12年(1879年)3月です。
参考文献・ホームページ
八潮市立資料館刊行物・収蔵文書
- 展示パンフレットなど
- 『八潮市制施行20周年記念事業 第4回企画展 近代地方自治展』(1991年)
- 『第40回企画展 明治150年記念展示1 村人たちの御一新―幕末・維新の八潮地域―』(2018年)
- 『第41回企画展 明治150年記念展示2 近代日本の成立と八潮』(2019年)
- 資料館収蔵文書
- 中馬場石井明家文書22
- 上馬場濱野昭家文書2213(寄託)
その他
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史図録』(1993年)210~213ページ
- 埼玉県立文書館編集発行『資料案内 第15号 目で見る近代埼玉の誕生―埼玉県誕生120周年―』(1991年)
- 行田市ホームページ
- 国立公文書館デジタルアーカイブ
- 国立国会図書館ホームページ
- 埼玉県ホームページ