『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:上馬場村検地帳(20210610版)
八潮市立資料館寄託上馬場濱野昭家文書[1]の上馬場村検地帳〔かみばんばむらけんちちょう〕は、八潮市指定文化財および登録文化財となっている。
- ※検地および検地帳の概要、面積の単位については「検地」参照
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目次 |
上馬場村検地帳の伝来
指定文化財・登録文化財の検地帳は、上馬場(現中央)の濱野昭家に伝わったものである。同家は、中世には岩付(現さいたま市岩槻区)太田氏の家臣であったといわれ、近世には上馬場村の名主を世襲した。同家は本田の名主であり、村内の作右衛門新田〔さくえもんしんでん〕には別に名主がいた。
- ※上馬場村は、享保10年(1725年)「村鑑帳〔むらかがみちょう〕」(『八潮市史 史料編 近世1』史料27)によると、天文3年(1534年)開発とされる。作右衛門新田は、隣村西袋村の小澤家初代作右衛門重録〔しげとし〕が開発したとされる。
濱野昭家に伝わった検地帳は、(1)慶長17年(1612年)1冊、(2)慶長20年(元和元年、1615年)1冊、(3)元和7年(1621年)1冊、(4)寛永4年(1627年)3冊、(5)寛文11年(1671年)1冊、(6)貞享元年(1684年)11冊、(7)享保18年(1733年)2冊の計20冊である。(6)・(7)は重複がある。逆に(2)・(3)・(4)は欠けている冊があり、作右衛門新田分の冊が欠けていると推定される。なお、(4)の屋敷の冊には新田分も記載されており、(6)には新田分田畑の冊も含まれている。
作右衛門新田分の検地帳については、本田分とは別に保管されていたとする史料がある(『八潮市史 史料編 近世2』史料39、『越谷市史 続史料編(1)』49ページ)。濱野昭家文書以外に残されている検地帳もある(後述)が、(2)・(3)・(4)の欠を補うことはできない。
八潮市指定有形文化財(古文書)「慶長年間の検地水帳」
- 指定年月日:昭和47年(1972年)3月9日
- 員数:2冊
慶長17年(1612年)検地帳
慶長17年(1612年)検地帳
- ※翻刻はこちら(PDF)
- 冊数:1冊(全1冊)
- 文書番号:濱野昭家文書320(複製本CH33)
- ※以下濱野昭家文書は番号のみ示す。
- 日付:慶長17年(1612年)4月18日
- 表題:「武州喜西郡〔きさいぐん〕上馬場村御検地水帳」
- 地目:田・畑・屋敷
- 翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料5
★詳細は「慶長17年上馬場村検地帳」参照
慶長20年(元和元年、1615年)検地帳
慶長20年(元和元年、1615年)検地帳(左)
- ※右は慶長17年(1612年)検地帳。翻刻はこちら(PDF)
- 冊数:1冊(全2冊のうち1冊欠)
- 文書番号:321(CH33)
- 日付:慶長20年(元和元年、1615年)9月13日
- ※7月13日に「元和」と改元されていた。
- 表題:「武州騎西郡八条之内上馬場村御検地水帳」
- 地目:田・畑・屋敷
- 翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料10
八潮市登録有形文化財(古文書)「濱野家検地帳」
- 登録年月日:平成19年(2007年)1月23日
- 員数:18冊
元和7年(1621年)検地帳
- 冊数:1冊(全2冊のうち1冊欠?)
- 文書番号:322(CH33)
- 日付:元和7年(1621年)2月20日
- 表題:「武州騎西郡八条之内上馬場御検地帳」
- 地目:田・畑
- ※全2冊であったことを示す記載があるが、屋敷が含まれていないことや所在地名・面積を考慮すると、作右衛門新田分を加えても村全体にはならず、実際には3冊以上あった可能性や村内の一部のみを対象とした検地であった可能性が考えられる。ちなみに、新田分の検地帳1冊が存在したことは確認される。
寛永4年(1627年)検地帳
- 冊数:3冊(全4冊のうち1冊欠)
- 本田の田畑の検地帳(2冊)
- 文書番号:323・325A(CH33)
- 日付:寛永4年(1627年)8月29日
- 表題:「武州騎西郡八条内上馬場村御検地水帳」(325Aは一部欠損)
- 屋敷(本田・作右衛門新田)の検地帳
- 文書番号:325B(CH33)
- 日付:寛永4年(1627年)8月29日
- 表題:「武州騎西郡八条内上馬場村御検地水帳」
寛文11年(1671年)茅野検地帳
- 冊数:1冊(全1冊)
- 文書番号:324(CH33)
- 日付:寛文11年(1671年)11月25日
- 表題:「亥〔い〕暦八条領上馬場村茅野〔かやの〕検地帳」
貞享元年(1684年)検地帳
貞享元年(1684年)検地帳
- 冊数:11冊(重複除くと全4冊)
- 本田の田畑の検地帳
- 文書番号:326(CH34)・327(CH35)・334(CH36)
- 日付:貞享元年(1684年)3月28日
- 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村御検地水帳写」 ※334は「八条領」ではなく「八條」。
- 作右衛門新田の田畑の検地帳
- 文書番号:328(CH35)・333(CH34・36)
- 日付:貞享元年(1684年)3月晦日〔みそか〕
- 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村作右衛門新田御検地水帳写」
- 屋敷(本田・作右衛門新田)の検地帳
- 文書番号:329A・330(CH36)
- 日付:貞享元年(1684年)3月28日
- 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村屋鋪御検地水帳写」
- 竹藪〔やぶ〕(本田・作右衛門新田)の検地帳
- 文書番号:329B・331(CH36)・335・336(CH37)
- 日付:貞享元年(1684年)3月28日
- 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村竹藪御検地水帳写」 ※336は「埼玉郡八條領」。
- ※335・336には「慶応元年(1865年)正月」付の奥書、326・330・331には同年月付の貼紙がある。ちなみに、「慶応」と改元されたのは元治2年(1865年)4月7日であるので、正月時点は「元治」。334も同時期の写本。333は明治6年(1873年)正月付の写本。
- ※「『れきナビ』講座:くずし字にチャレンジ! 検地帳」も参照
享保18年(1733年)新田検地帳
- 冊数:2冊(重複除くと全1冊)
- 文書番号:332(CH36)・337(CH37)
- 日付:享保18年(1733年)3月
- ※検地実施は前年。
- 表題:「上水堀跡新田之内武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡上馬場村新田検地帳」
- ※「上水」=本所上水
- ※2冊とも幕末の写本。332には「慶応元年(1865年)正月」付の貼紙がある。
濱野昭家文書以外に残されている上馬場村検地帳
西袋濱野剛家文書の検地帳
資料館所蔵西袋濱野剛家文書の中に、上馬場村検地帳が1冊存在する(文書番号1、CH1325)。貞享元年(1684年)検地帳のうち作右衛門新田分の田畑の冊と屋敷の冊の内容が写されている。写した日付は安政3年(1856年)3月7日。
歴史公文書の検地帳抜粋
資料館所蔵歴史公文書の中に、「検地帳表面字〔あざ〕奥文年姓名書抜」が存在する(文書番号6662)。上馬場村連合戸長役場の罫紙に書かれたもので、慶長17年(1612年)から享保18年(1733年)までの上馬場村検地帳の表紙などが写されている。濱野昭家文書で欠けている冊は含まれない。
「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」の上馬場村検地帳
「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」では、上記の検地帳のうち濱野昭家文書と歴史公文書の目録が公開されており、濵野昭家文書(337以外)は画像も公開されている。
(「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」へリンク)
上馬場村検地帳にみる面積・石高・名請人(土地所持)・郡名・小字
面積
- 慶長17年(1612年)検地帳によると、田畑屋敷の面積は12町9反7畝〔せ〕25歩〔ぶ〕。田と畑の比率は6対4。
- ※詳細は「慶長17年上馬場村検地帳#本文3(地目・等級別の面積集計値)」参照
- 慶長20年(元和元年、1615年)検地帳全2冊のうち、現存1冊に記載されている田畑屋敷の面積は15町3反3畝22歩。
- 村全体の検地としては最終の貞享元年(1684年)検地帳によると、田畑屋敷の面積は25町6反7畝6歩。慶長17年(1612年)検地帳の約2倍。田と畑の比率は48対52。なお、竹藪は1反7畝1歩。
- 享保18年(1733年)検地帳によると、上水堀跡新田(全て下田)の面積は1反8畝24歩。
- ※記事「面積・土地利用」はこちら
石高
- 慶長17年(1612年)検地帳から寛文11年(1671年)茅野検地帳までは、石高が記載されていない。
- 貞享元年(1684年)検地帳には石高の記載があり、村高は212石6斗7合。
- 享保18年(1733年)検地帳によると、上水堀跡新田の石高は1石2斗2升1合。
- ※記事「石高」はこちら
名請人(土地所持)
- ※名請人〔なうけにん〕については「検地#名請人」参照
- 慶長17年(1612年)検地帳の名請人別筆数・面積については、「慶長17年上馬場村検地帳#名請人別の筆数・面積一覧表」参照
- 屋敷の名請人数は次の通り。
- 慶長17年(1612年)検地帳 4人
- 慶長20年(元和元年、1615年)検地帳 5人(作右衛門新田は含まれない?)
- 寛永4年(1627年)検地帳 7人(本田3人・作右衛門新田4人)
- 貞享元年(1684年)検地帳 10人(本田6人・作右衛門新田4人)
郡名
- 慶長17年(1612年)~寛永4年(1627年)検地帳 騎西郡(喜西郡)
- ※寛文11年(1671年)検地帳は郡名記載なし。
- 貞享元年(1684年)検地帳 崎玉郡
- 享保18年(1733年)検地帳 埼玉郡
- ※異体字も使用されているが、常用漢字に統一した。
小字
- 慶長17年(1612年)検地帳と慶長20年(元和元年、1615年)検地帳に登場する字名(小字)については、「郷土の歴史346・347 八潮の地名考24・25 上馬場の地名 その壱・弐」(『広報やしお』第530・532号)参照→こちら(PDF)
- 慶長17年(1612年)検地帳については、「慶長17年上馬場村検地帳#字別の面積一覧表」も参照
参考文献・ホームページ
八潮市立資料館刊行物・収蔵文書
- 展示パンフレットなど
- 『第19回企画展 生活の中の用水~合同葛西用水展~』(2001年)
- 『第37回企画展 「蔵書」の世界―広がる書物と在村文化―』(2017年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編1』(1989年)384~385ページ、第3編第1章第1・5・6節
- 『八潮市史 民俗編』(1985年)125ページ
- 『八潮市史 史料編 近世1』(1984年)解説11~12ページ、史料5・10・27
- 『八潮市史 史料編 近世2』(1987年)史料38・39・44・46・48、解説832、836ページ、年表847ページ
- 『八潮のふるさと新書1 小澤豊功』(八潮市、2001年)7ページ
- 『八潮市史研究』第3号(1981年)資料紹介資料2
- 萩原龍夫「八潮市域の近世村落概況」(『八潮市史研究』創刊号、1978年)
- その他の資料館刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)29、33~34ページ
- 資料館収蔵文書
- 寄託 上馬場濱野昭家文書33・487・2774
- ※検地帳は省略。
その他
- 蘆田伊人編集校訂・根本誠二補訂『大日本地誌大系16 新編武蔵風土記稿 第10巻』(雄山閣、1996年)162~163ページ
- 和泉清司『徳川幕府成立過程の基礎的研究』(文献出版、1995年)877~878、886~887、893~894ページ
- 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究』(2004年)32~34、43~48、57~58、86~87ページ
- 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究2』(2009年)172~176、197~201、204、216、220、375ページ
- 葛西用水路土地改良区編集発行『葛西用水史 通史編』(1992年)204ページ
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編3 近世1』(1988年)第1章第2節、第3章第1節
- 清水正彦「上馬場村検地帳と葛西井堀開削(平成24年埼玉県地域研究発表大会要旨)」(『埼玉地方史』第68号、2014年)
- 中野達哉『近世の検地と地域社会』(吉川弘文館、2005年)第2編第1・2章
- 『広報やしお』第83・365・530・532号 ※第530・532号「郷土の歴史346・347 八潮の地名考24・25 上馬場の地名 その壱・弐」のPDFはこちら
- 『越谷市史 続史料編(1)』(越谷市役所市史編さん室、1981年)36、41、49、281~283ページ
- 『八潮の歴史さんぽ~行ってみよう! 八潮の遺跡や文化~』(八潮市史跡保存会、2020年)
関連項目
- ☆このページの令和2年(2020年)8月8日版はこちら
- ↑ 濱野家文書の「濱」は、正しくは異体字の「」(Unicode:U+6FF5)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では正字体の「濱」(常用漢字は「浜」)で表記しています。