『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:商工業(20200605版)

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 八潮市商工業〔しょうこうぎょう〕について、製造業を中心とする概要は以下の通り。

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目次

近世の商人・職人と地場産業

 近世の八潮市域は農村地帯であったが、専業農家だけではなく、様々な商人や職人(手工業者)もいた。→詳細は「農間余業」参照。
 地場産業については、八潮市ホームページの「地場産業」では白玉粉と藍染め、八潮市立資料館の常設展示では染色業・船大工・白玉粉が紹介されている。
 染色業の「長板中型」は、近世以来の染色技術であり、埼玉県無形文化財に指定されている。現在、市内では2名が伝承者として認定されている。「注染〔ちゅうせん〕」は、大正時代に伝わった染色技術で、量産可能であるため、染色業の主流となった。

※長板中型については、市ホームページの「市内の指定文化財」に掲載されている「長板中型」(PDF)参照(こちら)
※染色業については、「近世#水運と交通、産業の発達」も参照
※『埼玉新聞』掲載「伸びゆく八潮村の産業」では、染色業を中心に取り上げられている。記事には「"東京ゆかた"として有名な注染業者二十余軒があり年間優に三億余円の生産を上げている」とある。無形文化財の長板中型についても紹介されている。

煉瓦工場

 市域は、煉瓦〔れんが〕の原材料である荒木田土〔あらきだつち〕に恵まれており、東京近郊で水運の便が良いこともあって、大正期になると煉瓦工場が設立された。

※大正7年(1918年)、同社が日本煉瓦製造株式会社に吸収合併されたことに伴い、日本煉瓦製造株式会社潮止工場となる。

高度経済成長期の工場進出

 昭和34年(1959年)、八潮村は、工場の新設を奨励し産業の振興と村勢の進展を図ることを目的として、工場誘致条例を施行した。昭和43年(1968年)には大字新町草加市にまたがる草加・八潮工業団地も造成され、高度経済成長期の八潮には多くの工場が進出した。

※昭和39年(1964年)の『八潮だより』第77号「町政施行記念特集号」には、「着々進む市街地化」「南後谷工場街と造成地」「目立つ工場進出」「伝統を誇る注染の技術」「八潮町を縦断する産業道路」などが掲載されている。→こちら(PDF)

現在の製造業事業所数

 平成30年(2018年)6月1日現在、製造業事業所の総数は1,240。うち従業者4人以上の事業所数は595で、埼玉県内の市では川口市さいたま市に次ぐ第3位である。

グラフ

昭和15年(1940年) 潮止村の生産価額の内訳

※白玉粉は約14パーセント、煉瓦は約13パーセント。

産業別事業所数

※平成28年(2016年)以前のデータは省略。

産業別就業者数

 「産業別就業者数」参照

製造業の分類別事業所数

商業の分類別事業者数

※平成28年(2016年)以前のデータは省略。

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館刊行物

※市史史料編は省略。
  • その他の資料館刊行物
    • 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2009年)4ページ
    • 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)3~4、26~28ページ

その他

関連項目

☆このページの令和2年(2020年)1月23日版(「工業」)はこちら
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