『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:市制施行(20150619)
八潮市の市制施行〔しせいしこう〕は、昭和47年(1972年)1月15日。八潮村〔むら〕成立から15年余(町制施行後7年余)で市に昇格した。埼玉県下で34番目、全国では614番目に誕生した市。
目次 |
近世の20か村から八潮町成立までの沿革
- ※「八潮市#歴史」より転記
- ※近世村の村名表記・石高変遷表はこちら(PDF)
- 明治22年(1889年)4月1日、市制・町村制施行に伴う合併により、市域は埼玉県南埼玉郡八條村・潮止村・八幡村の3か村となる。
- 昭和31年(1956年)9月28日、三村合併(八條村のうち大字立野堀は、埼玉県北足立郡草加町に編入)により南埼玉郡「八潮村」成立。
- 昭和39年(1964年)10月1日、町制を施行して南埼玉郡「八潮町〔まち〕」となる。
- ※近世以降については、「八潮市沿革図(近世以降)(PDF)」参照
市制施行
市制施行の条件緩和と埼玉県下の動向
昭和45年(1970年)3月12日、地方自治法の一部改正により、2年間の期限付きで市制施行の条件が従来の人口5万人から3万人に緩和された。この時限立法は、東京からの転入者などで急激に人口が増加していた埼玉県の町々に、市制施行への取り組みを促すこととなった。昭和45年(1970年)10、11月には志木〔しき〕・和光〔わこう〕・新座〔にいざ〕・桶川〔おけがわ〕、昭和46年(1972年)10、11月には久喜〔くき〕・北本〔きたもと〕という新しい市が誕生し、埼玉県は全国で最も市が多い県となった。
八潮町の市制施行に向けた調査・検討・環境整備
昭和41年(1966年)度に人口2万人を突破し、昭和44年(1969年)度に2万8,000人超、昭和45年(1970年)度に3万2,000人超という人口増のもとにあった八潮町でも、この改正によって市制施行が強く意識されるようになった。八潮町議会の会議録を見ると、昭和45年(1970年)3月27日の定例町議会において、市制施行に関する緊急質問が出ていることがわかる。そして、市制施行に向けた調査・検討が進められていき、「埼玉県内において、最も市制施行段階で実現性のある」町と考えられた久喜町の視察も行っている。6月29日の定例町議会での久喜町視察に関する報告において、太田武夫町長は、市制施行の要件として挙げられた11項目のうち、八潮町が「4つか5つぐらい該当するのではないか」という認識を示し、該当していない項目に関しても高校誘致・地下鉄導入などの働きかけを行っていると答えている。「三万市特例法」がもつ時限的性格のため、こうした環境整備が、より喫緊の課題となったのである。
市制施行の手続き
昭和45年(1970年)12月11日、町議会に議案「八潮町市制審議会条例の設定について」が提出され、昭和46年(1971年)1月1日付『広報やしお』第68号では、住民に対して市制施行についての説明会の日時・場所が伝えられている。そして、住民に対する説明会・市制審議会での議論などを経て、6月には県に提出する「市制施行内協議書」がまとめられている。
昭和46年(1971年)11月6日、臨時町議会において八潮町を市とする旨の議案が可決された。その後、市制施行申請書の県知事への提出、自治省との協議を経て、昭和47年(1972年)自治省告示第1号として、1月15日、埼玉県下34番目の市「八潮市」が誕生した。
市制施行に伴う住居表示の変更
- 旧表示:埼玉県南埼玉郡八潮町大字〇〇、〇〇番地
- 新表示:埼玉県八潮市大字〇〇、〇〇番地
市制施行・庁舎落成記念『八潮市勢要覧』の刊行
人口・面積等のグラフ
八潮町の地目別面積(昭和47年〈1972年〉1月1日現在)
八潮市の産業大分類別15歳以上就業者数(昭和50年〈1975年〉10月1日現在/国勢調査)
八潮市の産業分類別工業事業所数(昭和52年〈1977年〉12月末日現在)
八潮市の作物別収穫農家数・収穫面積(昭和50年〈1975年〉2月1日現在/農業センサス)1/2
参考文献
- 『広報やしお』第68・69・77・80・81号
- ※第81号1~2ページはこちら(PDF)
- 『埼玉新聞』昭和47年(1972年)1月15日
- 昭和45年(1970年)3月定例会「八潮町議会会議録」
- 昭和47年(1972年)1月10日自治省告示第1号「町を市とする処分」(『官報』第13513号)
- 「八潮町を市とする処分申請書」(埼玉県南埼玉郡八潮町)
(小田真裕)
関連項目
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