『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:三村の成立(明治の大合併)(20141004版)

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明治22年(1889年)4月の市制・町村制施行に伴う新町村名が朱書されている明治20年(1887年)2月版権所有届埼玉県管内全図」(八潮周辺)
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 三村の成立(明治の大合併)〔さんそんのせいりつ(めいじのだいがっぺい)〕は、明治21年(1888年)4月25日公布、明治22年(1889年)4月1日施行の市制・町村制に伴い、埼玉県南埼玉郡潮止村八條村(町村制)八幡村の3か村が成立したこと。

目次

市制・町村制と明治の大合併

 明治初年の大区・小区制下で否定された町村は、明治11年(1878年)の郡区町村編成法により復活し、さらに明治17年(1884年)の改正によって、数町村を単位とする連合戸長役場制が導入された。こうした村々の連合による行政単位の広域化にもかかわらず、連合村は過剰な行政負担に相当する財政基盤を有していなかった。かかる経緯を受け、明治政府内部において新たな地方制度が模索され、明治21年(1888年)の市制・町村制の公布に至ることとなる。
 同法は、内務卿〔ないむきょう〕山田顕義〔やまだあきよし〕の命を受けた内務省大書記官村田保が、明治17年(1884年)5月に町村法草案を作成したことに始まる。村田の転出後、同年12月に内務省内に町村法調査委員会が設置され、明治18年(1885年)6月に町村法草案が立案された。同草案段階では、連合戸長役場方式による制度改正が志向されていたが、明治19年(1886年)7月に提出された御雇外国人アルベルト・モッセの意見書を契機として、町村合併による改革が図られることとなった。そして、明治20年(1887年)2月に内閣に設置された地方制度編纂員会が地方制度編纂綱領を策定し、同年9月17日には市制・町村制法案を提出、最終的には明治21年(1888年)4月1日に市制・町村制が公布され、明治22年(1889年)4月1日に施行された。
 市制・町村制により名誉職制・公民権・等級選挙制などが導入され、市町村は地方自治体としての地位を確立したが、内務省や府県知事などの監督権が強く、自治権は限定されたものであった。その後、部分的な改正が加えられたが、昭和22年(1947年)4月の地方自治法の施行により同法は廃止された。なお、町村合併に伴い、明治21年(1888年)の町村数約7万から、明治22年(1889年)には約1万5,000まで減少している。

三村(八條村・潮止村・八幡村)の成立

 政府内部において町村制が審議されるのと併行して、各府県は町村合併に備えた準備的な調査を実施している。埼玉県では、明治20年(1887年)6月、「町村合併標準」にもとづいて、各村300戸以上、400戸未満を標準として合併することを各郡長に機密事項として通達し調査を進めている。同年8月の調査結果によれば、江戸時代以来の八潮市域の村々は、大瀬村古新田垳村木曽根村南川崎村伊勢野村の5か村が木曽根村に、伊草村立野堀村(現草加市)・松之木村小作田村鶴ケ曽根村柳之宮村南後谷村の7か村が鶴ケ曽根村に、大曽根村大原村浮塚村上馬場村中馬場村西袋村二丁目村の7か村が大曽根村に、八條村柿木村(現草加市)の2か村が八條村に合併する案が作成されていた。
 その後、市制・町村制が公布された明治21年(1888年)7月から10月にかけて、南埼玉郡役所の指導のもと、顧問と郡役所委員によって新町村の区域が仮定され、郡下全戸長の修正を経て、各戸長が町村議員・惣代人〔そうだいにん〕らに諮問し、合併作業が推進されていった。
 連合戸長役場制が導入されていた当時、八潮市域の村々は、大瀬村・古新田・垳村・木曽根村・二丁目村・南川崎村・伊勢野村の7か村による伊勢野村連合、伊草村・立野堀村・松之木村・八條村・小作田村・鶴ケ曽根村の6か村による松之木村連合、大曽根村・大原村・浮塚村・上馬場村・中馬場村・西袋村・柳之宮村・南後谷村の8か村による上馬場村連合の、三つの連合戸長役場に管轄されていたが、伊勢野村連合が明治21年(1888年)7月23日、松之木村連合が同月24日、上馬場村連合が同月31日に、それぞれ新村造成に関する郡の方針に異議のない旨の上申書を提出した。これにより、連合戸長役場をそのまま移行する形で、伊勢野村連合は潮止村、松之木村連合は八條村(町村制)、上馬場村連合は八幡村となった。なお、潮止村村長に田中三郎左衛門、八條村村長に鈴木仁左衛門、八幡村村長に清水圭太郎が、それぞれ初代村長として就任している。
 以上の経緯を経て、江戸時代以来の八潮市域の村々は最終的に解消され、潮止村・八條村・八幡村の3か村は昭和31年(1956年)9月28日に八潮村として合併するまで存続することとなった。なお、区画整理により消失したものも多いが、現在でも大字として残る地名は、明治の大合併以前の村の範囲と一致することが多い。

 ※近世村の村名表記・石高変遷表はこちら(PDF)

 ※八潮市沿革図(近世以降)はこちら(PDF)

参考 三村合併八潮村成立図

参考文献・ホームページ

  • 松沢裕作『明治地方自治体制の起源―近世社会の危機と制度変容』(東京大学出版会、2009年)第4章
  • 松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』(講談社、2013年)
  • 渡辺隆喜「市町村制の施行と八潮市域」(『八潮市史研究』第2号、1980年)
  • 『新編埼玉県史 通史編 5 近代1』(埼玉県、1988年)554~559ページ
  • 『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(八潮市立資料館、2009年)(PDFはこちら)
  • 『八潮市史 通史編Ⅱ』(八潮市役所、1989年)第4章第1節

(金澤真嗣)

関連項目


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