『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:助郷(20120606版=初版)

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助郷〔すけごう〕とは、近世において、宿駅の常備人馬による継立を補完するための人馬を差し出した郷村および、そうした課役・制度、助人馬。街道宿駅の近傍のうち、古くから宿駅に付属し、宿人馬の不足を補充するように義務づけられた助郷村は定助郷と呼ばれる。日光道中では、元禄9年(1696年)9月に道中の各宿駅に定助郷となる村々が指定され、享保11年(1726年)に再編成が行われた。
八條領の村々は、下記の定助郷に編成された。

目次

越谷宿定助郷

元禄9年(1696年)時、八條領のなかでは、登戸・西方・瓦曽根(以上、現越谷市)という北西部の3か村が指定された。享保11年(1726年)の再編成によって、西方・瓦曽根の2か村が免除された後は、登戸村が1か村で287石を負担するようになった。

千住宿定助郷

八條領南西部の村々が指定された。八潮市域の村では、享保11年(1726年)の再編成後に、大瀬・古新田・垳・浮塚の4か村がこれに含まれた。

草加宿定助郷

八條領中央部西寄りの村々が指定された。八潮市域の村からは当初、西袋上馬場中馬場小作田松之木伊草柳之宮・後谷の8か村がこれに含まれた。享保11年(1726年)の再編成後には、大曽根村も加わり、蒲生(現越谷市)・青柳・立野堀(以上、現草加市)を含めた12か村で5827石を負担した。

参考文献・ホームページ

「第1章 近世前期の八潮・第8節 街道の整備」(八潮市史編さん委員会編『八潮市史 通史編1』、八潮市役所、1989年)758~761ページ

(小田真裕)

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