『れきナビ』講座:クイズ 八潮の歴史文化の基礎
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
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問題
- 問1 〔地理〕埼玉県八潮市は【 】(都道府県名)との境に位置し、東は【 】川、西は【 】川などの河川に囲まれている。
- 問2 〔古代〕八條遺跡には【 】時代の住居跡がある。
- 問3 〔中世〕鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡〔あずまかがみ〕』に、「武蔵国〔むさしのくに〕大河戸御厨〔おおかわどのみくりや〕内【 】郷」が登場する(御厨は伊勢神宮領の荘園)。
- 問4 〔近世〕江戸時代の市域は【 】か村に分かれており、埼玉郡【 】領に属した。
- 問5 〔近代〕明治22年(1889年)4月1日、市域の村々が合併して【 】村・【 】村・【 】村(北から時計回り)の三村が成立した。
- 問6 〔現代〕昭和31年(1956年)9月28日、三村が合併して八潮【 】が誕生し、昭和【 】年1月15日には市制を施行した。
- 問7 〔文化財〕市内の国指定重要文化財は【 】がある。
- 問8 〔資料館〕平成【 】年11月23日に開館した八潮市立資料館は、「【 】と生活」を基調テーマとし、【 】館・【 】館(順不同)・文化財センターの機能を有している。
ヒント
- 問1 次の図・写真を見れば答えがわかると思います。
- 問2 9世紀です。
- 問3 『吾妻鏡』建暦3年(建保元年、1213年)5月17日条の翻刻と書き下し文は、こちら(PDF)をご覧ください。
- 問4~6
- 領名(地域名)は「●●領」で、「●●村」や「●●用水」もあります。
- 「八潮」という地名は、三村の頭文字をとったものです。
- 「埼玉県管内全図」には、明治の大合併前の旧村名と合併後の新村名が記載されています。
- 八潮誕生時の人口は1万3,000人弱でした。
- 三村合併申請書には、合併区域や新自治体名が記載されています。
- 三村合併の際に分離して草加に編入された地区があるため、「三村の母体となった村の数の合計-草加市域の1か村=江戸時代の八潮市域の村数」となります。
- 市制施行は札幌オリンピック・沖縄返還の年です。市制施行の記事が掲載されている『広報やしお』第81号は、こちら(PDF)をご覧ください。
- 問7 「旧藤波家住宅」「和井田家住宅」「太田家住宅」のうちいずれかです。
- 問8 令和元年(2019年)は開館●0周年です。基調テーマは、問1と関連します。【 】館は、「図書」「文書」「美術」「文学」「博物」「公民」「学習」のうち二つです。
解答
- ※八潮市の概要については、こちらのページをご覧ください。
- 問2 〔古代〕八條遺跡には【平安】時代の住居跡がある。
- ※八條遺跡については、八潮市ホームページ「文化財」―「市内の指定文化財」の「八條遺跡出土品」(PDF)をご覧ください。
- ※原始・古代の八潮については、こちらのページをご覧ください。
- 問3 〔中世〕鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡〔あずまかがみ〕』に、「武蔵国〔むさしのくに〕大河戸御厨〔おおかわどのみくりや〕内【八條】郷」が登場する(御厨は伊勢神宮領の荘園)。
- 問4 〔近世〕江戸時代の市域は【20】か村に分かれており、埼玉郡【八條】領に属した。
- 問6 〔現代〕昭和31年(1956年)9月28日、三村が合併して八潮【村】が誕生し、昭和【47】年(1972年)1月15日には市制を施行した。
- ※八條村のうち大字立野堀は、三村合併の際に分離して草加町に編入されました。八潮村の成立(三村合併)については、こちらのページをご覧ください。
- ※町制施行は昭和39年(1964年)です。町制施行については、こちらのページをご覧ください。
- ※市制施行については、こちらのページをご覧ください。
- 問7 〔文化財〕市内の国指定重要文化財は【和井田家住宅】がある。
- ※和井田家住宅については、八潮市ホームページ「文化財」―「市内の指定文化財」の「和井田家住宅」(PDF)をご覧ください。
- ※指定等文化財については、こちらのページをご覧ください。
- 問8 〔資料館〕平成【元】年(1989年)11月23日に開館した八潮市立資料館は、「【水】と生活」を基調テーマとし、【文書】館・【博物】館(順不同)・文化財センターの機能を有している。
- ※令和元年(2019年)は開館30周年です。
- ※資料館については、こちらのページをご覧ください。