共和橋

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 共和橋〔きょうわばし〕は、中川に架かる橋。

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DA.gif=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク
【広報】=『広報やしお』のPDFへリンク

目次

沿革

 共和橋が架橋される前は、大落古利根川(現中川)の潮止村大字二丁目と彦成村〔ひこなりむら〕(現三郷市)大字彦江間に、渡船場の彦江の渡しがあった。

旧共和橋

  • 昭和2年(1927年)10月30日、彦江の渡しがあった場所に共和橋開通。木橋。共和橋架橋組合が架橋し、通行料を徴収した賃取橋。
※大正14年(1925年)9月、彦成村長から潮止村長へ架橋助力願。昭和2年(1927年)1月架橋組合設立、4月架橋を県に出願、6月許可、8月着工、10月完工。
※橋の位置は現共和橋よりも上流。橋の長さは474尺(約144メートル)、幅は12尺(約3.6メートル)。
※共和橋架橋組合は、彦成村・潮止村の有志が共同出資。組合事務所の所在地は彦江。創立委員は、信田峰吉・田中四一郎(潮止村長、二丁目)・鈴木藤之助(出願人の総代)・鈴木覚之助・鈴木為吉・島根広吉・矢口次郎太・矢口徳次郎・島根憲次郎・鈴木賀津・酒井長五郎・恩田嘉一郎(二丁目)・渋谷伝太郎・秋山宗四郎(潮止村会議員、二丁目)。
  • 昭和12年(1937年)または翌年、彦成〔ひこなり〕村営に移管。
  • 昭和16年(1941年)末、架け替え(木橋)?
※昭和16年(1941年)9月13日『東京日日新聞』:「共和橋は過般の出水で大分破損したので、本年末三万一千円の予算で架替へ工事を行ふ」
  • 昭和30年(1955年)3月 架け替え工事完工(木橋)。
  • 昭和43年(1968年)6月1日、通行料廃止。歩行者と二輪車以外は通行禁止となる。
【広報】昭和43年(1968年)7月10日第38号「共和橋が交通止」
  • 昭和50年(1975年)9月11日、歩行者以外は通行禁止となる。
【広報】昭和50年(1975年)12月10日第127号「二輪車は通行止 =共和橋老朽化=」
  • 昭和56年(1981年)3月16日、通行禁止となる。
  • 昭和56年(1981年)12月12日、撤去完了。

現在の共和橋

  • 昭和51年(1976年)9月2日、新共和橋着工。
  • 昭和56年(1981年)4月10日、部分開通(首都高速道路の側道部分)。
【広報】昭和56年(1981年)4月10日第191号「4月10日新共和橋開通」/【広報】同年5月10日第192号「共和橋の渡り初め」/【広報】同号「“新”共和橋が開通」
  • 昭和60年(1985年)1月24日、全面開通(首都高速6号三郷線開通)
※同年1月22日、県道八潮三郷線開通。
【広報】昭和60年(1985年)1月1日第236号「いよいよ開通する首都高速」

通行料

 共和橋が架橋された昭和2年(1927年)の通行料(橋銭)は、人2銭、自転車4銭、牛・馬・豚5銭、自動車40銭など。→詳細は『三郷市史 第5巻』史料44参照
 昭和40年(1965年)当時の通行料は、歩行者3円、自転車5円、オートバイ10円、中型自動車(積載、大)60円など。→詳細は『葦のみち』第6号136ページ参照
 通行料は、彦江側にあった番小屋で橋番が徴収した。

写真・地図

写真(航空写真以外)

  • 撮影年不明 旧共和橋と建設中の新共和橋→DA.gif
  • 昭和56年(1981年) 新共和橋開通式→DA.gif
※上記【広報】には写真も掲載されている。下記「参考文献・ホームページ」の文献などに掲載されている写真もある。

航空写真・地図

Showa22-kokushashin2-a.jpg昭和22年(1947年) 市域周辺空中写真

  • 平成3年(1991年) 共和橋周辺航空写真→DA.gif

Koshigayakendoro-map.jpg平成26年(2014年) 「埼玉県越谷県土整備事務所管内図」(市域周辺) ※注意(脚注参照)[1]

※その他の航空写真・地図→「地図と航空写真にみる八潮の歩み」参照

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館の刊行物など

  • 資料館所蔵歴史公文書
    • 公4734 「土木」
      • 件137 大正14年(1925年)9月11日 潮止村大字二丁目地先架橋助力願(彦成村長→潮止村長)
      • 件263 大正15年(1926年)11月4日 「木橋架設ニ関スル件照会」(同上)
      • 件267 同年11月9日 「南埼玉郡潮止村会議録」 など
    • 公4912 「庶務」
      • 件91 昭和19年(1944年)4月30日 共和橋建設資金寄付金500円納付書(潮止村長→彦成村長) など
  • 資料館所蔵写真

その他

  • 『葦のみち(三郷市史研究)』第6号(1994年)表紙、見返し、「賃取り橋(共和橋)を聞く」
  • いき出版企画・制作・発行、しなのき書房編『写真アルバム 草加・八潮・三郷の昭和』(2016年)161ページ
  • 企画課編『市制施行10周年記念 10歳の八潮』(埼玉県八潮市、1983年)7ページ
  • 恩田恒治『振り返る 恩田理三郎の一生』(文芸社、2002年)36ページ
  • 後藤弘・熊谷敏子・吉田三恵子「川に抱かれた町・八潮市の川と橋を知ろう」(『令和2・3年度やしお市民大学自主研究報告集』、2021年)
  • 埼玉県編集発行『中川水系総合調査報告書2 中川水系3 人文』(1993年)482、491~492、494ページ
  • 埼玉県教育委員会・埼玉県立さきたま資料館編『歴史の道調査報告書 第10集 利根川の水運』(埼玉県県政情報資料室、1989年)53ページ
  • 市民企画運営委員会「コムCome」制作『八潮市の住みよいまちづくりを目指して! ―"八潮のまちなみ写真展"記録紙―』(八潮メセナ、2012年)16~18ページ
  • 秘書広報課編『広報紙発行200号記念 広報みさと 縮刷版』(埼玉県三郷市役所、1977年)
    • 第97号「「共和橋」通行料廃止」(339ページ)
  • 三郷市史編さん委員会編『三郷市史 第5巻 現代史料編』(三郷市、1994年)口絵5、解説11~12ページ、史料43~48
  • 三郷市史編さん委員会編『三郷市史 第7巻 通史編2』(三郷市、1997年)587~588、891~892ページ
  • 三郷市史編さん委員会編『三郷市史 第10巻 別編水利水害編』(三郷市、2000年)574~575ページ
  • 三郷市史編さん委員会編『三郷のあゆみ』(三郷市、1999年)123、167ページ
  • 広報やしお』第38・80・97・127・178・191・240・308号、お知らせ版第19号
  • 埼玉新聞
    • 昭和38年(1963年)5月4日「ここも首都圏(31) 村の賃取り橋 北葛三郷村の「共和橋」」 
    • 昭和43年(1968年)3月31日「“賃取橋”の異名返上へ 三郷町の共和橋四十年ぶり無料に」
    • 昭和44年(1969年)12月6日「苦境に立つ“賃取橋” 三郷―八潮の共和橋」
    • 昭和50年(1975年)9月22日「「共和橋」を架け替え 三郷市と八潮市を結ぶ 利用者ふえて痛みひどい」
    • 昭和56年(1981年)4月10日「「新共和橋」きょう開通 三郷―八潮市境の中川に完成」
  • 『東京日日新聞』
    • 昭和2年(1927年)9月30日
    • 昭和16年(1941年)9月13日

関連項目

☆このページの令和4年(2022年)6月16日版(初版、「共和橋の写真」)はこちら
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