助郷
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
(定助郷から転送)
助郷〔すけごう〕とは、近世において、宿駅の常備人馬による継立を補完するための人馬を差し出した郷村および、そうした課役・制度、助人馬。
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日光道中の定助郷
街道宿駅の近傍のうち、古くから宿駅に付属し、宿人馬の不足を補充するように義務づけられた助郷村は、定助郷〔じょうすけごう〕と呼ばれる。
日光道中では、元禄9年(1696年)9月に道中の各宿駅に定助郷となる村々が指定され、享保11年(1726年)に再編成が行われた。
八條領の村々は、千住宿〔せんじゅしゅく〕(現東京都足立区・荒川区)・草加宿〔そうかじゅく〕(現草加市)・越ヶ谷宿〔こしがやじゅく〕(現越谷市)の定助郷に編成された。
千住宿定助郷
八條領南西部の村々が指定された。八潮市域の村では、享保11年(1726年)の再編成によって、大瀬・古新田・垳・浮塚の4か村が指定され、以後570石を負担した。
草加宿定助郷
八條領中央部西寄りの村々が指定された。八潮市域の村からは当初、西袋・上馬場・中馬場・小作田・松之木・伊草・柳之宮・後谷の8か村がこれに含まれた。享保11年(1726年)の再編成後には、大曽根村も加わり、草加市域の青柳・立野堀の2か村、越谷市域の蒲生を含めた計12か村で5,827石を負担した。
越ヶ谷宿定助郷
元禄9年(1696年)時、八條領のなかでは、越谷市域の登戸・西方・瓦曽根という北西部の3か村が指定された。享保11年(1726年)の再編成によって、西方・瓦曽根の2か村が免除された後は、登戸村が1か村で287石を負担するようになった。
参考文献・ホームページ
- 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)758~761ページ
(小田真裕)
【追記】(2024年1月16日)
関連項目
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