遊歴雑記

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 「遊歴雑記」〔ゆうれきざっき〕は、近世後期の紀行文で、八條村に関する記述がある。

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目次

「遊歴雑記」の概要

  • 著者:津田大浄。字〔あざな〕は敬順・宗知、号は十方庵〔あん〕。江戸小日向〔こびなた〕(現東京都文京区)の廓然寺〔かくねんじ〕の住職。文化8年(1811年)、51歳で隠居。
  • 成立年代:文化9年(1812年)~文政12年(1829年)
  • 冊数:5編15冊
  • 内容:江戸近郊から遠くは名古屋までの紀行文。内容は多彩で記述は精細。

「遊歴雑記」にみる八條村

 武蔵国〔むさしのくに〕葛飾郡〔かつしかぐん〕木売村〔きうりむら〕(現吉川市)の西光院〔さいこういん〕では、例年4月14~16日の3日間法会が行われ、多くの人が参詣した。文政6年(1823年)4月15日、大浄は西光院参詣に出発し、八條村に立ち寄っている。
 「遊歴雑記」4編下巻第34話に「八条村の渡口舟行の眺望」がある。以下に抜粋して紹介する。

※適宜項目分けして、概要または現代語訳を記し、本文を引用した。
※本文は、国立公文書館所蔵(内閣文庫)の自筆本(請求番号177-1167 冊次12)より翻刻した。自筆本の画像はこちら(「国立公文書館デジタルアーカイブ」へリンク)。なお、原文にあるフリガナは、「 」で示したが、適宜省略した。
※「八条村の渡口舟行の眺望」の全文は、『新編埼玉県史 資料編10』970~972ページに翻刻されている。 

八條村への道

〔概要〕
 江戸から八條村への道について記されている。千住―榎戸〔えのきど〕(現東京都足立区)―八條村の道について、田舎道で砂利が少ないので、雨天時にはぬかるんで歩きづらいなどとある。

〔本文〕
一武州崎玉郡「サキタマコヲリ」八条といふ処ハ、千住の駅より榎戸村へ壱里、榎戸より八条村の取付まで弐里余ありて、日本橋より都合五里に遠かるべし、路「ミチ」平かに広しといへども、田舎路のくだ/\(踊り字)しく砂利少なければ、雨天にハ深く忽滑「ヌカリ」辷「スベ」りて中々歩難し、左はいへ鄙「ヒナ」の路すがらハ風景天然にして、眺望に於「ヲイ」てハ兎角「トカク」の論なし

八條村のにぎわい

〔現代語訳〕
 八條村は家数100軒余りのよい町で、とりわけ渡し場のこちら側(八條村)の角には太田屋という酒を出す料理屋があり、往来する人でここで休息しない人はいない。そのほかには銭湯・髪結所などが各々軒を連ね、付近の村々(の人)は皆ここへ来て様々な用事を済ませているので、(八條村は)片田舎の一都会とでもいうべき地であり、とてもにぎやかである。

〔本文〕
八条村ハ家員「ヤカズ」百余軒能「ヨキ」町にて、就中「ナカンズク」舟わたしの此方「コナタ」の角にハ太田屋といヘる酒楼ありて、往来する人爰「コヽ」に憩ハざるはなし、その外にハ銭湯・髪ゆひ所などおの/\軒をつらね、界隈「カイワイ」の村々ミな当所へ来りて諸向用弁すれば、片鄙「ヘンヒ」の一都会「イツトクワイ」といふべく最「イト」賑「ニギ」やかなりけり

八條の渡し場

〔概要〕
 八條の渡し場の風景や混雑していた様子が記されている。西光院を参詣する江戸の人たちが近年になく多く、14日は900人余、15日には2,000人余が通行し、3艘〔そう〕あった渡し船の船頭は休む間もなかったという。渡し賃は5文であった。

※八條の渡しは、古利根川(現中川)の渡船場で、八條村と上彦名村〔かみひこなむら〕(現三郷市)を結んだ。

〔本文〕
頓「ヤガ」て舟場へいたるに両岸の風景和らかに面白く(中略)その流れ穏かに極て深きにもあらず、前後の渚「ナギサ」ハ或「アルヒ」は溶「ウネ」り又ハ繰込、葭「ヨシ」の青々と茂ミ、新樹の茂ミより藁屋「ワラヤ」の見ゆる風景ハ画「ヱガケ」るがごとく、且又渡口「トコウ」の両岸に舟待する男女の風俗より麦圃「ムギハタケ」の中を往来する人の笠「カサ」のミ白く見えて行違ふ様、右を見左を眺「ナガ」めこゝろ元より安悠として、川筋の風色飽事「アクコト」なく躊躇「チウチヨ」に時を移せり、されば此「コノ」川を舟越して、川端を北へ行事弐拾余町にして木売村にいたる、但し川向は武州葛飾郡「カツシカゴヲリ」とかや、昨今快晴にて風徐「ヲモムロ」に長閑「ノドカ」なれば、東都の男女貴賤「キセン」木売村をこゝろざして参詣する人夥「ヲビタヽ」しく、此八条の舟わたしにて人数を量るに、十四日九百余人、十五日弐千余人通行せしと舟場司役「シヤク」の者物がたりて、近年に覚えざる人なりといひあえり、さればこそ舟三艘を以「モツ」て交「カワル/\」わたすに船頭休息する暇「イトマ」なく、辰「タツ」の刻より渉「ワタ」し初め未「ヒツジ」の下刻より往来減ぜりと巷談「コウダン」す(中略)舟賃五銭を以て人をわたすに、十五日鐚「ビタ」拾三貫余の舟賃を取上し噂「ウワサ」なれば、その日参詣の人の繁「シゲ」きを察すべし

船で木売村へ

〔概要〕
 渡し船ではない小船が1艘現れて、木売村まで船で送ると勧誘してきたので、大浄はこの船に乗っている。

〔本文〕
しかるに渡舟にハあらで小舟一艘此方の岸に漕「コギ」よせて木売村まで乗送らんとすゝむるにぞ、諺「コトワザ」にいふわたりに舟とそこ/\に対談しおの/\舟に乗移りぬ

参考図

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館刊行物

  • その他の資料館刊行物

その他

  • 足立区立郷土博物館 足立風土記編さん委員会編『ブックレット 足立風土記8 花畑地区 足立の教育誌』(足立区教育委員会、2002年)36ページ
  • 小野文雄監修『日本歴史地名大系 第11巻 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)1051~1052、1095、1132、1134ページ
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)303、685~686ページ
  • 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 資料編10 近世1 地誌』(1979年)17、19、23、27、41~43、793~795、970~972ページ
  • 吉川市史編さん委員会編『吉川市史 資料編 近世』(吉川市、2012年)資料217・219・220
  • 吉川市史編さん委員会編『吉川市史 通史編1』(吉川市、2014年)487~488ページ
  • 広報やしお』第239・488号 ※「郷土の歴史326 八潮の地名考4 八條の地名その4」のPDFはこちら
  • 『八潮の歴史さんぽ~行ってみよう! 八潮の遺跡や文化財~』(八潮市史跡保存会、2020年)
  • 国立公文書館ホームページ

関連項目

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