『れきナビ』講座:八潮の資料で学ぶ 元号(年号)
- ※資料番号の「岡田新一郎家」は八潮市立資料館所蔵 八條岡田新一郎家文書、「小澤平吉家」は西袋小澤平吉家文書、「高橋義一家」は資料館寄託 大瀬高橋義一家文書、「濱野昭家[1] 」は資料館寄託 上馬場濱野昭家文書、「大曽根村」は資料館所蔵 大曽根村文書(豊田家文書)、「清勝院」は八條清勝院文書、「潮止小」は資料館所蔵 潮止小学校文書、「公」は資料館所蔵 歴史公文書。CHは複製本。
- ※=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク
目次 |
元号(年号)の一覧
「元号(年号)の一覧」参照
中世の年号
板碑に刻まれた元号
【資料】弘安7年(1284年) 弥陀三尊種子〔みださんぞんしゅじ〕板碑
- 所蔵:八條八幡神社
- 写真:八潮市ホームページ「弘安7年銘板石塔婆」(PDF)
- 翻刻:『八潮の金石資料』11ページ
- 解説:八潮市指定文化財「弘安7年銘板石塔婆」です。「弘安七年」(鎌倉時代)と記載されており、元号が刻まれた板碑の中では八潮市域で最も古いものです。
- 備考:上記市ホームページには解説もあります。
私年号
【資料】福徳3年(延徳3年、1491年) 曼荼羅〔まんだら〕
- 所蔵:妙光寺
- 写真:市ホームページ「福徳3年日正筆私年号曼荼羅」(PDF)
- 翻刻:『八潮市史 史料編 古代・中世』史料837
- 解説:市指定文化財「福徳3年日正〔にっしょう〕筆私年号曼荼羅」です。「福徳三辛亥〔かのとい(しんがい)〕六月吉日」と記載されています。「福徳」は私年号(朝廷が正式に定めた年号以外の年号)で、福徳3年は延徳3年に相当します。
- 備考:上記市ホームページには解説もあります。
近世の元号
禁中並公家諸法度の改元規定
【資料】慶長20年(元和元年、1615年) 禁中并公家中諸法度〔きんちゅうならびにくげちゅうしょはっと〕写
- 出典:濱野昭家2230 禁中并公家中諸法度、武家諸法度、高札文言、明和9年(安永元年、1772年)葛西用水出入裁許請書、安永4年(1775年)同出入裁許状等写
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- 翻刻:こちら(PDF)
- 解説:江戸幕府は、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした直後に、天皇と公家を規制する禁中並公家諸法度(「禁中并公家中諸法度」などとも)を定めました。第8条では、改元について次の通り規定しています。
- (読み下し文)改元は、漢朝年号の内、吉例を以〔もっ〕て相定むべし、但し重ねて習礼相熟するに於〔おい〕ては、本朝先規の作法たるべき事
- (意訳)改元は、中国の元号の中から、吉例によって新元号を選定すること。ただし、改元の儀礼に習熟するようになれば、我が国の朝廷の古くからの作法に従って改元すること。
法度制定と同月の慶長20年(1615年)7月13日には、「元和」と改元されています。中国の唐の時代の元号に「元和」(元年=806年)があり、これが新元号に選ばれました。次の「寛永」改元(1624年)以降は、中国の元号がそのまま新元号に採用されることはなくなりました。
- ※濱野昭家2230の法度には正確でない箇所があります。例えば徳川家康(大御所)が「左大臣」とありますが、家康は左大臣には就任していません。
改元情報の伝達
江戸時代の改元は、京都の朝廷と江戸の幕府の協議を経て、朝廷で儀式が行われて決定されました。朝廷から改元の知らせを受けた幕府は、江戸城に諸大名や幕臣を集めて改元を披露しました。その日付は、通常改元日から10日前後遅れています。江戸城での改元披露後、代官や領主から領民へ改元の知らせが伝達されました。
【資料1】慶長20年(元和元年、1615年)9月13日 上馬場村検地帳
- 出典:濱野昭家321 「武州騎西郡〔きさいぐん〕八条之〔の〕内上馬場村御検地水帳」 (CH33)
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- 翻刻:こちら(PDF)
- ※濱野昭家321の全翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料10「上馬場村検地帳」
- 解説:上馬場村の検地帳で、市指定文化財「慶長年間の検地水帳」の2冊目です。表紙には「慶長廿〔にじゅう〕年卯〔う〕九月十三日」と記載されていますが、上記の通り2か月前の7月13日に「元和」と改元されていました。
- 備考:慶長20年上馬場村検地帳については、「上馬場村検地帳#慶長20年(元和元年、1615年)検地帳」参照
【資料2】文化15年(文政元年、1818年) 「御用向旧記留帳〔ごようむききゅうきとめちょう〕」
- 出典:小澤平吉家96 (CH1269~1270)
- 翻刻:『八潮市史 史料編 近世2』史料43
- 解説:西袋村名主小澤豊功〔おざわとよかつ〕が編さんした史料です。内容は上馬場村名主濵野家にあった御用留〔ごようどめ〕の抜粋などで、改元に関する記載もあります。例えば「正徳」改元(宝永8年、1711年)の場合は、改元(「年号正徳と相改」)について知らせる「卯五月二日」付の代官からの触書が写されており(翻刻431ページ)、「昨朔日〔ついたち〕」(5月1日)から新元号を用いると記されています。5月1日は、江戸城で改元披露が行われた日付です(改元の日付は4月25日)。
【資料3】「文政14年」(天保2年、1831年)2月 金子借用証文
- 出典:高橋義一家1698 「入置申一札之事〔いれおきもうすいっさつのこと〕」 (CH273)
- 解説:「文政十四卯年二月」と記載されていますが、文政13年(1830年)12月10日に「天保」と改元され、16日には江戸城で改元披露が行われていました。
【資料4】弘化元年(天保15年、1844年)12月19日 奉公人請状
- 出典:大曽根村78 「相定申奉公人請状之事〔あいさだめもうすほうこうにんうけじょうのこと〕」 (CH1907)
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- 解説:「弘化元辰〔たつ〕年十二月十九日」と記載されています。天保15年12月2日(17日前)に「弘化」と改元され、16日(6日前)には江戸城で改元披露が行われていました。
【資料5】元治2年(慶応元年、1865年) 大瀬村御用留
- 出典:高橋義一家881 「御用書[ ](欠損)」 (CH157)
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- 翻刻:こちら(PDF)
- ※高橋義一家881の全翻刻:『八潮市史調査報告書11 八潮の諸家文書目録1 』史料16「御用書留」
- 解説:「三月十八日年号改り慶應(応)と改元」と記載されていますが、改元の日付は誤りです。「慶応」改元は、元治2年4月7日で、江戸城で改元披露が行われたのは4月18日です。
近代・現代の元号
「明治」改元と貨幣
慶応4年(1868年)9月8日(新暦10月23日)、「明治」と改元されました。明治天皇の代始改元です。改元と同時に、天皇1代に1元号とする「一世一元の制」が定められました。
- ※『村人たちの御一新』9ページに、改元布告(国立公文書館所蔵『太政官日誌〔だじょうかんにっし〕』)の写真掲載。
【資料1】明治4年(1871年) 改正新貨条例
- 出典:大曽根村357
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- 解説:新貨条例は、明治4年5月に制定された貨幣法で、新貨幣の呼称(単位)を「円」―「銭」(100銭=1円)―「厘」(10厘=1銭)としました。金貨などに「明治何年」という製造年を刻印することも定めています。【資料1】は、同年9月の条例更正後に刊行されたものです。
- 備考:「改正新貨条例」という資料名は、国立国会図書館所蔵資料CZ-441-010(国立国会図書館デジタルコレクションへリンク)によります。
【資料2】明治5年(1872年) 埼玉県御用帳
「大正」改元
明治42年(1909年)の「登極令〔とうきょくれい〕」第2条には、「天皇践祚〔せんそ〕(即位)ノ後ハ直〔ただち〕ニ元号ヲ改ム(後略)」と規定されています。明治45年(1912年)7月30日午前0時43分(実際は前日午後10時43分)、明治天皇が崩御され、直ちに皇太子嘉仁〔よしひと〕親王(大正天皇)が践祚されました。同日(30日)、新元号は「大正」と決定し、この日から「大正元年」となりました。
【資料1】明治45年(1912年)7月30日午後7時 天皇陛下崩御につき謹慎の件通達
- 出典:公5595 「庶務部 報告往復 県郡報告事項往復[ ](欠損)」 件291 (CH387)
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- 解説:潮止村長田中四一郎から区長宛の通達です。
【資料2】大正元年(1912年)7月30日 大正改元周知の件通達
- 出典:前掲公5595 件292 (CH387)
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- 翻刻:こちら(PDF)
- 解説:同じく村長から区長宛です。「本日ヨリ元号ヲ大正ト改メラレ」とあります。なお、文書の日付は、「三十一日」が「三十日」に訂正されています。
【資料3】明治45年度(大正元年度、1912年度) 潮止尋常高等小学校校務日誌
- 出典:潮止小100 「校務日誌」
- 解説:7月30日の記事を見ると、「本日ヨリ改元、大正」などとあります。
「昭和」改元
大正15年(1926年)12月25日午前1時25分、大正天皇が崩御され、直ちに皇太子裕仁〔ひろひと〕親王(昭和天皇)が践祚されました。同日、新元号は「昭和」と決定し、この日から「昭和元年」となりました(昭和元年は1週間)。
【資料1】昭和2年(1927年)1月3日 潮止月報 第63号
- 出典:公6363 (CH662)
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- ※第63号の全文:『八潮市史 史料編別巻』163~165ページ
- 解説:潮止村で刊行されていた広報紙です(毎月3日発行)。第63号1面最上段の黒枠で囲まれている部分には、大正天皇崩御に関連する記事が掲載されています。「改元」の箇所には、「大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為〔な〕ス」とあります。
【資料2】大正15年度(昭和元年度、1926年度) 潮止尋常高等小学校日誌
- 出典:潮止小94 「日誌」
- 解説:12月26日の記事によると、埼玉県の知事官房から潮止村の巡査に電話で改元の知らせがあり、巡査から同校に伝達されたことがわかります。
【資料3】「大正16年」(昭和2年、1927年)1月1日発行 八條教壇 第6号
- 出典:清勝院4871 (CH1754)
- 解説:八條村仏教会発行の刊行物です。第6号の奥付を見ると、大正15年(1926年)12月20日(改元直前)印刷、「大正16年」1月1日発行と記載されています。
【資料4】昭和2年(1927年)1月14日 改元につき会計年度の名称に関する件通知
- 出典:公3134 「議事部」 件28 (CH920)
- 解説:埼玉県から市町村への通知です。大正15年度(1926年度)の会計年度の名称について、改元に伴い「大正15年・昭和元年度」(原文は「大正十五年」と「昭和元年」を2行書き)として処理するよう指示しています。
「平成」改元
昭和54年(1979年)に成立した「元号法」の第2項には、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と規定されています。昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御され、直ちに皇太子明仁〔あきひと〕親王が即位されました。同日、新元号は「平成」と発表され、翌日の1月8日午前0時から「平成元年」となりました。
【資料】文化9年(1812年) 改正音訓 五経 書経 上
- 出典:岡田新一郎家266
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- 解説:『書経』(儒教の経典)に訓点を施した木版本です。赤枠で囲って示した箇所の「地平天成(地平かに天成る)」が、「平成」の出典です。
- 備考:「平成」のもう一つの出典は、『史記』(中国の歴史書)の「内平外成(内平らかに外成る)」です。
参考文献・ウェブサイト
八潮市立資料館の刊行物など
- 展示パンフレットなど
- 『第37回企画展 「蔵書」の世界―広がる書物と在村文化―』(2017年)
- 『第40回企画展 明治150年記念展示1 村人たちの御一新―幕末・維新の八潮地域―』(2018年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編1』(1989年)口絵、479~480、504~505、689、802、1093ページ
- 『八潮市史 史料編 古代・中世』(1988年)史料837
- 『八潮市史 史料編 近世1』(1984年)史料10
- 『八潮市史 史料編 近世2』(1987年)史料43、解説814~815㌻
- 『八潮市史 史料編別巻 潮止月報・八潮だより』(1979年)163~165ページ
- 『八潮市史調査報告書11 八潮の諸家文書目録1 』(1985年)史料16
- 『八潮の金石資料』(1976年)口絵、3~4、11ページ
- その他の資料館刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)13、29ページ
- ※資料館収蔵古文書などは省略。
その他
- 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[2]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)
- 安藤優一郎監修『新元号「令和」に秘められた暗号 元号で見る日本の歴史』(徳間書店、2019年)
- 小倉慈司『事典 日本の年号』(吉川弘文館、2019年)
- 久保貴子『近世の朝廷運営―朝幕関係の展開―』(岩田書院、1998年)第1章第3節・6章
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』(全15巻・17冊、吉川弘文館、1979年~1997年)
- 所功編著『日本年号史大事典 普及版』(雄山閣、2017年)
- 所功・久禮旦雄・吉野健一編著『元号読本―「大化」から「令和」まで全248年号の読み物事典』(創元社、2019年)
- 所功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』(文藝春秋、2018年)
- 国立国会図書館ホームページ
- 八潮市ホームページ