八十市

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市場之祭文」にみる市場分布図
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中世後期八潮市域周辺の荘郷・市・道・河関

 八十市(八條市)〔はちじょういち〕は、現在の八潮市大字八條付近にあったと考えられる中世の市場。

※地名・姓氏名の「八條」の総説はこちら

解説

 「武州文書」所収の「市場之祭文」から、「武州き西こふり八十」(武州騎西郡八條)と確認される。
 この「市場之祭文」とは、市を開くにあたって神前で読み上げられた祭文であり、末尾には武蔵東部から下総西部の地に所在した33か所の市場が挙げられており、八十市もそのひとつである。
 「市場之祭文」は、原本が延文6年(1361年)9月9日付とされるが、実際には戦国時代の岩付〔いわつき〕太田氏の勢力圏(岩付領)にあった市を明記したものといわれている。
 八十市は、利根川(現中川)の舟運の他、市域を縦断した鎌倉街道の脇街道・小金道〔こがねみち〕(八條・利根川の渡し・彦名〔ひこな〕・流山〔ながれやま〕・小金を結ぶ道・矢古宇道〔やこうみち〕(八條・青柳・矢古宇と連絡する道)などの古道の分岐点に位置する陸上交通の要衝であったことにより、流通が発展した地域であったと考えられる。

参考文献・ホームページ

  • 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編2』(1988年)907~912ページ
  • 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)425、431~435ページ
  • 『八潮市史 民俗編』(八潮市役所、1985年) 407~409ページ

(功刀俊宏)

 ☆このページの平成24年(2012年)3月20日版(初版)はこちら

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