『れきナビ』講座:八潮の資料で学ぶ 元号(年号)

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※資料番号の「岡田新一郎家」は八潮市立資料館所蔵 八條岡田新一郎家文書、「小澤平吉家」は西袋小澤平吉家文書、「高橋義一家」は資料館寄託 大瀬高橋義一家文書、「濱野昭家[1] 」は資料館寄託 上馬場濱野昭家文書、「大曽根村」は資料館所蔵 大曽根村文書(豊田家文書)、「清勝院」は八條清勝院文書、「潮止小」は資料館所蔵 潮止小学校文書、「公」は資料館所蔵 歴史公文書。CHは複製本。
DA.gif=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク

目次

元号(年号)の一覧

 「元号(年号)の一覧」参照

中世の年号

板碑に刻まれた元号

【資料】弘安7年(1284年)  弥陀三尊種子〔みださんぞんしゅじ〕板碑

私年号

【資料】福徳3年(延徳3年、1491年)  曼荼羅〔まんだら〕

近世の元号

禁中並公家諸法度の改元規定

【資料】慶長20年(元和元年、1615年) 禁中并公家中諸法度〔きんちゅうならびにくげちゅうしょはっと〕写

  • 出典:濱野昭家2230 禁中并公家中諸法度、武家諸法度、高札文言、明和9年(安永元年、1772年)葛西用水出入裁許請書、安永4年(1775年)同出入裁許状等写
  • 画像:
※濱野昭家2230の全画像:DA.gif
  • 翻刻:こちら(PDF)
  • 解説:江戸幕府は、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした直後に、天皇と公家を規制する禁中並公家諸法度(「禁中并公家中諸法度」などとも)を定めました。第8条では、改元について次の通り規定しています。
(読み下し文)改元は、漢朝年号の内、吉例を以〔もっ〕て相定むべし、但し重ねて習礼相熟するに於〔おい〕ては、本朝先規の作法たるべき事
(意訳)改元は、中国の元号の中から、吉例によって新元号を選定すること。ただし、改元の儀礼に習熟するようになれば、我が国の朝廷の古くからの作法に従って改元すること。

 法度制定と同月の慶長20年(1615年)7月13日には、「元和」と改元されています。中国の唐の時代の元号に「元和」(元年=806年)があり、これが新元号に選ばれました。次の「寛永」改元(1624年)以降は、中国の元号がそのまま新元号に採用されることはなくなりました。

※濱野昭家2230の法度には正確でない箇所があります。例えば徳川家康(大御所)が「左大臣」とありますが、家康は左大臣には就任していません。

改元情報の伝達

 江戸時代の改元は、京都の朝廷と江戸の幕府の協議を経て、朝廷で儀式が行われて決定されました。朝廷から改元の知らせを受けた幕府は、江戸城に諸大名や幕臣を集めて改元を披露しました。その日付は、通常改元日から10日前後遅れています。江戸城での改元披露後、代官や領主から領民へ改元の知らせが伝達されました。
【資料1】慶長20年(元和元年、1615年)9月13日 上馬場村検地帳 

  • 出典:濱野昭家321 「武州騎西郡〔きさいぐん〕八条之〔の〕内上馬場村御検地水帳」 (CH33)
  • 画像:
※濱野昭家321の全翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料10「上馬場村検地帳」

【資料2】文化15年(文政元年、1818年) 「御用向旧記留帳〔ごようむききゅうきとめちょう〕」 

  • 出典:小澤平吉家96 (CH1269~1270)
  • 翻刻:『八潮市史 史料編 近世2』史料43
  • 解説:西袋村名主小澤豊功〔おざわとよかつ〕が編さんした史料です。内容は上馬場村名主濵野家にあった御用留〔ごようどめ〕の抜粋などで、改元に関する記載もあります。例えば「正徳」改元(宝永8年、1711年)の場合は、改元(「年号正徳と相改」)について知らせる「卯五月二日」付の代官からの触書が写されており(翻刻431ページ)、「昨朔日〔ついたち〕」(5月1日)から新元号を用いると記されています。5月1日は、江戸城で改元披露が行われた日付です(改元の日付は4月25日)。

【資料3】「文政14年」(天保2年、1831年)2月 金子借用証文 

  • 出典:高橋義一家1698 「入置申一札之事〔いれおきもうすいっさつのこと〕」 (CH273) 
  • 解説:「文政十四卯年二月」と記載されていますが、文政13年(1830年)12月10日に「天保」と改元され、16日には江戸城で改元披露が行われていました。

【資料4】弘化元年(天保15年、1844年)12月19日 奉公人請状

  • 出典:大曽根村78 「相定申奉公人請状之事〔あいさだめもうすほうこうにんうけじょうのこと〕」 (CH1907)
  • 画像:DA.gif
  • 解説:「弘化元辰〔たつ〕年十二月十九日」と記載されています。天保15年12月2日(17日前)に「弘化」と改元され、16日(6日前)には江戸城で改元披露が行われていました。

【資料5】元治2年(慶応元年、1865年) 大瀬村御用留

  • 出典:高橋義一家881 「御用書[  ](欠損)」 (CH157)
  • 画像:
※高橋義一家881の全翻刻:『八潮市史調査報告書11 八潮の諸家文書目録1 』史料16「御用書留」
  • 解説:「三月十八日年号改り慶應(応)と改元」と記載されていますが、改元の日付は誤りです。「慶応」改元は、元治2年4月7日で、江戸城で改元披露が行われたのは4月18日です。

近代・現代の元号

「明治」改元と貨幣

 慶応4年(1868年)9月8日(新暦10月23日)、「明治」と改元されました。明治天皇の代始改元です。改元と同時に、天皇1代に1元号とする「一世一元の制」が定められました。

※『村人たちの御一新』9ページに、改元布告(国立公文書館所蔵『太政官日誌〔だじょうかんにっし〕』)の写真掲載。

【資料1】明治4年(1871年) 改正新貨条例 

  • 出典:大曽根村357
  • 画像:DA.gif
  • 解説:新貨条例は、明治4年5月に制定された貨幣法で、新貨幣の呼称(単位)を「円」―「銭」(100銭=1円)―「厘」(10厘=1銭)としました。金貨などに「明治何年」という製造年を刻印することも定めています。【資料1】は、同年9月の条例更正後に刊行されたものです。
  • 備考:「改正新貨条例」という資料名は、国立国会図書館所蔵資料CZ-441-010(国立国会図書館デジタルコレクションへリンク)によります。

【資料2】明治5年(1872年) 埼玉県御用帳 

  • 出典:濱野昭家1899 
  • 画像:DA.gif
  • 解説:埼玉県からの文書などを書き留めたものです。新紙幣「明治通宝」の10円・5円・2円の見本も写し取られています(DA画像20)。

「大正」改元

 明治42年(1909年)の「登極令〔とうきょくれい〕」第2条には、「天皇践祚〔せんそ〕(即位)ノ後ハ直〔ただち〕ニ元号ヲ改ム(後略)」と規定されています。明治45年(1912年)7月30日午前0時43分(実際は前日午後10時43分)、明治天皇が崩御され、直ちに皇太子嘉仁〔よしひと〕親王(大正天皇)が践祚されました。同日(30日)、新元号は「大正」と決定し、この日から「大正元年」となりました。

【資料1】明治45年(1912年)7月30日午後7時 天皇陛下崩御につき謹慎の件通達

  • 出典:公5595 「庶務部 報告往復 県郡報告事項往復[  ](欠損)」 件291 (CH387)
  • 画像:
  • 解説:潮止村長田中四一郎から区長宛の通達です。

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【資料2】大正元年(1912年)7月30日 大正改元周知の件通達 

  • 出典:前掲公5595 件292 (CH387)
  • 画像:
  • 翻刻:こちら(PDF)
  • 解説:同じく村長から区長宛です。「本日ヨリ元号ヲ大正ト改メラレ」とあります。なお、文書の日付は、「三十一日」が「三十日」に訂正されています。

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【資料3】明治45年度(大正元年度、1912年度) 潮止尋常高等小学校校務日誌 

  • 出典:潮止小100 「校務日誌」
  • 解説:7月30日の記事を見ると、「本日ヨリ改元、大正」などとあります。

「昭和」改元

 大正15年(1926年)12月25日午前1時25分、大正天皇が崩御され、直ちに皇太子裕仁〔ひろひと〕親王(昭和天皇)が践祚されました。同日、新元号は「昭和」と決定し、この日から「昭和元年」となりました(昭和元年は1週間)。

【資料1】昭和2年(1927年)1月3日 潮止月報 第63号

  • 出典:公6363 (CH662)
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※第63号の全文:『八潮市史 史料編別巻』163~165ページ
  • 解説:潮止村で刊行されていた広報紙です(毎月3日発行)。第63号1面最上段の黒枠で囲まれている部分には、大正天皇崩御に関連する記事が掲載されています。「改元」の箇所には、「大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為〔な〕ス」とあります。

【資料2】大正15年度(昭和元年度、1926年度) 潮止尋常高等小学校日誌

  • 出典:潮止小94 「日誌」
  • 解説:12月26日の記事によると、埼玉県の知事官房から潮止村の巡査に電話で改元の知らせがあり、巡査から同校に伝達されたことがわかります。

【資料3】「大正16年」(昭和2年、1927年)1月1日発行 八條教壇 第6号 

  • 出典:清勝院4871 (CH1754)
  • 解説:八條村仏教会発行の刊行物です。第6号の奥付を見ると、大正15年(1926年)12月20日(改元直前)印刷、「大正16年」1月1日発行と記載されています。

【資料4】昭和2年(1927年)1月14日 改元につき会計年度の名称に関する件通知

  • 出典:公3134 「議事部」 件28 (CH920)
  • 解説:埼玉県から市町村への通知です。大正15年度(1926年度)の会計年度の名称について、改元に伴い「大正15年・昭和元年度」(原文は「大正十五年」と「昭和元年」を2行書き)として処理するよう指示しています。

「平成」改元

 昭和54年(1979年)に成立した「元号法」の第2項には、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」と規定されています。昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御され、直ちに皇太子明仁〔あきひと〕親王が即位されました。同日、新元号は「平成」と発表され、翌日の1月8日午前0時から「平成元年」となりました。

【資料】文化9年(1812年) 改正音訓 五経 書経 上 

  • 出典:岡田新一郎家266
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  • 解説:『書経』(儒教の経典)に訓点を施した木版本です。赤枠で囲って示した箇所の「地平天成(地平かに天成る)」が、「平成」の出典です。
  • 備考:「平成」のもう一つの出典は、『史記』(中国の歴史書)の「内平外成(内平らかに外成る)」です。

参考文献・ウェブサイト

八潮市立資料館の刊行物など

  • その他の資料館刊行物
※資料館収蔵古文書などは省略。

その他

  • 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[2]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)
  • 安藤優一郎監修『新元号「令和」に秘められた暗号 元号で見る日本の歴史』(徳間書店、2019年)
  • 小倉慈司『事典 日本の年号』(吉川弘文館、2019年)
  • 久保貴子『近世の朝廷運営―朝幕関係の展開―』(岩田書院、1998年)第1章第3節・6章 
  • 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』(全15巻・17冊、吉川弘文館、1979年~1997年)
  • 所功編著『日本年号史大事典 普及版』(雄山閣、2017年)
  • 所功・久禮旦雄・吉野健一編著『元号読本―「大化」から「令和」まで全248年号の読み物事典』(創元社、2019年)
  • 所功・久禮旦雄・吉野健一『元号 年号から読み解く日本史』(文藝春秋、2018年)
  • 国立国会図書館ホームページ
  • 八潮市ホームページ

関連項目

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☆このページの平成31年(2019年)3月28日版(初版)はこちら
  1. 「濱野昭家」の「濱」は、正しくは異体字の「Hama.jpg」(Unicode:U+6FF5)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では正字体の「濱」(常用漢字は「浜」)で表記しています。
  2. 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「Taku.JPG」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。
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