現代の八潮

提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
カスリーン台風から転送)
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 現代の八潮〔げんだいのやしお〕の概要は以下の通り。

Kaisetsu.gif=解説があるページへリンク(内部リンク)
DA.gif=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク
※【資料館X】=八潮市立資料館X(旧Twitter)へリンク
※画像について、拡大表示したい場合や出典を確認したい場合は、画像をクリックして移動したページをご覧ください。

Showa22-kokushashin2.jpg昭和22年(1947年) 米軍撮影空中撮影(八潮市域周辺)

目次

時代区分の「現代」 

 時代区分の「現代」は、『れきナビ』(本サイト)では『八潮市史 通史編2』に従い、昭和20年(1945年)8月15日の終戦後とする。

※現代の前の時代は「近代」。

現代の日本と八潮年表

 こちら

カスリーン台風

 昭和22年(1947年)9月、カスリーン台風による大水害が発生した。市域は、中川流域の八條村潮止村を中心に大きな被害を受けている。

※以下も参照
※「危機刻々迫る中川堤防を警戒する人々」(『埼玉県水害誌附録写真帳』)→DA.gif
※潮止村「水害記録」→DA.gif

八潮村の誕生

 戦後地方自治を大きな柱とした新憲法が公布され、政府は自治体経営に必要な町村規模を計画して、昭和28年(1953年)に町村合併促進法を公布した。八條・潮止・八幡の三村の合併協議はなかなか合意に至らなかったが、草加との合併を強く希望する住民の多い八條村大字立野堀地区(現草加市稲荷)を分離し、新村名は三村の頭文字から「八潮」とすることでまとまり、昭和31年(1956年)9月28日に八潮村が誕生した。

※『八潮市の文化財ガイド』4ページ「「八潮」の成立<昭和・平成時代>」より引用(一部改変)。
※「八潮村の成立(三村合併)」も参照

Sonmei1.jpg八潮市域20か村と三村の図 Yashiomuranoseiritsu-kyokaihenko.jpg八潮村の成立と境界変更(八潮市域確定)の図

市制施行

 誕生までに様々な経緯をたどった八潮であったが、都心から20キロメートル圏内という立地もあり、その後の高度経済成長による工場の進出や急激な人口増加により発展を続け、昭和39年(1964年)に町制施行、昭和47年(1972年)には市制を施行した。

※『八潮市の文化財ガイド』4ページ「「八潮」の成立<昭和・平成時代>」より引用(一部改変)。
※以下も参照

市制施行後の発展

 市制施行後、首都高速道路の開通や区画整理事業による都市基盤の整備、平成17年(2005年)のつくばエクスプレスの開業などにより、まちの様相は大きく変化している。

※『八潮市の文化財ガイド』4ページ「「八潮」の成立<昭和・平成時代>」より引用(一部改変)。
※以下も参照

学校

 市域に3校(各村1校)あった国民学校は、昭和22年(1947年)に新制小学校として再出発した。小学校は、人口増加に伴って昭和44年(1969年)以降続々と新設され、昭和54年(1979年)には計10校となった。
 昭和22年(1947年)の新制中学校発足に伴ない、市域にも中学校が3校誕生した。中学校は、八潮誕生後、1校に統合された時期もあったが、その後増設されて昭和55年には計5校となった。
 高校は、昭和48年(1973年)に埼玉県立八潮高校が開校し、昭和59年(1984年)に同八潮南高校が開校した。令和8年(2026年)、両校が統合して八潮フロンティア高等学校となった(校舎は旧八潮南高)。

※「学校(小中高校)」も参照

グラフ(人口・面積)

※その他のグラフ→「人口」「面積・土地利用」参照

八潮市立資料館常設展示の現代

下記参照

参考文献・ウェブサイト

八潮市立資料館刊行物

  • その他の資料館刊行物

その他

関連項目

☆このページの令和2年(2020年)7月3日版(初版)はこちら
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