上馬場村検地帳

提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
濱野家検地帳から転送)
移動: 案内, 検索

Bunkazai-banner.jpg Komonjo-banner.jpg
 八潮市立資料館寄託上馬場濱野昭家文書[1]上馬場村検地帳〔かみばんばむらけんちちょう〕は、八潮市指定文化財および登録文化財となっている。
★検地(検地帳)の概要、八條領の検地、面積の単位については、「検地」参照

※画像について、拡大表示したい場合や出典を確認したい場合は、画像をクリックして移動したページをご覧ください。
DA.gif=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク

目次

上馬場村検地帳の伝来

 指定・登録文化財の検地帳は、上馬場(現中央)の濱野昭家に伝わったものである。同家は、中世には岩付(現さいたま市岩槻区)太田氏の家臣であったといわれ、近世には上馬場村の本田(本村)の名主を世襲した。

※濱野昭家については、「上馬場濱野昭家文書#濱野昭家」も参照
※上馬場村は、享保10年(1725年)「村鑑帳」(『八潮市史 史料編 近世1』史料27)によると、天文3年(1534年)開発とされる。

 濱野昭家に伝わった検地帳は、以下の(1)~(7)の計20冊である。

  • (1)慶長17年(1612年) 1冊
  • (2)慶長20年(元和元年、1615年) 1冊
  • (3)元和7年(1621年) 1冊
  • (4)寛永4年(1627年) 3冊
  • (5)寛文11年(1671年) 1冊
  • (6)貞享元年(1684年) 11冊
  • (7)享保18年(1733年) 2冊

 (6)・(7)は重複がある。逆に(2)・(3)・(4)は欠けている冊があり、作右衛門新田〔さくえもんしんでん〕分の冊が欠けていると推定される。なお、(4)の屋敷の冊には新田分も記載されており、(6)には新田分田畑の冊も含まれている。
 作右衛門新田分の検地帳は、本田分とは別に保管されていた(『八潮市史 史料編 近世2』史料39、『越谷市史 続史料編(1)』49ページ)。

※作右衛門新田は、隣村西袋村の小澤家初代作右衛門重録〔しげとし〕が開発したとされる。上馬場村の一部であったが、独自の名主がいた。

 濱野昭家文書以外に残されている検地帳もある(後述)が、(2)・(3)・(4)の欠を補うことはできない。

八潮市指定有形文化財(古文書)「慶長年間の検地水帳」

  • 指定年月日:昭和47年(1972年)3月9日
  • 員数:2冊

慶長17年(1612年)検地帳

  • 冊数:1冊(全1冊)
  • 資料番号:濱野昭家320(複製本CH33)
※以下濱野昭家文書は番号のみ示す。
  • 日付:慶長17年4月18日
  • 表題:「武州喜西郡〔きさいぐん〕上馬場村御検地水帳」
  • 地目:田・畑・屋敷
  • 画像:DA.gif
  • 翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料5

★詳細は「慶長17年上馬場村検地帳」参照

慶長20年(元和元年、1615年)検地帳

※上記画像の翻刻はこちら(PDF)
  • 冊数:1冊(全2冊のうち1冊欠)
  • 資料番号:321(CH33)
  • 日付:慶長20年(元和元年)9月13日
※7月13日に「元和」と改元されていた。
  • 表題:「武州騎西郡八条之内上馬場村御検地水帳」
  • 地目:田・畑・屋敷
  • 画像:DA.gif
  • 翻刻:『八潮市史 史料編 近世1』史料10
※元和4年(1618年)上馬場村年貢割付〔わりつけ〕状(『八潮市史 史料編 近世2』史料39、『越谷市史 続史料編(1)』49~51ページ)は、田畑・屋敷が「上馬場分」(本村)と「作右衛門分」に区分されている。「上馬場分」の上田・中田・下田・上畑・中畑・屋敷の面積は、検地帳(321)と一致する。下畑の面積は、割付状よりも検地帳の方が多い(検地帳4町6反3畝〔せ〕20歩〔ぶ〕、割付状3町5反16歩)。

八潮市登録有形文化財(古文書)「濱野家検地帳」

  • 登録年月日:平成19年(2007年)1月23日 
  • 員数:18冊

元和7年(1621年)検地帳

  • 冊数:1冊(全2冊のうち1冊欠?)
  • 資料番号:322(CH33)
  • 日付:元和7年2月20日
  • 表題:「武州騎西郡八条之内上馬場御検地帳」
  • 地目:田・畑
  • 画像:DA.gif
※全2冊であったことを示す記載があるが、屋敷が含まれていないことや所在地名(小字)・面積を考慮すると、作右衛門新田分の検地帳1冊を加えても村全体にはならず、実際には3冊以上あった可能性や、村全体を対象とした検地ではなかった可能性も考えられる。

寛永4年(1627年)検地帳

  • 冊数:3冊(全4冊のうち1冊欠)
  • 本田の田畑の検地帳(2冊)
    • 資料番号:323・325A(CH33)
    • 日付:寛永4年8月29日
    • 表題:「武州騎西郡八条内上馬場村御検地水帳」(325Aは一部欠損)
    • 画像:DA.gif(323)・DA.gif(325A)
  • 屋敷(本田・作右衛門新田)の検地帳
    • 資料番号:325B(CH33)
    • 日付:寛永4年(1627年)8月29日
    • 表題:「武州騎西郡八条内上馬場村御検地水帳」
    • 画像:DA.gif(325B)

寛文11年(1671年)茅野検地帳

  • 冊数:1冊(全1冊)
  • 資料番号:324(CH33)
  • 日付:寛文11年11月25日
  • 表題:「亥〔い〕暦八条領上馬場村茅野〔かやの〕検地帳」
  • 画像:DA.gif

貞享元年(1684年)検地帳

※上記画像の翻刻はこちら(PDF)。記載内容については「検地#検地帳」も参照
  • 冊数:11冊(重複除くと全4冊)
  • 本田の田畑の検地帳
    • 資料番号:326(CH34)・327(CH35)・334(CH36)
    • 日付:貞享元年3月28日
    • 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村御検地水帳写」 ※334は「八条領」ではなく「八條」。
    • 画像:DA.gif(326)・DA.gif(327) ・DA.gif(334)
  • 作右衛門新田の田畑の検地帳
    • 資料番号:328(CH35)・333(CH34・36)
    • 日付:貞享元年3月晦日〔みそか〕
    • 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村作右衛門新田御検地水帳写」
    • 画像:DA.gif(328)・DA.gif(333)
    • 翻刻:こちら(PDF) (328※抜粋)
  • 屋敷(本田・作右衛門新田)の検地帳
    • 資料番号:329A・330(CH36)
    • 日付:貞享元年3月28日
    • 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村屋鋪御検地水帳写」
    • 画像:DA.gif(329A)・DA.gif(330)
    • 翻刻:こちら(PDF) (329A)
  • 竹藪〔やぶ〕(本田・作右衛門新田)の検地帳
    • 資料番号:329B・331(CH36)・335・336(CH37)
    • 日付:貞享元年3月28日
    • 表題:「武州崎玉郡八条領上馬場村竹藪御検地水帳写」 ※336は「埼玉郡八條領」。
    • 画像:DA.gif(329B)・DA.gif(331) ・DA.gif(335) ・DA.gif(336)
※335・336には「慶応元年(1865年)正月」付の奥書、326・330・331には同年月付の貼紙がある。ちなみに、「慶応」と改元されたのは元治2年(1865年)4月7日であるので、正月時点は「元治」。334も同時期の写本。333は明治6年(1873年)正月付の写本。

享保18年(1733年)新田検地帳

  • 冊数:2冊(重複除くと全1冊)
  • 資料番号:332(CH36)・337(CH37)
  • 日付:享保18年3月
※検地実施は前年。
  • 表題:「上水堀跡新田之内武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡上馬場村新田検地帳」
※「上水」=本所上水
※2冊とも幕末の写本。332には「慶応元年(1865年)正月」付の貼紙がある。

濱野昭家文書以外に残されている上馬場村検地帳

西袋濱野剛家文書の検地帳

 資料館所蔵西袋濱野剛家文書の中に、上馬場村検地帳が1冊存在する(濱野剛家1、CH1325)。貞享元年(1684年)検地帳のうち作右衛門新田分の田畑の冊と屋敷の冊の内容が写されている。写した日付は安政3年(1856年)3月7日。

歴史公文書の検地帳抜粋

 資料館所蔵歴史公文書の中に、「検地帳表面字〔あざ〕奥文年姓名書抜」が存在する(公6662)。上馬場村連合戸長役場の罫紙に書かれたもので、慶長17年(1612年)から享保18年(1733年)までの上馬場村検地帳の表紙などが写されている。濱野昭家文書で欠けている冊は含まれない。

上馬場村検地帳にみる面積・石高・名請人(土地所持)・郡名

面積

※面積については、「面積・土地利用」参照
  • 慶長17年(1612年)検地帳によると、田畑・屋敷の面積は12町9反7畝25歩。田と畑の比率は6対4。
※詳細は「慶長17年上馬場村検地帳#地目・等級別の面積集計」参照
  • 慶長20年(元和元年、1615年)検地帳全2冊のうち、現存1冊に記載されている田畑・屋敷の面積は15町3反3畝22歩。
  • 村全体の検地としては最終の貞享元年(1684年)検地帳によると、田畑・屋敷の面積は25町6反7畝6歩。慶長17年(1612年)検地帳の約2倍。田と畑の比率は48対52。なお、竹藪は1反7畝1歩。
  • 享保18年(1733年)検地帳によると、上水堀跡新田(全て下田)の面積は1反8畝24歩。

石高

※石高については、「石高」参照
  • 慶長17年(1612年)検地帳から寛文11年(1671年)茅野検地帳までは、石高が記載されていない。
  • 貞享元年(1684年)検地帳には石高の記載があり、村高は212石6斗7合。
  • 享保18年(1733年)検地帳によると、上水堀跡新田の石高は1石2斗2升1合。

名請人(土地所持)

※名請人〔なうけにん〕については、「検地#名請人」参照
  • 慶長17年(1612年)検地帳の名請人別筆数・面積については、「慶長17年上馬場村検地帳#名請人別の筆数・面積一覧表」参照
  • 屋敷の名請人数は次の通り。
    • 慶長17年検地帳:4人
    • 慶長20年(元和元年、1615年)検地帳:5人(本田のみで作右衛門新田を含まない)
    • 寛永4年(1627年)検地帳:7人(本田3人・作右衛門新田4人)
    • 貞享元年(1684年)検地帳:10人(本田6人・作右衛門新田4人)

郡名

  • 慶長17年(1612年)検地帳:喜西郡
  • 慶長20年(元和元年、1615年)検地帳:騎西郡
  • 元和7年(1621年)検地帳:騎西郡
  • 寛永4年(1627年)検地帳:騎西郡
  • 寛文11年(1671年)検地帳:(郡名記載なし)
  • 貞享元年(1684年)検地帳:崎玉郡
  • 享保18年(1733年)検地帳:埼玉郡
※異体字も使用されているが、常用漢字に統一した。

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館の刊行物など

  • その他の資料館刊行物
  • 資料館収蔵文書
    • 寄託 濱野昭家33・487・2774
※検地帳は省略。

その他

  • 蘆田伊人編集校訂・根本誠二補訂『大日本地誌大系16 新編武蔵風土記稿 第10巻』(雄山閣、1996年)162~163ページ
  • 和泉清司『徳川幕府成立過程の基礎的研究』(文献出版、1995年)877~878、886~887、893~894ページ
  • 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究』(2004年)32~34、43~48、57~58、86~87ページ
  • 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究2』(2009年)172~176、197~201、204、216、220、375ページ
  • 葛西用水路土地改良区編集発行『葛西用水史 通史編』(1992年)204ページ
  • 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編3 近世1』(1988年)第1章第2節、第3章第1節
  • 清水正彦「上馬場村検地帳と葛西井堀開削(平成24年埼玉県地域研究発表大会要旨)」(『埼玉地方史』第68号、2014年)
  • 中野達哉『近世の検地と地域社会』(吉川弘文館、2005年)第2編第1・2章
  • 広報やしお』第48・83・365・530・532号 
    • 第83号掲載「新たに五点が市の文化財指定に」のPDF→こちら
    • 第530・532号「郷土の歴史346・347 八潮の地名考24・25 上馬場の地名 その壱・弐」のPDF→‎こちら  
  • 『越谷市史 続史料編(1)』(越谷市役所市史編さん室、1981年)36、41、49、281~283ページ
  • 『八潮市議会だより』No.110(2022年)
  • 『八潮の歴史さんぽ~行ってみよう! 八潮の遺跡や文化財~』(八潮市史跡保存会、2020年)
  • 八潮市ホームページ「市内の指定文化財」

関連項目

☆このページの令和4年(2022年)9月27日版はこちら
☆このページの平成24年(2012年)7月28日版(初版)はこちら
  1. 濱野昭家文書の「濱」は、正しくは異体字の「Hama.jpg」(Unicode:U+6FF5)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では正字体の「濱」(常用漢字は「浜」)で表記しています。
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ツールボックス