延宝8年八條領絵図
- ※以下の画像は水-1。大-1は、写しの下書と推定される。
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- ※「馬場村」→「上馬場」/『広報やしお』「中馬場の地名」(PDF)
- ※画像の接合の不備は、元データによる。
- ※瓦曽根溜井付近の「御野」は、画像接合の不備で「御殿野」と推定される。
- ※小澤家絵図の裁許絵図は、誤写がある可能性もある。
- 冒頭:西方村と八條村の「添堀築留訴論」について、代官の手代〔てだい〕を派遣して見分させたうえで、裁許を申し渡すものである。
- 第1条:西方村の訴えによると、八條用水の「添堀」は、西方村から柿木村までの8か村の悪水(排水)を、八條村にある2か所の圦〔いり〕で古利根川へ落として来た。ところが、10か年以前に八條村が柿木村との「境道末」を「築留」、さらには柿木村から東方村(現越谷市)までの7か村も「築留」ため、西方村が水損するようになったという。西方村以外の村々の供述によると、八條村の「築留」がいつからあったかは不明とのことである。西方村は長年「築留」を放置してきたので、今回訴え出たのは時機を逸している。
- 第2条:八條村にある悪水落圦は、八條村・青柳村他4か村の悪水を落とす圦である。西方村から柿木村までの8か村は、修復の人足を出していない。西方村の悪水を落とす堀であるという主張は不当である。
- 第3条:(略)
- 末尾:西方村の訴えは非分であるので、「築留」はこれまで通りとすること。絵図に裏書を加えて、西方村と八條村に1枚ずつ交付する。
- ※豊三郎は、豊功の次男の重晶。
- ※豊功の文化6年(1809年)「石高・反別田畑石盛控領々村々」(『八潮市史 史料編 近世2』史料33)によると、延宝8年(1680年)裁許絵図について、「八条村ニ所持有」とある。
- ※その他→「『れきナビ―やしお歴史事典』:地図と航空写真から調べる」や「地図と航空写真にみる八潮の歩み」参照
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編1』(1987年)第3編第1章第2・6・8節、第2章、1027~1028ページ
- 『八潮市史 史料編 近世2』(1987年)史料33・36、解説782ページ
- 『八潮のふるさと新書1 小澤豊功』(2001年)57ページ
- 資料館収蔵資料
- 小澤家絵図画像(原本個人蔵)
- 葛西用水路土地改良区編集発行『葛西用水史 資料下』(1989年)789ページ
- 工藤航平『近世蔵書文化論―地域〈知〉の形成と社会』(勉誠出版、2017年)84、189~193、235~236ページ
- 高山治[2]「葛西用水 長く使うことのできなかった用水路 」(『地図中心』通巻513号、2015年)
- 『広報やしお』
- 『越谷市史 第3巻 史料1』(越谷市役所、1973年)史料55・254
- 『越谷市史 続史料編 第1集』(越谷市史編さん室、1981年)129、141、143~144、247、249、251、311ページ
- 『越谷市史 続史料編 第2集』(越谷市役所市史編さん室、1982年)329~330ページ
- 『越谷市史諸家文書目録』(越谷市教育委員会、1989年)104ページ
- 「越谷市デジタルアーカイブ」
延宝8年(1680年)八條領絵図〔えんぽうはちねんはちじょうりょうえず〕は、西方村(現越谷市)と八條村添堀築留訴論〔そえぼりつきとめそろん〕につき裁許絵図。絵図の写しが八潮市登録有形文化財「小澤家絵図」に残されている(水-1・大-1)。
目次 |
画像・翻刻
絵図(表)の一部翻刻画像(リンクあり)
絵図(表)の原図画像
絵図裏書の翻刻
解説
八條領が描かれている延宝8年(1680年)10月の絵図。八條用水添堀築留を巡る西方村(訴訟方、原告)と八條村(相手方、被告)の争論の裁許絵図である。絵図の裏に判決文が記載されている。
絵図(表)
八條領の村名・領主・川・道などが描かれている。
当時の八條領は36か村で、南部の20か村が現八潮市、中部の3か村(立野堀村・青柳村・柿木村)が現草加市、北部の13か村が現越谷市である。上馬場村と中馬場村は、合わせて「馬場村」として記載されている。二町目村と木曽根村は、本村とは別に「新田」も記載されている。
村々は、領主別に色分けされており、桃色は「御領(料) 〔ごりょう〕」で幕領、白色は「私領〔しりょう〕」で大名領や旗本領であることを示す。幕領は、八條村・西袋村・瓦曽根村(現越谷市)・登戸村(同)の4か村と蒲生村(同)の一部である。大名領は、柿木村などが忍藩〔おしはん〕(寺社奉行)阿部正武〔まさたけ〕領、伊草村などが老中土井利房〔としふさ〕領、二町目村などが古河藩(老中)堀田正俊〔まさとし〕領である。
川などは、古利根川・綾瀬川のほか、元荒川(名称記載なし)と瓦曽根溜井〔ためい〕(「溜井」と記載)、「葛西領〔かさいりょう〕用水井堀」「本庄(所)御上水」「八条村(領ヵ)用水井堀」、「葛西溜井」と大瀬村・浮塚村の各締切堤などが描かれている。
道は、「日光海(街)道」のほか、大原村や八條村を通る下妻道(名称記載なし)、「柿ノ木村・八条村大境道」などが描かれている。
争論となった八條用水の「添堀築留」の「添堀」に関しては、八條用水に沿った「添井堀」が描かれている。「築留」は、「柿ノ木村・八条村大境道」付近に「築留野道」と記載されており、ほかにも「築留」「つきとめ」の記載がある。水流の遮断を「築留」と称しているとみられる。
絵図裏書の判決文
延宝8年(1680年)10月25日付の評定所(幕府の最高裁判機関)の裁許状(判決文)。寺社奉行・町奉行・勘定頭(勘定奉行)の三奉行が連署・押印している。
要旨は以下の通り。
絵図裏書の左下の記載(小澤家絵図)
天保14年(1843年)2月16日に小澤豊三郎が写したとあり、小澤平右衛門豊功の署名・花押がある。
関連絵図・地図・航空写真
八條領36か村の地図
八條領の領主変遷図
天保7年(1836年) 八條領絵図
令和元年(2019年) 旧八條領周辺航空写真
参考文献・ウェブサイト
八潮市立資料館の刊行物など
その他