近世の八潮
近世の八潮〔きんせいのやしお〕市域は、20か村に分かれており、武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡(初期は騎西郡〔きさいぐん〕)八條領(下郷22か村)に属した。領主は、近世後期にはおおむね北部が幕領(代官支配地)、南部が旗本領(森川2家・幸田家)であった(一部は寺領)。
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天保6年(1835年) 小松菜献上
※翻刻(右側)はこちら(PDF)
目次 |
地図
- ※その他の地図(絵図)は「地図・絵図・航空写真にみる八潮周辺の変遷」参照
新田開発と近世村落の成立
近世、市域は20か村に分かれていたが、その多くは1600年前後に成立したと言い伝えられている。
近世に入り、江戸幕府の新田開発政策のもと、市域周辺でも綾瀬川の直道化や人工堤防の構築、八條用水や葛西用水の開削がなされ、豊かな耕作地が生まれていった。
- ※『八潮市の文化財ガイド』「八潮の歴史」の「新田開発と近世村落の成立<江戸時代>」による。
水運と交通、産業の発達
この時代の物資輸送の中心は、安全かつ大量に物を運ぶことができる水運であり、綾瀬川や中川には、荷物の積み下ろしをする河岸が設けられ、荷物を積んだ川船が行き交い、にぎわいを見せていた。また、水運は、市域の村々に新たな産業の振興をもたらした。現在も地場産業として行われている染色業は、近世中頃から江戸町人の間に広まった浴衣の柄染め〔がらぞめ〕で、水運と密接に結びついて発展した。市域の染色業は、消費地の江戸と木綿生地の集積地岩槻との間に位置することや、稲作が主であるため農閑期の余剰労働力があること、作業に必要な水が豊富なことなどから、農家の副業として盛んになった。
市域を南北に縦貫する道は、「下妻街道」「千住往来」と呼ばれてきた。この道は、日光道中の脇往還として、また物資の輸送路として人々に利用され、市内の大原村や八條村では人馬の継立も行われていた。当時の八條村のにぎわいについて、文政6年(1823年)頃ここを訪れた江戸の僧津田大浄〔だいじょう〕は、「片鄙〔へんぴ〕の一都会というべく、最〔いと〕賑〔にぎ〕やかなりけり」(「遊歴雑記」)として、酒楼・銭湯・髪結所などが軒を連ねる様を記している。
- ※同上の「水運と交通、産業の発達<江戸時代>」による。
表(領主・石高・人口・名主など)
領主・石高・高請地反別・家数・人口一覧表(市域20か村、「八条領村鑑」)
凡例
- 「八条領村鑑〔はちじょうりょうむらかがみ〕」:天保6年(1835年)8月。西袋小澤平吉家文書97。翻刻は『八潮市史 史料編 近世2』史料38。
- 村名の記載順および表記は、適宜改めた。
- 領主は、『八潮市史 通史編1』第3編第1章第2節を参考にした。
- 家数・人口は、文政12年(1829年)改。家数は、寺などを含まない軒数。
村名 | よみ | 領主 | 石高(村高) | 高請地反別 | 家数 | 人口 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
八條村 | はちじょう | 山本大膳(代官) | 1,429.852石 | 171町3反7畝〔せ〕29歩〔ぶ〕 | 166軒 | 856人 | ほかに西勝院朱印地15石・大経寺朱印地7石 |
鶴ケ曽根村 | つるがそね | 山本大膳 | 835.036石 | 96町8反4畝23歩 | 75軒 | 372人 | |
小作田村 | こさくだ | 山本大膳 | 322.786石 | 40町5反2畝27歩 | 41軒 | 223人 | |
松之木村 | まつのき | 山本大膳 | 175.929石 | 21町5反20歩 | 21軒 | 130人 | |
伊草村 | いぐさ | 山本大膳 | 258.74石 | 30町3反1歩 | 30軒 | 209人 | |
二町目村 | にちょうめ | 山本大膳 | 320.854石 | 46町6反4畝28歩半 | 61軒 | 297人 | |
深川霊雲院(朱印地) | 184.171石 | 26町4反9畝25歩半 | 19軒 | 129人 | |||
計 | 505.025石 | 73町1反4畝24歩 | 80軒 | 426人 | |||
木曽根村 | きぞね | 山本大膳 | 693.005石 | 98町4反3畝22歩 | 85軒 | 485人 | |
川崎村 | かわさき | 山本大膳 | 458.899石 | 68町5反8畝13歩 | 52軒 | 258人 | |
伊勢野村 | いせの | 森川下総守〔しもうさのかみ〕(旗本) | 188.768石 | 31町6畝25歩 | 34軒 | 185人 | |
山本大膳 | - | - | - | - | 無高の御用御立野5畝15歩 | ||
計 | 188.768石 | 31町6畝25歩 | 34軒 | 185人 | |||
大瀬村 | おおぜ | 森川下総守 | 530.4644石 | 79町1畝27歩 | 76軒 | 395人 | |
古新田 | こしんでん | 森川下総守 | 302.748石 | 40町4反9畝10歩 | 45軒 | 227人 | |
垳村 | がけ | 森川下総守 | 204.4377石 | 27町8畝 | 22軒 | 83人 | |
山本大膳 | 0.48石 | 8畝 | - | - | 本所上水古堀跡新田 | ||
計 | 204.9177石 | 27町1反6畝 | 22軒 | 83人 | |||
上馬場村 | かみばんば | 山本大膳 | 212.964石 | 25町7反1畝18歩 | 26軒 | 130人 | 作右衛門新田を含む |
中馬場村 | なかばんば | 山本大膳 | 15.804石 | 2町9反5畝18歩 | 2軒 | 18人 | |
森川下総守 | 8.535石 | 1町8反9畝24歩 | - | - | |||
森川主水〔もんど〕(旗本) | 90.214石 | 19町5反2畝18歩 | 22軒 | 121人 | |||
幸田末次郎(旗本) | 150石 | 20町3反7畝19歩 | 23軒 | 119人 | |||
計 | 264.553石 | 44町7反5畝19歩 | 47軒 | 258人 | |||
大原村 | だいばら | 森川下総守 | 255.738石 | 40町7反2畝7歩 | 46軒 | 260人 | |
森川主水 | 40.588石 | 6町6反8畝8歩 | 8軒 | 56人 | |||
山本大膳 | 3.103石 | 5反6歩 | - | - | 上水跡新田 | ||
計 | 299.429石 | 47町9反21歩 | 54軒 | 316人 | |||
大曽根村 | おおそね | 森川下総守 | 592.025石 | 87町2反26歩 | 82軒 | 454人 | |
山本大膳 | 10.942石 | 2町8反5畝9歩 | 5軒 | 34人 | 新田(平次右衛門組・権兵衛組・上水跡) | ||
計 | 602.967石 | 90町6畝5歩 | 87軒 | 488人 | |||
浮塚村 | うきづか | 森川主水 | 269.198石 | 38町5反4畝19歩 | 42軒 | 232人 | |
山本大膳 | 0.414石 | 1反4畝24歩 | - | - | 元御立野跡新田 | ||
計 | 269.612石 | 38町6反9畝13歩 | 42軒 | 232人 | |||
西袋村 | にしぶくろ | 山本大膳 | 240.951石 | 53町9反8畝6歩 | 55軒 | 336人 | 新田平次右衛門組を含む |
柳之宮村 | やなぎのみや | 山本大膳 | 104.369石 | 17町7畝15歩 | 17軒 | 112人 | |
後谷村 | うしろや | 山本大膳 | 277.201石 | 42町2反1畝2歩 | 24軒 | 162人 | |
計 | 8,178.2161石 | 1,138町8反7畝20歩 | 1,079軒 | 5,883人 | ほかに西勝院・大経寺朱印地22石 | ||
平均 | 408.9108石 | 56町9反4畝余 | 54軒 | 294人 |
- ※反別(面積)の単位は、1町=10反=100畝=3,000歩(坪)=約99.17アール(9,917平方メートル)、1歩=6尺(1間)平方=約3.306平方メートル。
名主の一覧表(市域20か村、「八条領村鑑」)
領主・石高・家数・人口・名主の一覧表(八條領35か村、「八条領村鑑」)
村名表記・石高変遷表(市域20か村と立野堀村)
村名・小名(『新編武蔵風土記稿』)の一覧表
グラフ(石高・人口)
八潮市立資料館常設展示(近世)
- 「水との闘い」のコーナーでは、近世の人々の生活と河川や用水との関わりを紹介。検地帳・五人組帳・道中日記・寺子屋折手本・仏像なども展示。
- 「水を克服して」のコーナーでは、白玉粉などの地場産業も紹介。
- ※資料館のホームページ(八潮市ホームページ内)の「常設展示」はこちら
時代区分の「近世」と「江戸時代」
『れきナビ』(本サイト)における「近世」と「江戸時代」の定義は、『八潮市史 通史編1』を踏襲している。
- 近世の始期:徳川家康が関東に入国した天正18年(1590年)8月
- 近世の終期:江戸幕府が崩壊した慶応4年(9月8日に明治と改元。1868年)
- ※『八潮市史 通史編1』が扱うのは慶応3年(1867年)まで。
- 江戸時代の始期:徳川家康が征夷大将軍〔せいいたいしょうぐん〕に就任した慶長8年(1603年)
- 江戸時代の終期:15代将軍徳川慶喜〔よしのぶ〕が大政奉還した慶応3年(1867年)
参考文献・ホームページ
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2009年) 3~4ページ
- 『八潮市史 史料編 近世2』(八潮市役所、1987年)史料38
- 『八潮市史 通史編1』(八潮市役所、1989年)「『八潮市史』の編集」、528ページ、第3編第1章第2節、1103ページ、「あとがき」
- 西袋小澤平吉家文書97(八潮市立資料館所蔵複製本CH1271)
- 八潮市ホームページ
関連項目
- ☆このページの平成28年(2016年)12月17日版(「近世」)はこちら