『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:明治前期の歩み―三村の成立まで―(20180128版=初版)
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
八潮市域は、近世には武蔵国埼玉郡八條領に属する20か村(幕領・旗本領、一部寺領)が存在したが、明治前期のめまぐるしい変遷を経て、明治22年(1889年)4月1日、埼玉県南埼玉郡八條村・潮止村・八幡村の三村が成立した。
明治6年(1873年)以降相次いで開校した小学校は、明治19年(1886年)に3校に統合された。
明治9年(1876年)の人口は約7,000人、この頃の地目別面積内訳(税地)は田約63パーセント・畑約37パーセントであった。
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- ※明治18年(1885年)頃に撮影された藤波家の写真は、『川に抱かれて』146ページ参照
目次 |
絵図・地図
市域全体が含まれる主な図
- 明治4年(1871年)6月 小菅県管轄絵図
- ★市域は、小菅県管轄の20か村。図は領別に色分けされており、市域は八條領。市域の村々に付されている「八」は、戸籍区の数字(第8区)。
- →『草加市史 通史編 下巻』口絵参照
- ※『増補 葛飾区史 上巻』口絵に、明治2年(1869年)「小菅・品川・浦和各県区分図」掲載。
- 明治4年(1871)年7月 廃藩置県直後の現埼玉県域諸県図
- ※小菅県は、一部(現埼玉県域)のみ記載。
※注意(脚注参照)[1]
- 明治9年(1876年)6月 「埼玉県管内略図」 (「公文録」―「巡幸雑記」、第1区周辺)
- ★市域20か村は、埼玉県第1区(区務所は草加宿)に属した。
- ※埼玉県の区制の図→『新編埼玉県史図録』213ページ参照
- 明治13年(1880年)4月 「埼玉県管内全図」(市域周辺)
- ※明治12年(1879年)「埼玉県置郡分画図」→『新編埼玉県史図録』220ページ参照
- ※明治13年(1880年)1月出版届「埼玉県管内里程一覧」(地図)→『埼玉県史料叢書18』口絵参照
- 明治13年(1880年)4~10月測量 「迅速測図」原図 (市域周辺)
※注意(脚注参照)[1]
- ★水田が多い。
- 明治20年(1887年)2月版権所有届 「埼玉県管内全図」 (市域周辺)
市域各村の主な図
- 「村誌」付図(川崎村・大瀬村・古新田・垳村)→『八潮市史 史料編 近代3』(写真は口絵、翻刻は第1章第2節)参照
- 壬申地券〔じんしんちけん〕または地租改正の地引絵図〔じびきえず〕( 上馬場村など)→『描かれた明治維新』参照
八潮市立資料館展示「描かれた明治維新―地租改正と八潮―」ポスター
年表
凡例
- 市域に関わる主要な事項を掲載した(行政区画と学校の変遷を重視)。
- 国内・県内の重要事項も適宜付記した。
和暦 | 西暦 | 記事 |
---|---|---|
慶応4年 明治元年 |
1868年 | ※正月、鳥羽・伏見の戦い ※4月、江戸開城 7月、市域は武蔵知県事桑山圭助〔けいすけ〕(効)の管轄となる ※9月8日、明治と改元 |
明治2年 | 1869年 | 正月、武蔵知県事河瀬秀治〔ひではる・ひでじ〕(桑山の後任)の管轄地に小菅県が設置され、市域は小管県に属する |
明治4年 | 1871年 | ※正月、社寺領上知〔あげち〕(没収)令 ※4月、戸籍法公布 6月、小菅県管轄絵図(前掲)によると、市域は小菅県第8区(戸籍区) ※7月、廃藩置県 11月14日、埼玉県成立、市域は埼玉県の管轄となる |
明治5年 | 1872年 | 3月、埼玉県は管内を24区に区画、市域は第1区となる(当初は小区も存在) ※8月、「学制」公布 ※8月、宿駅制度(助郷)廃止 ※12月、太陽暦実施(12月3日=6年1月1日) |
明治6年 | 1873年 | 1月、上馬場学校開校 ※1月、徴兵令公布 2月、八條学校・川崎学校・大曽根学校開校 ※7月、地租改正条例公布 9月、大瀬学校開校 |
明治7年 | 1874年 | 3月、浮塚学校・立野堀学校開校 |
明治8年 | 1875年 | 7月、木曽根学校開校 |
明治9年 | 1876年 | 1月現在、市域の村事務所は、八條村・鶴ケ曽根村・大原村・大曽根村は各村単独の事務所、その他は2~3か村組合の事務所 ※8月、熊谷県〔くまがやけん〕廃止、埼玉県が現在の県域となる 市指定文化財「旧藤波家住宅」が建築される |
明治10年 | 1877年 | ※2~9月、西南戦争 |
明治11年 | 1878年 | ※7月、三新法(郡区町村編制法など)公布 |
明治12年 | 1879年 | 3月、埼玉県は区制廃止・郡制施行、埼玉郡が南北に分割され、市域は南埼玉郡に属する。郡内の同一村名を区別するため、川崎村は「南川崎村」、後谷村は「南後谷村」に改称 4月、鳴鶴学校開校 7月現在、市域の戸長役場は、八條村・鶴ケ曽根村は各村単独の役場、その他は2~5か村組合の役場 |
明治14年 | 1881年 | 12月、古利根川(中川)の戸ケ崎の渡し〔とがさきのわたし〕に藤橋架橋 |
明治16年 | 1883年 | 5月、市域は江戸川筋御猟場に指定される 8月頃、中馬場村他4か村組合の戸長役場が分離、各村単独の役場となる |
明治17年 | 1884年 | 7月、埼玉県は連合戸長役場制実施、市域に三つの連合戸長役場が成立 松之木村連合:八條村・鶴ケ曽根村・小作田村・松之木村・伊草村・立野堀村(現草加市)、計6か村 伊勢野村連合:二町目村・木曽根村・南川崎村・伊勢野村・大瀬村・古新田・垳村、計7か村 上馬場村連合:上馬場村・中馬場村・大原村・大曽根村・浮塚村・西袋村・柳之宮村・南後谷村、計8か村 ※10月、秩父事件発生 |
明治18年 | 1885年 | ※12月、内閣制度創設 |
明治19年 | 1886年 | 4月1日、埼玉県は新学区施行(原則1戸長役場=1学区=1校)、市域の小学校が3校に統合される(直後に尋常小学校となる) 松之木村連合(南埼玉郡第2学区):八條学校・鳴鶴学校・立野堀学校→伊草学校 伊勢野村連合(同第1学区):川崎学校・大瀬学校・木曽根学校→川崎学校 上馬場村連合(同第3学区):上馬場学校・大曽根学校・浮塚学校→西袋学校 ※4月10日、小学校令公布(小学校が尋常小学校と高等小学校の2段階となる) |
明治21年 | 1888年 | ※4月、「市制・町村制」公布 |
明治22年 | 1889年 | ※2月、大日本帝国憲法公布 4月、埼玉県は「町村制」施行(明治の大合併)、市域に三村が成立(旧村は大字となる) 松之木村連合→八條村 伊勢野村連合→潮止村(当初の村名案は「川沿村」) 上馬場村連合→八幡村 |
沿革図や統計図表(行政区画・学校・廃寺・人口・面積など)
- 八潮市沿革図(近世以降)→こちら(PDF)
- 近世村の村名表記・石高変遷表(明治初期まで)→こちら(PDF)
- 「八潮市域内の神社」(『八潮市史 史料編 近代3』解説表5)→こちら
- 「合寺・廃寺・変遷」(同書解説表7)→こちら(PDF)
- 八條領35か村の明治以降変遷関係諸表→こちら
- 村事務所・戸長役場組合変遷表(学校関連含む)→こちら(PDF)
- 『武蔵国郡村誌』関係(明治8年〈1875年〉頃) ※『武蔵国郡村誌』以外も合わせて使用しているものは前掲。
- 地租改正による面積増と旧石高一覧表→こちら
- 村勢一覧表(明治13年〈1880年〉「偵察録」)→こちら
- 戸長役場・管轄警察署・配達郵便局・学校・学区一覧表(「埼玉県各郡町村名」、明治15年〈1882年〉10月31日現在)→こちら
- 明治21年(1888年)10月「新町村造成表」関係 ※「新町村造成表」以外も合わせて使用しているものは前掲。
- 面積・人口・戸数一覧表(「新町村造成表」)→こちら
参考文献・ホームページ
- 『描かれた明治維新―地租改正と八潮―』(八潮市立資料館、2010年)
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 図録』(1993年)213、220ページ
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 別編4 年表・系図』(1991年)
- 埼玉県編集発行『中川水系総合調査報告書2 中川水系3 人文』(1993年)467ページ
- 埼玉県教育委員会編『埼玉県史料叢書18 埼玉県布達集二』(埼玉県、2016年)口絵
- 草加市史編さん委員会編『草加市史 通史編 下巻』(草加市、2001年)口絵
- 東京都葛飾区編集発行『増補 葛飾区史 上巻』(1985年)口絵
- 八潮市史編さん委員会編『川に抱かれて―八潮の歴史アルバム―』(八潮市立資料館、1994年)
- 『八潮市近代史年表』(八潮市役所、1976年)
- 『八潮市史 史料編 近代3』(八潮市役所、1982年)口絵、解説、第1章第2節
- 『八潮市史 通史編2』(八潮市役所、1989年)
- ※このページの内容は、『れきナビ』(本サイト)中の各項目に依拠している箇所が多い。