天保7年八條領絵図
- 八潮市登録有形文化財(古文書)「小澤家絵図」水-28(個人蔵)
- ※八條領については、詳細は「八條領」参照
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- ※注意(脚注参照)[1]
- ※以下の絵図画像の地名の翻刻(一部、おおむね下半分、主に八潮市域)をクリックすると、関連するページまたは『広報やしお』連載「八潮の地名考」(PDF)に移動します。
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- ※綾瀬館文庫の目録(『八潮市史 史料編 近世2』史料33)には、「一 八条領御絵図改之〔の〕節領内絵図 天保七認 壱」がある。
- ※三村合併の理由書には、近世には八條領と呼ばれた同一領に属し、東は中川、西は綾瀬川に沿った地域に位置することなどが挙げられている。→詳細は「八潮村の成立(三村合併)#【資料紹介】八潮市立資料館所蔵歴史公文書」参照
- ※その他の絵図・地図・航空写真→「『れきナビ―やしお歴史事典』:地図と航空写真から調べる」や「地図と航空写真にみる八潮の歩み」参照
- ※出典は八條岡田家文書とある(八潮市立資料館所蔵八條岡田新一郎家文書には該当史料が存在しない)。
- 展示パンフレットなど
- 『第19回企画展 生活の中の用水~合同葛西用水展~』(2001年)
- 『絵図に見る八潮の歴史展』(2007年)
- 『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(2009年)
- 『八潮市立資料館第27回企画展展示解説パンフレット 八潮の古道―下妻街道と地域の歴史―』(2012年)
- 『第28回企画展 治水―河川改修と用水開削―』(2012年)
- 『開館25周年記念事業 第32回企画展 「村の開発と人々のくらし」~小澤家絵図を読み解く~ 展示案内パンフレット』(2014年)
- 『第36回企画展 八潮の歩き方~移りゆく景観、変わりゆく八潮~』(2016年)
- 『第38回企画展 記憶をつなぐ カスリーン台風と八潮』(2017年)
- 『第41回企画展 明治150年記念展示2 近代日本の成立と八潮』(2019年)
- 『第49回企画展 水のカタチ―統べる・活かす・うるおう―』(2023年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 史料編 近世1』(1984年)口絵、史料86
- 『八潮市史 史料編 近世2』(1987年)史料33、解説780、782ページ
- 藤波彰「文政四年『行諚記』について」(『八潮市史研究』第7号、1989年)
- 『川に抱かれて―八潮の歴史アルバム―』(1994年)57ページ
- 『八潮のふるさと新書1 小澤豊功』(2001年)表紙、94~95、98ページ
- その他の資料館刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)33~34ページ
- 資料館収蔵文書
- 写真(原本個人蔵) 小澤家絵図(西袋小澤平吉家文書)
- 郷土八潮編集委員会編『3・4年生の社会科「やしお」 平成8年度版』(八潮市教育委員会、1996年)表紙裏
- 重田正夫「武蔵国における天保国絵図の調査過程」(埼玉県立文書館『文書館紀要』第19号、2006年)
- 『八潮の歴史さんぽ~行ってみよう! 八潮の遺跡や文化財~』(八潮市史跡保存会、2020年)
- 国立公文書館デジタルアーカイブ
- 八潮市ホームページ
- 「小澤 豊功(おざわ とよかつ)」→こちら
- ☆このページの令和6年(2024年)3月31日版(初版)はこちら
天保7年(1836年)八條領絵図〔てんぽうしちねんはちじょうりょうえず〕は、幕府による国絵図調査の際に作成された八條領35か村(南部20か村は現八潮市、中部3か村は現草加市、北部12か村は現越谷市)の絵図。村名・領主・河川・用水堀・悪水堀(排水路)・堤防・道・橋・渡船場などが描かれている。
目次 |
絵図の一部翻刻(凡例・村名・河川など)画像―関連情報へのリンクあり―
解説
絵図の右下に西袋村小澤平右衛門豊功が記した天保7年(1836年)8月付の文章がある。内容は、武蔵国〔むさしくのくに〕絵図調査の埼玉郡・葛飾郡〔かつしかぐん〕は代官の山田茂左衛門〔もさえもん〕が担当したこと、各村の村絵図と八條領絵図(「当領三拾五ヶ村一紙絵図」)の提出が命じられたこと、八條領絵図の下絵は豊功が作成し、提出図は後谷村左近次〔さこんじ〕(藤波左金司昌信)が描き、控え図を八條村へ預けたことなどが記載されている。
絵図の右上に豊功の蔵書「綾瀬館文庫」の蔵書印が押されている(文章と重なっている)。
絵図の右上に書かれている天保7年8月12日付の文章は、提出図に添えられたものである。これによると、八條領35か村惣代〔そうだい〕の八條村名主周助(和井田)・西袋村名主平右衛門(豊功)他2名が、八條領絵図(「八条領村々一紙麁〔そ〕絵図面」)を山田代官所に提出している。
村名は領主別に色分けされており、赤色が御料〔ごりょう〕(幕領)、黄色が私領〔しりょう〕(大名領や旗本領)である。道は、主要な道のみ描かれており、日光道中には道名も記載されているが、その他の下妻道(大原村や八條村を通る道)などは道名が記載されていない。川崎村などに描かれている「切所〔きれしょ〕跡」は、洪水により堤防が決壊した跡の池である。
絵図の裏には、国絵図調査関連文書が記載されている。
関連絵図・地図(武蔵国絵図・領主変遷図など)
参考 小澤家絵図とは別の天保7年八條領絵図
国絵図調査で作成された天保7年(1836年)八條領絵図は、小澤家絵図とは別の絵図もあり、『八潮市史 史料編 近世1』の口絵に写真(裏を含む)、史料86に裏記載文書の翻刻が掲載されている。
小澤家絵図と比較すると、豊功が記した文章がない点を除くと、おおむね同内容であるが、若干の相違もある。絵図の裏に記載されている国絵図調査関連文書は、小澤家絵図と同文である。
参考文献・ウェブサイト
八潮市立資料館の刊行物など
その他