『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:八潮村の成立(三村合併)(20220609版)

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 八潮村の成立(三村合併)〔やしおむらのせいりつ(さんそんがっぺい)〕は、昭和31年(1956年)9月28日、埼玉県南埼玉郡八條村潮止村八幡村の三村が合併して、「八潮村」(現八潮市)が成立したこと。なお、八條村のうち大字立野堀は、分離して北足立郡草加町に編入された(現草加市稲荷)。

※「やしお」という地名などについては「やしお」参照
※画像を拡大表示したい場合、および画像の出典を確認したい場合は、画像をクリックしてください。
DA.gif=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク

Yashio enkaku.jpg八潮市沿革図(近世以降)(PDF)
Yashiomuranoseiritsu-kyokaihenko.jpg八潮村の成立と境界変更(八潮市域確定)の図

目次

前史

近世の八條領内20か村と三村の成立

 近世の市域は、20か村に分かれており、武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡八條領に属した。
 明治22年(1889年)、市制・町村制施行(明治の大合併)により、八條村・潮止村・八幡村の三村が成立した。

※潮止村の当初の村名案は「川沿村」。
※詳細は「八潮市の歴史概要」の関連項目参照

Sonmei1.jpg市域20か村と三村の図

※「地図・絵図・航空写真にみる八潮周辺の変遷」はこちら

3か村連合猟区と戦時中の市町村合併計画

 合併前の三村の関係を示す一例として、大正13年(1924年) から昭和29年(1954年)の連合猟区が挙げられる。
 戦時中の市町村合併計画によると、三村の合併が計画されていた。

昭和の大合併と八潮村の成立(三村合併)の概要

 戦後地方自治を大きな柱とした新憲法が公布され、政府は自治体経営に必要な町村規模を計画して、昭和28年(1953年)に町村合併促進法を公布した。八條・潮止・八幡の三村の合併協議はなかなか合意に至らなかったが、草加との合併を強く希望する住民の多い八條村大字立野堀を分離し、新村名は三村の頭文字から「八潮」とすることでまとまり、昭和31年(1956年)9月28日に八潮村が誕生した。

※『八潮市の文化財ガイド』4ページより引用(一部改変)。
※町村合併促進法によると、町村の規模は人口8,000人以上が標準とされた。

八潮村成立時の村況

 八潮村全体としては農村的色彩が強かったが、旧八幡村は都市的性格を帯びていたとされる。

八潮村成立時の人口・面積・学校など一覧表

現在人口
(人)
現在戸数
(戸)
面積
(平方キロメートル)
都市的業態
(人)
農業
(人)
小学校
(校)
中学校
(校)
八潮村 12,703 2,008 18.31 2,780 8,013 3 3
旧八條村
(立野堀を除く)
3,533 539 5.62 363 2,843 1 1
旧潮止村 4,561 699 7.08 710 3,148 1 1
旧八幡村 4,609 770 5.61 1,707 2,022 1 1

注 

  • 八潮村設置申請書(下記参照)による。
  • 9月28日現在の人口は12,712人(『八潮だより』第77号)。
  • 「都市的業態」は、都市的業態に従事する者およびその者と同一世帯に属する者の数。「農業」も同。
  • 『八潮だより』第77号によると、昭和31年度(1956年度)における都市的業態に従事する者およびその者と同一世帯に属する者の数(推定)は5,250人。

グラフ(人口・面積・産業) と学校変遷図

八潮村役場と初代八潮村長

 八潮村役場は、旧八幡村役場(大字中馬場、現中央三丁目)が使用された。

※詳細は「八潮市役所(八潮町役場・八潮村役場)庁舎」参照

 昭和31年(1956年)9月28日の八潮村成立から村長選挙が行われるまでの間は、会田悠治(最後の八幡村長)が、「村長職務執行者」として村長の職務を代行した。同年11月11日の村長選挙には3名が立候補し、恩田理三郎(最後の潮止村長)が初代八潮村長に当選した。

※詳細は「八潮市長(八潮町長・八潮村長)」参照

草加町合併問題と町制施行・市制施行

 八潮村成立直前の昭和31年(1956年)9月9日に開催された八幡・八條村議会代表者協議会においては、草加町との合併を速やかに実現することが決定されていた。八潮村成立後、草加町との合併は実現せず、大字伊草および幸之宮〔こうのみや〕(大字八條内)が分村合併を要求したが、分村には至らなかった。
 八潮村は昭和39年(1964年)に町制を施行し、昭和47年(1972年)には市制を施行した。

※「八潮誕生後の歩み―農村から工業・住宅都市へ―」はこちら

年表

和暦年 西暦年 記事
昭和28年 1953年 9月 町村合併促進法公布(10月施行)
昭和29年 1954年 2月 埼玉県の町村合併試案で八條村・潮止村・八幡村の三村合併案が示され、三村の村長・正副議長は合併促進で一致
6月18日 三村合併の期日や新村名「八汐村」を決定
6月28日 潮止・八幡両村議会が三村合併を決議
7月4日 八條村議会が三村合併を決議し、草加町との合併促進を付帯決議
7月12日 「八汐村」設置申請書を県に提出
9月 八條村議会が「八汐村」発足延期を決議
10月1日 三村合併の期日(実現せず)
昭和31年 1956年 9月12日 三村合併の期日や新村名「八潮村」を決定
9月15日 草加町が八條村のうち大字立野堀の編入を受諾
9月20日 八潮村設置申請書を県に提出
9月28日 三村が合併して八潮村が成立。立野堀は草加町に編入
9月30日 町村合併促進法失効
11月 恩田理三郎が初代八潮村長に就任
昭和32年 1957年 8月 大字伊草および幸之宮(大字八條内)が、分村して草加町と合併することを請願
9月 村議会議員選挙
昭和33年 1958年 6月 幸之宮の分村合併要求を取り下げる協定書締結
昭和35年 1960年 5月 伊草の分村合併要求を取り下げる協定書締結

【資料紹介】 合併申請書ほか(八潮市立資料館所蔵歴史公文書)

昭和29年(1954年) 7月12日 「八汐村」設置申請書

  • 出典:公6740件25
  • 画像:
※全体の画像→DA.gif
  • 解説:昭和29年(1954年)10月1日に三村を廃止して、新たに「八汐村〔やしおむら〕」を設置する申請書。三村の村長の連名で県知事宛に提出された。合併の理由書には、三村は習俗・慣例を共有し、近世には八條領と呼ばれた同一領に属し、住民間の交流があり、東は中川、西は綾瀬川に沿った地域に位置することなどが記されている。新村名選定の理由は、(1)旧村名を象徴すること、(2)字体が簡易であること、(3)語音が軽快であることが挙げられている
※【関連文書】昭和29年(1954年)2月 埼玉県町村合併試案→DA.gif
※【関連文書】昭和29年(1954年)6月14日 潮止中学校生徒の新村名案→DA.gif
※【関連文書】昭和29年(1954)6月18日 合併促進協議会会議録(合併期日や新村名「八汐村」を決定)→DA.gif
※東京都編入を求める動きもあった。【関連文書】潮止村:昭和29年(1954年)5月18日文書→DA.gif/八幡村:昭和29年(1954年)6月17日文書→DA.gif

昭和30年(1955年)3月25日 「八汐村」設置申請書返付通知

  • 出典:公6737件6
  • 画像:DA.gif
  • 解説:「八汐村」設置申請書を返付する通知。申請書提出後の昭和29年(1954年)9月、八條村議会で「八汐村」発足を延期することが決議され、合併が白紙となっていたことによる。
※【関連文書】昭和29年(1954年)10月 同年11月3日に潮止村・八幡村を合併して「八汐村」を設置する議案→DA.gif

昭和31年(1956年)9月20日 八潮村設置申請書

  • 出典:公6586件47、6737件46-1
  • 画像:
※全体の画像→DA.gif(公6737件46-1)
  • 解説:昭和31年(1956年)9月28日に三村を廃止して、潮止村・八幡村および八條村大字八條・鶴ケ曽根小作田松之木・伊草の区域をもって、新たに「八潮村」を設置する申請書。合併の理由書は、「八汐村」設置申請書とほぼ同文である。新村名選定の理由は、(1)旧村名を象徴すること、(2)語音が軽快であることが挙げられているが、「八汐村」にあった字体が簡易であることは含まれない。
※【関連文書】昭和31年(1956年)9月6日 八條村議員協議会決議書(三村合併を目標に進めるが、まとまらないときは2か村で合併を進め、これもまとまらないときは単独で草加町へ合併すること、前2者のいずれかが実現する場合は大字立野堀の分離を承認することを決議)→DA.gif
※【関連文書】昭和31年(1956年)9月9日 八幡・八條村議会代表者協議会議事録(三村合併の協議・議決の完了期日と、「草加町えの合併の時期は現議員の任期中において最大の努力を払い速やかに実現する」ことを決定)→DA.gif
※【関連文書】昭和31年(1956年)9月11日 三村合併申入れにつき潮止村回答(三村合併の協議・議決の完了期日については賛成、「草加町等えの合併については現議員の在任中最大の考慮を払い速かに実現するよう努力する」) →DA.gif
※【関連文書】昭和31年(1956)9月25日 八潮村開庁式案内→DA.gif

昭和31年(1956年) 9月20日 立野堀を草加町に編入申請書

  • 出典:公6586件72
  • 画像:
※全体の画像(添付書類は一部)→DA.gif
  • 解説:昭和31年(1956年)9月28日に八條村のうち大字立野堀を草加町に編入する申請書。八條村長・草加町長の連名で県知事宛に提出された。編入の理由としては、立野堀は草加の東に位置し、地形交通・経済・その他あらゆる面において草加に接する関係があり、特に草加に近接する地域は工場地帯であることが挙げられている。
※【関連文書】昭和29年(1954年)6月27日 草加町との合併を要望する立野堀住民陳述書→DA.gif
※【関連文書】昭和31年(1956年)9月15日 立野堀を草加町に編入協定書→DA.gif

「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」の公文書(簿冊)の町村合併関係(画像有)

  • 公1959「埼玉県町村合併状況」 DA.gif
  • 公2925「三ヶ村合併綴」(八條村)  DA.gif
  • 公4628「町村合併関係綴」(潮止村)  DA.gif
  • 公6049「町村合併関係綴」(八幡村) DA.gif
  • 公6050「合併審議会関係綴」(八幡村)  DA.gif
  • 公6586「合併書類」(八條村) DA.gif
  • 公6737「町村合併関係綴」(潮止村)  DA.gif
  • 公6738「町村合併促進関係綴」(八幡村)  DA.gif
  • 公6739「町村合併関係綴」(潮止村)  DA.gif
  • 公6740「町村合併関係書類」(潮止村) DA.gif
  • 公6741「第二次合併関係綴」(八潮村) DA.gif
  • 公6742「町村合併促進協議会書類綴」(潮止村)  DA.gif
  • 公6743「三ヶ村合併関係記録」(潮止村) DA.gif
※町村合併に関係する文書は、その他の簿冊の中にも存在する。

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館の刊行物など

  • その他の刊行物

その他

  • 恩田恒治『振り返る 恩田理三郎の一生』(文芸社、2002年) 48~51、54、57~58、85~86ページ
  • 埼玉県地方課編著『埼玉県市町村合併史 上巻』(埼玉県自治研究会、1960年)附録
  • 埼玉県地方課編著『埼玉県市町村合併史 下巻』(埼玉県自治研究会、1962年)1013~1022ページ
  • 昭和31年(1956)9月28日総理府告示第461号「町村の廃置分合」(『官報』第8928号)
※『れきナビ』(本サイト)内の各ページも参考にした。

関連項目

☆このページの令和4年(2022年)1月25日版はこちら
☆このページの平成24年(2012年)3月20日版(初版)はこちら
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