『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:検地(20220904版)

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 検地〔けんち〕は、戦国期から近世に、領主が所領を把握するために行った土地調査。

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目次

検地の概要

検地

 検地は、村を単位に田畑や屋敷一筆(一区画)ごとの所在地名(字名〔あざな〕、小字)を確認して測量し、面積・等級・石高・名請人〔なうけにん〕(後述)を決定し、年貢負担者と年貢の基準を確定した。
 村を単位に土地調査を行う前提として、村の境界が確定された(「村切り」)。一つの村が複数の村に分割されたところは少なくなく、逆に複数の集落で一つの村とされたケースもあった。
 18世紀以降の検地は、新たに開発された新田畑に限られることが多かった。

検地帳

 検地帳は、検地の結果をまとめた土地台帳。水帳〔みずちょう〕などとも呼ばれる。記載事項は、田畑や屋敷一筆ごとの所在地名・地目・等級・縦横長さ・面積・石高・名請人など。
 検地帳は、百姓の土地所持権を明証する基本台帳であった。検地後の所持権の移動については、検地帳に貼紙をして移動の内容を記すなどした。どの家が検地帳を保管しているかも重要な意味を持っており、古い検地帳を持っているということ自体、その家が古くからの由緒を持つ名家である証拠になった。
〔記載例〕

貞享元年(1684年) 上馬場村検地帳
※翻刻はこちら(PDF)

 画像の右から1行目には、次の通り記載されている。

(右脇)(1)天神通り
(2)拾(十)六間〔けん〕・拾間半 (3)中田(4)五畝〔せ〕拾八歩〔ぶ〕   (5)観音寺(觀音寺)
(左脇)(5)分米五斗〔と〕六升
  • (1)所在地名(小字)
  • (2)土地の縦と横の長さ
  • (3)地目と等級
  • (4)面積
  • (5)名請人(この場合は寺院が名請人)
  • (6)分米(石高)
※土地の一区画を「一筆」と称するのは、検地帳に一行ずつ書かれたことによる。

名請人

 名請人は、土地の所持者として領主に認定され、検地帳にその名を記載された百姓。土地の権利を認められる代わりに、年貢納入を義務付けられた。

名寄帳

 名寄帳〔なよせちょう〕は、名請人別に所持地の面積・石高をまとめて記載した帳簿。村で作成されたもので、年貢を村民に割り当てる際の基礎台帳として使われた。

八條領の検地

八條領検地一覧表

年代 西暦 検地実施が判明する村名(八潮市域) 同(その他八條領) 備考
天正19年 1591年   南百村    
慶長17年 1612年 上馬場村・〔中馬場村〕・〔西袋村(西袋新田)〕 伊原村東方村・南百村 上馬場村については「慶長17年上馬場村検地帳」参照
慶長20年(元和元年) 1615年 上馬場村・〔中馬場村〕 伊原村 以下上馬場村については「上馬場村検地帳」参照
元和7年 1621年 上馬場村・柳之宮村 〔伊原村〕
寛永4年 1627年 八條村二町目村木曽根村川崎村伊勢野村大瀬村古新田(大瀬新田)・垳村・上馬場村・中馬場村・大原村大曽根村浮塚村・西袋村(西袋新田)・柳之宮村 八條領全域で実施されたと推定される。左記以外の八潮市域の村名は、鶴ケ曽根村小作田村松之木村伊草村後谷村(市域は計20か村)
寛文4年 1664年 八條村・川崎村・西袋村 登戸村瓦曽根村 新田
寛文11年 1671年 上馬場村   茅野〔かやの〕
寛文12年 1672年 青柳村 旗本領の「地詰改」
延宝7年 1679年 西袋村    新田
貞享元年 1684年 鶴ケ曽根村・小作田村・松之木村・伊草村・川崎村(古領)・上馬場村・柳之宮村・後谷村 立野堀村・伊原村(古領) 旧土井利房〔としふさ〕(若年寄)領の幕領
元禄6年 1693年     青柳村 新田
元禄8年 1695年 八條村・伊勢野村・大曽根村・浮塚村・西袋村 蒲生村(西分)・登戸村・瓦曽根村 伊勢野村・大曽根村・浮塚村は御用萱野〔かやの〕。検地は前橋藩酒井家が担当。検地帳は元禄10年(1697年)付
享保16年 1731年 八條村・鶴ケ曽根村・松之木村・伊草村・川崎村 麦塚村?・伊原村・西方村・東方村?・柿木村? 新田。八條村・鶴ケ曽根村・松之木村・伊草村・麦塚村・東方村・柿木村は上郷落八條用水添堀跡。川崎村・西方村は元見取〔みとり〕場(見取場は、地味が劣悪なため、面積だけで表示し、石高を付けない田畑)
享保17年 1732年 小作田村・松之木村・伊草村・垳村・上馬場村・中馬場村・大原村・大曽根村 立野堀村・青柳村・麦塚村・伊原村・蒲生村・登戸村・西方村 新田(本所上水古堀跡)。検地帳は翌年付
元文元年 1736年    麦塚村?・東方村?・見田方村?・柿木村?・千疋村?・別府村?・四条村?・南百村? 忍藩〔おしはん〕領の新田。「ニ入」などとあるが、検地であったかは要検討
寛延2年 1749年    登戸村・西方村 新田
寛延3年 1750年    瓦曽根村 新田(御用萱野跡)
宝暦2年 1752年 大曽根新田平次右衛門組西袋村新田平次右衛門組・後谷村    新田。大曽根新田は御殿野ならびに古綾瀬川跡。西袋村新田は草銭場・御用萱野跡、古綾瀬川跡。後谷村は綾瀬川堤外
宝暦3年 1753年 中馬場村・大曽根新田権兵衛組・西袋村・柳之宮村・後谷村 立野堀村・青柳村・麦塚村・伊原村 新田(古綾瀬川跡・綾瀬川通など)
宝暦8年 1758年    青柳村 新田(元見取場)
宝暦12年 1762年    蒲生村 土地争論に伴う一村総検地
明和3年 1766年    東方村 新田(八條用水西縁〔べり〕悪水古堀跡)
明和4年 1767年 小作田村    新田。翌年とする史料も
明和6年 1769年    西方村 新田(元見取場)。検地帳は翌年付
明和9年(安永元年) 1772年    立野堀村 新田
安永2年 1773年 大曽根新田平次右衛門組・西袋村新田平次右衛門組    新田(古綾瀬川跡)
天明2年 1782年 後谷村    新田(沼田)
文化10年 1813年       村名不明(検地実施は『八潮市史 通史編1』による)
文政2年 1819年 木曽根村・川崎村    新田(堤外)
天保5年 1834年 大曽根新田平次右衛門組・後谷村   新田。後谷村は字堤外見付田
嘉永2年 1849年 伊勢野村    新田(元御用御立野)

八條領の検地帳の石高記載

 八條領の初期の検地帳を見ると、石高の記載がない。

慶長17年(1612年) 上馬場村検地帳

※翻刻はこちら(PDF)

 八條領の検地帳に石高が記載されるようになったのは、貞享元年(1684年)以降とされる。

八潮市域20か村の最終検地(一村全体)

 八潮市域20か村における最終検地(村の一部ではなく一村全体が対象)の時期は、(1)寛永4年(1627年)、(2)貞享元年(1684年)、(3)元禄8年(1695年)の三つに区分される。 

最終検地(一村全体)年 西暦 村名 備考
寛永4年 1627年 二町目村・木曽根村・川崎村(新領)・伊勢野村・大瀬村・古新田・垳村・中馬場村・大原村・大曽根村・浮塚村 元禄8年(1695年)当時古河藩〔こがはん〕領・旗本領の村々。古河藩領は元禄11年(1698年)より幕領。寛永4年(1627年)当時は中馬場村の一部を除いて幕領
貞享元年 1684年 鶴ケ曽根村・小作田村・松之木村・伊草村・川崎村(古領)・上馬場村・柳之宮村・後谷村 寛文10年(1670年)から天和2年(1682年)の間は土井利房領となっていた幕領
元禄8年 1695年 八條村・西袋村 貞享元年(1684年)に検地が実施されていなかった幕領

参考 長さと面積の単位

  • 長さの単位
    • 1間〔けん〕=6尺=約1.818メートル
    • 1尺=0.1丈=10寸=約30.3センチメートル
  • 面積の単位
    • 1町=10反(段)〔たん〕=100畝〔せ〕=3,000歩〔ぶ〕(坪)=約99.17アール(9,917平方メートル)→ほぼ1ヘクタール
    • 1坪=6尺(1間)平方=約3.306平方メートル

参考文献・ホームページ

八潮市立資料館刊行物・収蔵文書

  • 資料館収蔵文書
    • 所蔵 歴史公文書6618
    • 寄託 上馬場濱野昭家[1]文書320(複製本CH33、常設展示資料)・327(CH35)
    • 複製資料所蔵 大曽根栗原常男家文書6(ファイル214)
※資料館(市史編さん室)が実施した古文書調査の情報も参考にした。

その他

  • 朝尾直弘・宇野俊一・田中琢[2]編『角川 新版 日本史辞典 第5版』(角川学芸出版部、2007年)「一筆限」「検地」「検地帳」「名請人」「名寄帳」「見取場」「村切」
  • 蘆田伊人編集校訂・根本誠二補訂『大日本地誌大系16 新編武蔵風土記稿 第10巻』(雄山閣、1996年)154~175ページ
  • 小澤正弘著発行『関東郡代伊奈氏の研究2』(2009年)71~72、172~176ページ
  • 小野文雄監修『日本歴史地名大系 第11巻 埼玉県の地名』(平凡社、1993年)
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(角川書店、1980年)
  • 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 通史編3 近世1』(1988年)第1章第2節、第3章第1節
  • 草加市史編さん委員会編『草加市史 資料編1』(草加市、1985年)221~236ページ
  • 草加市史編さん委員会編『草加市史 資料編地誌』(草加市、1990年)353~357、373~376ページ
  • 中野達哉『近世の検地と地域社会』(吉川弘文館、2005年)第2編第1・2・4章
  • 渡辺尚志『百姓の力―江戸時代から見える日本』(柏書房、2008年)59~69ページ
  • 広報やしお』連載「郷土の歴史」(「八潮の地名考」)
  • 『越谷市史 第1巻 通史上』(越谷市役所、1975年)464~469、781~782、1059ページ
  • 『越谷市史 続史料編(1)』(越谷市役所市史編さん室、1981年)36、41、49、109~113、125、130、137、171、192、281~283、313~316、320~321ページ
  • 『越谷市史 続史料編(2)』(越谷市役所市史編さん室、1982年)327ページ
  • 『野口家文書 其の一』11~28ページ

関連項目

☆このページの令和2年(2020年)6月23日版はこちら
  1. 濱野昭家の「濱」は、正しくは異体字の「Hama.jpg」(Unicode:U+6FF5)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では正字体の「濱」(常用漢字は「浜」)で表記しています。
  2. 田中琢の「琢」は、正しくは旧字体の「Taku.JPG」(Unicode:U+FA4A)です。この字は、オペレーションシステムなどの環境により正しく表示されない可能性があるため、本文では人名用漢字で表記しています。
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