八潮村の成立(三村合併)
八潮村の成立(三村合併)〔やしおむらのせいりつ(さんそんがっぺい)〕は、昭和31年(1956年)9月28日、埼玉県南埼玉郡八條村・潮止村・八幡村の三村が合併して、「八潮村」(現八潮市)が成立したこと。八條村のうち大字立野堀は、分離して北足立郡草加町に編入された(現草加市稲荷)。
- ※「やしお」という地名などについては「やしお」参照
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八潮村設置申請書添付「合併村略図」(【資料紹介】へリンク)
八潮市沿革図(近世以降)(PDF)
八潮村の成立と境界変更(八潮市域確定)の図
目次 |
前史
近世の八條領内20か村と三村の成立
近世の市域は、20か村に分かれており、武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡八條領に属した。
明治22年(1889年)、市制・町村制施行(明治の大合併)により、八條村・潮止村・八幡村の三村が成立した。
- ※潮止村の当初の村名案は「川沿村」。
- ※詳細は「八潮市の歴史概要」の関連項目参照
近世
八條領の村々の図
- ※「地図・絵図・航空写真にみる八潮周辺の変遷」はこちら
3か村連合猟区と戦時中の市町村合併計画
合併前の三村の結び付きを示す一例として、大正13年(1924年) から昭和29年(1954年)の連合猟区が挙げられる。
戦時中の市町村合併計画によると、三村の合併が計画されていた。
昭和の大合併と八潮村の成立(三村合併)の概要
戦後地方自治を大きな柱とした新憲法が公布され、政府は自治体経営に必要な町村規模を計画して、昭和28年(1953年)に町村合併促進法を公布した。八條・潮止・八幡の三村の合併協議はなかなか合意に至らなかったが、草加との合併を強く希望する住民の多い八條村大字立野堀を分離し、新村名は三村の頭文字から「八潮」とすることでまとまり、昭和31年(1956年)9月28日に八潮村が誕生した。
- ※『八潮市の文化財ガイド』4ページより引用(一部改変)。
- ※町村合併促進法によると、町村の規模は人口8,000人以上が標準とされた。
八潮村成立時の村況
八潮村全体としては農村的色彩が強かったが、旧八幡村は都市的性格を帯びていたとされる。
八潮村成立時の人口・面積・学校など一覧表
現在人口 (人) |
現在戸数 (戸) |
面積 (平方キロメートル) |
都市的業態 (人) |
農業 (人) |
小学校 (校) |
中学校 (校) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
八潮村 | 12,703 | 2,008 | 18.31 | 2,780 | 8,013 | 3 | 3 |
旧八條村 (立野堀を除く) |
3,533 | 539 | 5.62 | 363 | 2,843 | 1 | 1 |
旧潮止村 | 4,561 | 699 | 7.08 | 710 | 3,148 | 1 | 1 |
旧八幡村 | 4,609 | 770 | 5.61 | 1,707 | 2,022 | 1 | 1 |
注
- 八潮村設置申請書(【資料紹介】参照)による。
- 9月28日現在の人口は12,712人(『八潮だより』第77号)。
- 「都市的業態」は、都市的業態に従事する者およびその者と同一世帯に属する者の数。「農業」も同。
- 『八潮だより』第77号によると、昭和31年度(1956年度)における都市的業態に従事する者およびその者と同一世帯に属する者の数(推定)は5,250人。
グラフ(人口・面積・産業) と学校変遷図
八潮村役場と初代八潮村長
八潮村役場は、旧八幡村役場(大字中馬場、現中央三丁目)が使用された。
- ※詳細は「八潮市役所(八潮町役場・八潮村役場)庁舎」参照
昭和31年(1956年)9月28日の八潮村成立から村長選挙が行われるまでの間は、会田悠治(最後の八幡村長)が、「村長職務執行者」として村長の職務を代行した。同年11月11日の村長選挙には3名が立候補し、恩田理三郎(最後の潮止村長)が初代八潮村長に当選した。
- ※詳細は「八潮市長(八潮町長・八潮村長)」参照
八潮村役場
※注意(脚注参照)[1]
草加町合併(分村編入)問題と町制施行・市制施行
三村合併に際しては、草加町への合併を速やかに実現することが議会で議決されていたが、草加への合併は進捗しなかった。大字伊草および幸之宮〔こうのみや〕(大字八條内)は、分村して草加に編入することを要求した。村政を揺るがせた分村編入問題が要求取り下げで解決したのは、昭和35年(1960年)であった。
八潮村は昭和39年(1964年)に町制を施行し、昭和47年(1972年)には市制を施行した。
- ※「八潮誕生後の歩み―農村から工業・住宅都市へ―」はこちら
年表
和暦年 | 西暦年 | 記事 |
---|---|---|
昭和28年 | 1953年 | 9月 町村合併促進法公布(成立は8月、施行は10月)→ |
昭和29年 | 1954年 | 1月22日 埼葛地区町村合併試案で八條村・潮止村・八幡村の三村合併案が示される→ 2月4日 八幡村、町村合併に関する意向調査に東京都域との合併を希望と回答→ 2月26日 埼玉県町村合併試案で三村合併案が示される→ 同日 三村の村長・正副議長が会合、三村合併で一致→ 5月18日 潮止村の村長らが自治庁を訪問、東京都への編入合併は困難との回答→・【Twitter】 6月11日、三村合併の期日を10月1日、各村議会の合併議決日を6月28日とし、新村名を各村(3校)の中学生から募集して10案ずつ持ち寄ることが決定→・ 6月14日 潮止中学校、生徒の新村名案から選んだ10案(「八潮村」「三美〔よし〕村」 など)と、その他を含む新村名案の票数(「八汐村」80票・「三和村」20票・「汐八村」7票など)を潮止村長に報告→・【Twitter】 ※6月17日 潮止村町村合併推進協議会会議録(八幡村が東京都編入について足立区役所を訪問したが、受け入れないとの回答であったことなど記載)→ 6月18日 新村名を「八汐村」とすることが決定→ 6月27日 八條村大字立野堀の住民、草加町への合併を要望する陳述書を提出→・【Twitter】 6月28日 潮止村議会、三村合併を議決→ 同日 八幡村議会、三村合併を議決→ 同日 八條村議会、三村合併を議決する議会が流会 7月4日 八條村議会、三村合併を議決し、付帯条件として草加町への合併を促進する意見書を可決→(合併決議)・(意見書)・(会議録) 7月12日 「八汐村」設置申請書を県に提出→【資料紹介】 9月11日 埼玉県町村合併審議会、三村合併を県議会に提案するよう県知事に答申→(新聞記事「「八潮村合併」知事に答申」) 9月17日 八條村議会、「八汐村」発足延期を議決→【資料紹介】(議案書)・(会議録)・(新聞記事「「八汐村」発足は延期か きょう紛争の八条村議会」「「八汐村」発足に反対 八条村長ら県へ陳情」「合併問題を白紙に戻す 八条村で混乱収拾の動き」)・ (同「発足延期を議決 八条村会”八汐村派”敗れる」)・(同「臨時県会きょう招集 八潮村合併提案見送?」「合併案を否決 八條村議会、八対七で」) 10月1日 三村合併の期日(実現せず) ※10月 11月3日に潮止村・八幡村を合併して「八汐村」を設置する議案→ |
昭和30年 | 1955年 | ※3月1日 「埼玉県町村合併状況」(地図)→ 3月25日 「八汐村」設置申請書が県から返付される→ |
昭和31年 | 1956年 | ※5月1日 「埼玉県町村合併状況」(地図)→・【Twitter】 ※8月27日 『埼玉新聞』「大草加町実現へ 八幡、八條村の合併意欲再燃」→ 9月6日 八條村議員協議会、三村合併を目標に進めるが、まとまらないときは2か村で合併を進め、これもまとまらないときは単独で草加町へ合併すること、前2者のいずれかが実現する場合は立野堀の分離を承認することを議決→ |
昭和32年 | 1957年 | ※6月7日 『埼玉新聞』「草加合併はマイナス 八潮村村財政の健全さ誇示」→ ※新聞記事「一波乱必至か 八潮の合併問題」、同「八潮村第二回合併特調委開く 草加町の研究資料基礎に」→ ※7月19・22日 『草加新聞』「郷土愛をもつて冷静に決せよ 草加・八汐合併の可否」→ 8月 大字伊草および幸之宮(大字八條内)、分村して草加町に編入することを請願→(新聞記事「八潮 伊草、幸之宮部落が草加町へ分村合併要望」) 9月 村議会議員選挙 |
昭和33年 | 1958年 | 6月 幸之宮の分村要求を取り下げる協定書締結→ |
昭和35年 | 1960年 | 5月 伊草の分村要求を取り下げる協定書締結→ |
昭和39年 | 1964年 | 10月1日 町制施行 |
昭和47年 | 1972年 | 1月15日 市制施行 |
【資料紹介】八潮市立資料館所蔵歴史公文書
昭和29年(1954年) 7月12日「八汐村」設置申請書
- 出典:公6740件25
- 画像:
- 解説:昭和29年(1954年)10月1日に三村を廃止して、新たに「八汐村〔やしおむら〕」を設置する申請書。三村の村長の連名で県知事宛に提出された。合併の理由書には、三村は習俗・慣例を共有し、近世には八條領と呼ばれた同一領に属し、住民間の交流があり、東は中川、西は綾瀬川に沿った地域に位置することなどが記されている。新村名選定の理由は、(1)旧村名を象徴すること、(2)字体が簡易であること、(3)語音が軽快であることが挙げられている。
昭和29年(1954年)9月17日可決「八汐村」発足延期決議(八條村議会)の議案書
- 出典:公6584件186
- 画像:
- 解説:「八汐村」発足延期決議の議案書。昭和29年(1954年)9月14日、八條村議会に議員6名から提案された。議案の本文は、「去る七月四日本村議会に於〔おい〕て行った、八條・八幡・潮止の三村を合併し十月一日八汐村を発足さす決議は、一応留保し新村の発足を延期する」。提案理由としては、三村合併を議決した際の付帯条件である草加町との合併促進などについて、村民中に納得しない者が多く、このまま合併を強行することは将来に禍根を残し不穏当と認められることなどが挙げられている。17日の村議会で原案の通り可決され、10月1日の三村合併「八汐村」発足は実現しなかった。
- ※会議録(件185)によると、投票結果は賛成8票、反対7票。→
- ※関連新聞記事→年表参照
昭和31年(1956年)9月20日八潮村設置申請書
- 出典:公6586件47、6737件46-1
- 画像:
- 解説:昭和31年(1956年)9月28日に三村を廃止して、潮止村・八幡村および八條村大字八條・鶴ケ曽根・小作田・松之木・伊草の区域をもって、新たに「八潮村」を設置する申請書。合併の理由書は、「八汐村」設置申請書とほぼ同文である。新村名選定の理由は、(1)旧村名を象徴すること、(2)語音が軽快であることが挙げられているが、「八汐村」にあった字体が簡易であることは含まれない。
昭和31年(1956年) 9月20日立野堀を草加町に編入申請書
- 出典:公6586件72
- 画像:
- 解説:昭和31年(1956年)9月28日に八條村のうち大字立野堀を草加町に編入する申請書。八條村長・草加町長の連名で県知事宛に提出された。編入の理由としては、立野堀は草加の東に位置し、地形・交通・経済・その他あらゆる面において草加に接する関係があり、特に草加に近接する地域は工場地帯であることが挙げられている。
参考文献・ウェブサイト
八潮市立資料館の刊行物など
- 展示パンフレットなど
- 『第18回企画展 記録~二十世紀の証言~』(2000年)
- 『第22回企画展図録 八潮が生まれた日』(2009年)
- 『開館25周年記念事業 第33回企画展 八潮の御鷹場 いま甦る、将軍家・皇室の狩猟場―』(2015年)
- 『第36回企画展 八潮の歩き方~移りゆく景観、変わりゆく八潮~』(2016年)
- 『第41回企画展 明治150年記念展示2 近代日本の成立と八潮』(2019年)
- 『第10回収蔵品展 公文書でつづる八潮の歴史 展示案内』(2002年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編2』(1989年)631~633ページ、第7編第2章第1・2節
- 『八潮市史 史料編 近代1』(1980年)史料100
- 『八潮市史 史料編 現代1』(1985年)
- 解説31~37ページ
- 第7編第2章「八潮村の成立」
- ※第1節「町村合併促進法と村の対応」・第2節「八潮村の成立と村会」の史料番号・史料名は次の通り。
- 182「埼玉県町村規模適正化促進委員会設置」
- 183「町村合併促進法」
- 184「埼葛地区町村合併推進協議会結成式案内・資料」
- 185「町村合併問題講演会」
- 186「七か村事務連絡協議事項」
- 187「埼玉県町村合併試案」
- 188「三か村合併促進会議新聞記事」
- 189「潮止村の東京都への合併陳情」
- 190「三か村合併協議会」
- 191「立野堀住民草加合併陳述書」
- 192「八幡村合併告示」
- 193「八條村議会流会新聞記事」
- 194「三か村合併八條村申合せ事項」
- 195「草加地区合併促進協議会合併要望書」
- 196「三か村合併推進情況報告」
- 197「八條村・草加町合併陳情書」
- 198「“八汐村”設置申請書」
- 199「県地方課の合併紛糾事情聴取」
- 200「県町村合併審議会の「八潮村合併」答申決議」
- 201「八條村合併決議留保決議」
- 202「埼玉県第二次町村合併促進運動実施要領」
- 203「八幡・潮止二か村合併促進要請書」
- 204「合併問題研究会設立趣意書」
- 205「二村合併同志会懇請書」
- 206「三か村合併促進協議会計画」
- 207「合併推進ビラ」
- 208「八汐村設置申請書返付通知」
- 209「町村合併促進対策小委員会設置通知」
- 210「町村合併実現努力依頼」
- 211「潮止村公金使込み新聞記事」
- 212「町村合併促進陳情書」
- 213「新市町村建設促進法施行通知」
- 214「町村合併自主解決要請通知」
- 215「合併問題紛糾新聞記事」
- 216「町村選挙管理委員会連合会案内資料」
- 217「公明選挙運動チラシ」
- 218「八條村長・議会議員選挙報告」
- 219「潮止村合併決議」
- 220「立野堀草加町編入決議」
- 221「新村建設計画策定」
- 222「八潮村設置申請書」
- 223「八潮村成立告示」
- 224「八條村長合併挨拶状」
- 225「潮止村町村合併推進協議会解散式通知」
- 226「新市町村建設促進対策要綱」
- 227「旧八條村民草加町合併陳情書と報告書」
- 228「浮塚住民草加町合併請願書」
- 229「八潮村・草加町合併意見具申書」
- 230「八潮村・草加町合併不要新聞記事」
- 231「旧潮止村民草加町合併反対陳情書」
- 232「八潮村・草加町合併問題草加新聞記事」
- 233「伊草・幸之宮住民草加町合併請願書」
- 234「伊草・幸之宮住民草加町合併請願書」
- 235「伊草・幸之宮草加町編入照会・回答」
- 236「伊草、幸之宮分村問題報告書」
- 237「八潮村合併特調委開催新聞記事」
- 238「伊草分村問題協定書案」
- 239「税金滞納問題伊草地区回答」
- 240「伊草地区の草加市合併請願」
- 241「八潮村勢概要」
- 242「伊草分村問題協定書」
- 243「八潮村会議員一覧」
- 244「八潮村吏員一覧」
- 年表862~884ページ
- 『八潮市史 史料編別巻 潮止月報・八潮だより』(1979年)
- その他の刊行物
- 教育総務部文化財保護課企画・編集『八潮市の文化財ガイド』(八潮市教育委員会、2019年)4ページ
- 「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」
- 公74「教委関係綴」(八條村)
- 公1959「埼玉県町村合併状況」
- 公1977「『潮止月報』(戦後版)第71号」
- 公2342「八条村会々議録」
- 公2925「三ヶ村合併綴」(八條村)
- 公3136「議会関係書類」(八條村)
- 公4628「町村合併関係綴」(潮止村)
- 公4686「日誌」(八潮村役場潮止支所)
- 公4688「議会議決書綴」(潮止村)
- 公6012「庶務部、告示綴」(八幡村)
- 公6049「町村合併関係綴」(八幡村)
- 公6050「合併審議会関係綴」(八幡村)
- 公6054「村協議会・委員会記録綴」(八幡村)
- 公6584「会議録綴」(八條村)
- 公6586「合併書類」(八條村)
- 公6737「町村合併関係綴」(潮止村)
- 公6738「町村合併促進関係綴」(八幡村)
- 公6739「町村合併関係綴」(潮止村)
- 公6740「町村合併関係書類」(潮止村)
- 公6741「第二次合併関係綴」(八潮村)
- 公6742「町村合併促進協議会書類綴」(潮止村)
- 公6743「三ヶ村合併関係記録」(潮止村)
その他
- いき出版企画・制作・発行、しなのき書房編『写真アルバム 草加・八潮・三郷の昭和』(2016年)61ページ
- 恩田恒治『振り返る 恩田理三郎の一生』(文芸社、2002年) 48~51、54、57~58、85~86ページ
- 埼玉県議会史編さん委員会編『埼玉県議会史 第9巻』(埼玉県議会、1976年)30~33、582、588、604ページ、附録
- 埼玉県地方課編著『埼玉県市町村合併史 上巻』(埼玉県自治研究会、1960年)附録
- 埼玉県地方課編著『埼玉県市町村合併史 下巻』(埼玉県自治研究会、1962年)1013~1022ページ
- 昭和31年(1956)9月28日総理府告示第461号「町村の廃置分合」(『官報』第8928号)
- ※『れきナビ』(本サイト)内の各ページも参考にした。