明治前期の八潮の歩み―三村の成立まで―
提供:『れきナビ―やしお歴史事典』
(明治前期の歩み―三村の成立まで―から転送)
八潮市域は、近世には武蔵国〔むさしのくに〕埼玉郡八條領に属する20か村(大半は幕領または旗本領、一部は寺領)に分かれていた。明治前期の行政区画などの変遷を経て、明治22年(1889年)4月1日、埼玉県南埼玉郡八條村・潮止村・八幡村の三村が成立した。
明治6年(1873年)以降相次いで開校した小学校は、明治19年(1886年)に3校に統合された。
明治9年(1876年)の市域人口は約7,000人、この頃の地目別面積内訳(税地)は田約63パーセント・畑約37パーセントであった。
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- ※=「八潮市立資料館デジタルアーカイブ」(資料詳細画面)へリンク
- ※明治18年(1885年)頃に撮影された藤波家の写真→『川に抱かれて』146ページ参照
目次 |
地図
市域全体
- ※領別に色分けされており、一部の村々には戸籍区の数字も付記されている。市域20か村は、八條領に属し、戸籍区は第8区。
- ※『増補 葛飾区史 上巻』口絵に、明治2年(1869年)「小菅・品川・浦和各県区分図」掲載。
- 明治4年(1871)年7月 廃藩置県直後の諸県図(埼玉県域)
- ※注意(脚注参照)[1]
- ※小菅県は現埼玉県域のみ記載。
- 明治5年(1872年) 「改置府県概表」所収府県図
- ★明治4年(1872年)11月14日、埼玉県が成立し、市域20か村は埼玉県の管轄となる。
- 明治9年(1876年) 埼玉県管内略図(第1区周辺)
- ※市域20か村は、埼玉県第1区に属した。
- ※埼玉県の区制の図→『新編埼玉県史図録』213ページ掲載。
- 明治13年(1880年) 埼玉県管内全図(市域周辺)
- ※市域20か村は、南埼玉郡に属した。市域には小学校の記号が多数ある。
- ※明治12年(1879年) 埼玉県置郡分画図→『新編埼玉県史図録』220ページ掲載。
- ※明治13年(1880年)出版届 埼玉県管内里程一覧図→『埼玉県史料叢書18』口絵掲載。
- 明治13年(1880年) 迅速測図原図(市域周辺)
- ※注意(脚注参照)[1]
- ※市域は水田が多い。
- 明治20年(1887年)版権所有届 埼玉県管内全図(市域周辺)
- ★明治22年(1889年)4月、三村の成立。
- ※図には新町村が朱で記載されている。
- 市域20か村と三村の図
各村
明治7年(1874年)
上馬場村戸数取調絵図
- 村誌付図
年表
- ※市域に関わる主要な事項を掲載した(行政区画と学校の変遷を重視)。
- ※国内・県内の重要事項も適宜付記した。
和暦 | 西暦 | 記事 |
---|---|---|
慶応4年 明治元年 |
1868年 | ※正月 鳥羽・伏見の戦い ※4月 江戸開城 7月 市域は武蔵知県事桑山圭助〔けいすけ〕(効)の管轄となる ※9月8日 明治と改元 |
明治2年 | 1869年 | 正月 武蔵知県事河瀬秀治〔ひではる・ひでじ〕(桑山の後任)の管轄地に小菅県が設置され、市域は小管県に属する |
明治4年 | 1871年 | ※正月 社寺領上知〔あげち〕(没収)令 ※4月 戸籍法公布 6月 小菅県管轄絵図(前掲)によると、市域は小菅県第8区(戸籍区) ※7月 廃藩置県 11月14日 埼玉県成立、市域は埼玉県の管轄となる |
明治5年 | 1872年 | 3月 埼玉県は管内を24区に区画、市域は第1区となる(当初は小区も存在) ※8月 「学制」公布 ※8月 宿駅制度(助郷)廃止 ※12月 太陽暦実施(12月3日=6年1月1日) |
明治6年 | 1873年 | 1月 上馬場学校開校 ※1月 徴兵令公布 2月 八條学校・川崎学校・大曽根学校開校 ※7月 地租改正条例公布 9月 大瀬学校開校 |
明治7年 | 1874年 | 3月 浮塚学校・立野堀学校(立野堀村は現草加市)開校 |
明治8年 | 1875年 | 7月 木曽根学校開校 |
明治9年 | 1876年 | 1月現在 市域の村事務所は、八條村・鶴ケ曽根村・大原村・大曽根村は各村単独の事務所、その他は2~3か村組合の事務所 ※8月 熊谷県〔くまがやけん〕廃止、埼玉県が現在の県域となる 市指定文化財「旧藤波家住宅」が建築される |
明治10年 | 1877年 | ※2~9月 西南戦争 |
明治11年 | 1878年 | ※7月 三新法(郡区町村編制法など)公布 |
明治12年 | 1879年 | 3月 埼玉県は区制廃止・郡制施行、埼玉郡が南北に分割され、市域は南埼玉郡に属する。郡内の同一村名を区別するため、川崎村は「南川崎村」、後谷村は「南後谷村」に改称 4月 鳴鶴学校〔めいかくがっこう〕開校 7月現在 市域の戸長役場は、八條村・鶴ケ曽根村は各村単独の役場、その他は2~5か村組合の役場 |
明治14年 | 1881年 | 12月 古利根川(中川)の戸ケ崎の渡し〔とがさきのわたし〕に藤橋架橋 |
明治16年 | 1883年 | 5月 市域は江戸川筋御猟場に指定される 7月 中馬場村他4か村組合の戸長役場が分離、各村単独の役場となる |
明治17年 | 1884年 | 7月 埼玉県は連合戸長役場制実施、市域に三つの連合戸長役場が成立 松之木村連合:八條村・鶴ケ曽根村・小作田村・松之木村・伊草村・立野堀村、計6か村 伊勢野村連合:二町目村・木曽根村・南川崎村・伊勢野村・大瀬村・古新田・垳村、計7か村 上馬場村連合:上馬場村・中馬場村・大原村・大曽根村・浮塚村・西袋村・柳之宮村・南後谷村、計8か村 ※10月 秩父事件発生 |
明治18年 | 1885年 | ※12月 内閣制度創設 |
明治19年 | 1886年 | 4月1日 埼玉県は新学区施行(原則1戸長役場=1学区=1校)、市域の小学校が3校に統合される(直後に尋常小学校となる) 松之木村連合(南埼玉郡第2学区):八條学校・鳴鶴学校・立野堀学校→伊草学校 伊勢野村連合(同第1学区):川崎学校・大瀬学校・木曽根学校→川崎学校 上馬場村連合(同第3学区):上馬場学校・大曽根学校・浮塚学校→西袋学校 ※4月10日 小学校令公布(小学校が尋常小学校と高等小学校の2段階となる) |
明治21年 | 1888年 | ※4月 市制・町村制公布 |
明治22年 | 1889年 | ※2月 大日本帝国憲法公布 4月 埼玉県は町村制施行(明治の大合併)、市域に三村が成立(旧村は大字となる) 松之木村連合→八條村 伊勢野村連合→潮止村 上馬場村連合→八幡村 |
沿革図や表(行政区画・社寺・学校・戸長など)
- 近世村の村名表記・石高の変遷表(市域20か村と立野堀村)→こちら(PDF)
- 「八潮市域内の神社」(『八潮市史 史料編 近代3』解説表5)→こちら(PDF)
- 「合寺・廃寺・変遷」(同解説表7)→こちら(PDF)
- 八條領35か村の明治以降変遷関係諸表→こちら
- 学校の変遷図
- 明治8年(1875年)頃 『武蔵国郡村誌』関係 ※『武蔵国郡村誌』以外も合わせて使用しているものは前掲。
- 村事務所・戸長役場組合の変遷表(学校関連含む、市域20か村と立野堀村)→こちら(PDF)
- 明治9年(1876年) 村事務所所在地・正副戸長・戸数の一覧表(市域20か村と立野堀村)→こちら
- 地租改正による面積増と旧石高の一覧表(市域20か村)→こちら
- 明治12年(1879年)頃 戸長役場位置・戸長・戸数の一覧表(市域20か村と立野堀村)→こちら
- 明治13年(1880年) 村勢の一覧表(市域村々と立野堀村)→こちら
- 明治15年(1882年) 戸長役場・管轄警察署・配達郵便局・学校・学区の一覧表(市域20か村と立野堀村)→こちら
- 明治16年(1883年) 戸長役場位置・戸長の一覧表(市域20か村と立野堀村)→こちら
- 松之木村連合・伊勢野村連合・上馬場村連合戸長の一覧表→こちら
- 明治21年(1888年) 面積・人口・戸数一覧表(新村の八條村・潮止村・八幡村と、旧村の市域20か村・立野堀村)→こちら
グラフ(人口・面積)
- 人口
- 面積
参考文献・ホームページ
八潮市立資料館の刊行物など
- 展示パンフレットなど
- 『描かれた明治維新―地租改正と八潮―』(2010年)
- 『第40回企画展 明治150年記念展示1 村人たちの御一新―幕末・維新の八潮地域―』(2018年)
- 『第41回企画展 明治150年記念展示2 近代日本の成立と八潮』(2019年)
- 八潮市史編さん物
- 『八潮市史 通史編2』(1989年)
- 『八潮市史 史料編 近代3』(1982年)口絵、解説、第1章第2節
- 『川に抱かれて―八潮の歴史アルバム―』(1994年)
- 『八潮市近代史年表』(1976年)
その他
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 図録』(1993年)213、220ページ
- 埼玉県編集発行『新編埼玉県史 別編4 年表・系図』(1991年)
- 埼玉県編集発行『中川水系総合調査報告書2 中川水系3 人文』(1993年)467ページ
- 埼玉県教育委員会編『埼玉県史料叢書18 埼玉県布達集二』(埼玉県、2016年)口絵
- 草加市史編さん委員会編『草加市史 通史編 下巻』(草加市、2001年)口絵
- 東京都葛飾区編集発行『増補 葛飾区史 上巻』(1985年)口絵
- 藤方博之「上馬場新田地区に残る歴史的地名・史跡」(『八潮市郷土研究会紀要 跡標』18輯、2015年)
- ※『れきナビ』(本サイト)内の各ページも参考にした。