『れきナビ―やしお歴史事典』:旧版:八潮市略年表(20150210版)

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八潮市域の人口の推移
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原始・古代

年代 記事
6,000年前頃 域は奥東京湾(海)
古墳時代(約1,500年前) 市内の遺跡によると、遅くともこの頃には人々が生活を営んでいた

中世

和暦 西暦 記事
建暦3年 1213年 渋江光衡(八條五郎光平)、「武蔵国大河戸御厨八條郷」の地頭職〔しき〕を安堵〔あんど〕される
至徳4年 1387年 香取神宮大中臣長房が嫡子に与えた財産目録に、鶴ケ曽根関(下河辺のうちと記されている)と大堺関(風早荘のうちと記されている)記載
室町末から戦国時代の岩付〔いわつき〕太田氏の勢力圏にあった市が挙げられているといわれる「市場之祭文」に、「八十市」(八條市)記載

近世

和暦 西暦 記事 備考
八條用水葛西用水開削
慶安 1648年~1652年 武蔵田園簿」に市域20か村記載 近世の市域は武蔵国埼玉郡(初期は騎西郡)八條領に属した
文政6年頃 1823年頃 遊歴雑記」に八條村は「片鄙〔へんぴ〕の一都会」と記載

近代

和暦 西暦 記事
明治4年 1871年 11月14日、市域20か村は埼玉県となる
明治12年 1879年 3月、市域20か村は南埼玉郡となる。川崎村は「南川崎村」、後谷村は「南後谷村」に改称
明治22年 1889年 4月1日、市制・町村制施行に伴う合併により、市域20か村は八條村(現草加市域の立野堀村も含まれる)・潮止村八幡村の3か村となる(旧村は大字となる)
明治44年 1911年 潮止村、内務省より「模範村」として選奨される

現代

和暦 西暦 記事 備考
昭和31年 1956年 9月28日、三村合併により「八潮村〔むら〕」成立(村内の大字は20) 八條村のうち大字立野堀草加町に編入
昭和39年 1964年 10月1日、町制を施行して「八潮町〔まち〕」となる
昭和42年 1967年 6月1日、草加市との境界変更。稲荷町青柳町柿木町の各一部を編入。大字八條小作田松之木伊草の各一部を分離 境界変更後の大字・小字マップはこちら
昭和43年 1968年 9月1日、八潮町大字稲荷町・青柳町・柿木町の各全部および大字八條・小作田・松之木・伊草の各一部、大字「新町」となる
昭和47年 1972年 1月15日、市制を施行して「八潮市」となる 南埼玉郡から離脱
昭和54年 1979年 4月1日、草加市との境界変更。稲荷町の一部を編入。小作田・松之木・伊草・柳之宮の各一部を分離
昭和57年 1982年 10月2日、大字鶴ケ曽根・小作田・二丁目上馬場中馬場西袋の各一部、町名中央」一~四丁目となる
昭和61年 1986年 10月4日、大字二丁目・木曽根・中馬場・大原大曽根・西袋の各一部、町名「八潮」一~八丁目となる
平成10年 1998年 11月21日、大字鶴ケ曽根・小作田・松之木・伊草・上馬場・柳之宮・南後谷の各一部、町名「緑町」一~五丁目となる
平成17年 2005年 つくばエクスプレス開業
平成27年 2015年 1月31日、大字大瀬伊勢野古新田の各一部、町名「大瀬」一~六丁目・「茜町」一丁目となる

注 『れきナビ』の以下の記事・PDFファイルにより作成。

関連項目

☆このページの平成24年(2012年)10月13日版(初版)はこちら

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